第81話復活の織田信勝



翌朝、俺はお市を連れて静岡を発った。

山の稜線を爆走している俺の背中でお市が大人しく前を向いている。

俺が背を向けると無言でよじ登ってくる関係になっていた。いつの間にか。

夕暮れよりも前に尾張末森の城下に入った俺達は適当な旅籠を見繕って宿を取る。

だが、末森泊まりと決めてからのお市は、あからさまな警戒心を俺に見せ始めた。


……そしてその日の夜。


「どこへ行くというのだ?」


腰を上げた俺にお市が咎めるように目を向ける。


「ついて来い」


「……嫌だと言ったら?」


「力ずくでも連れて行くだけだ」


「……好きにするがいい」


「そうさせてもらう」


こうして嫌がるお市を宿から連れ出した俺は街はずれへと向かう。

夜の闇が背後から忍び寄るような月夜の晩である。寺の山門には桃巌寺と書かれた額が掲げられていた。

お市を横抱きにして塀を飛び越えた俺は寺の山内に忍び込んだ。

俺がどこへ向かおうとしているのかを薄々は気付いている様子のお市は顔に苦渋を浮かべている。

ほどなくして、俺は一つの墓石の前にたどり着いた。

墓碑銘で前武州太守松岳道悦大禅定門と掘られている。


墓の裏側に回ると、俺はスコップを取り出して土に突き刺した。


「何をする!」


お市の叱声。

だが俺はそれを気にすることなく土を掘り返していった。


「……お前の兄、信勝を生き返らせる」


「な……ッ!!」


掘り返した土が山となる中で俺がそう告げるとお市は絶句した。


「キリシタンの経典、旧約聖書のエゼキエル書に枯骨の復活(ここつのふっかつ)のくだりがある。

 それによると、世の終わりの時には枯骨のみとなった死者までもがすべて生き返って最後の裁きを受けるそうだ」


「そ、それがどうしたというのだ?」


怯えた表情でお市が問うが、そんなおぞましい話は聞きたくないという気持ちがはっきりと現れていた。


「蘇らせた信勝を兄信長にぶつける」


「馬鹿なことを……ッ」


そう言いながらもお市は、「こいつならやりかねない」という目で俺を咎める。


ゴツリ。

スコップの剣先が棺に当たる音がした。


俺は勢いをつけて白木の蓋を開けると、棺桶の中を見て驚く。


無言でお市を見た。


お市は何も言わない。


再び棺桶を見る。


「何もない……空っぽだ」


諦めきった様子でお市が漏らす。


「勘十郎兄上は生きておられる。

 ……死を偽られたのだ」


「お前の兄、信長がか?」


「そうだ。三郎兄上には殺せなかった」


それで死んだことにしたという訳か……身内には優しい信長らしいといえばそうではあるな。


「ついて来い。勘十郎兄上の許へ案内する」


俺は急いで掘り返した土を元に戻した。



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「……ここだ」


お市の足がとある庵の前で止まった。


「ここか?」


確認する俺にお市が無言を返す。

沈黙を同意と見た俺はあらためて茅葺の庵を眺めた。

庵は境内の奥にひっそりと佇んでいる。


じゃりっ。

歩くたびに玉砂利の軋む音がする。

俺達が庵の戸を叩く前に、中から戸は開いた。


「おや、こんな夜更けに客人ですか」


戸の向こうから声が掛かる。


「ごめんなさい。勘十郎兄上……」


「その声は市さんですね。近頃はとんと顔を見せに来ないので心配してい……」


庵の中から姿を現した僧形の男はお市を見て固まってしまう。


「……市さんではない?」


不審を目に籠めた信勝がお市と俺を見る。

俺はお市の姿を元に戻した。


「な……ッ!」


息を止めて信勝がお市の変化を見守る。

金髪碧眼のアンジェリカから黒髪のお市へのトランスフォームだ。


「……市さん、これはどういうことです?

 説明してください」


「そ、それは……」


しどろもどろになりながらお市が俺を見る。

それで仔細を読み取った信勝がキッと俺を睨んだ。


「貴方、私のかわいい妹に何てことをしてくれているんですか?」


今にもつかみ掛からんばかりの勢いで信勝が俺に詰め寄る。

そんな激高する信勝との間に割って入り止めようとするお市。


「……なんというどえらい御方だ。

 私の妹を攫い、あまつさえ天竺南蛮と数年にも亘って連れまわしていたなどとは」


怒りを通り越して呆れ果てたといわんばかりだ。


「……うつけと呼ばれた三郎兄上も貴方様には叶いますまい」


と信勝が嘆息。


「勘十郎兄様、ごめんなさい。兄様のことは黙っているつもりだったのに……」


「いいのですよ。市さんは悪くありません。悪いのはこの御方です。

 ……で、その悪い御方がわたくしに何の御用が御有りなのでしょうか」


「もう一度、立つ気はないか?」


「お戯れを。可愛い妹をこんな姿にされて頷けるものですか。

 それに私は三郎兄上に許された身の上、今更立ったところで誰が付いてきましょう」」


声音は平静を保っているが激しい怒りが信勝の肚のうちには渦巻いているようだった。


「否と言うのなら、無理にでも立たせるまで」


「お断りします……っ、離しなさいッ!」


「兄上ーー!」


お市の声を置き去りにして、嫌がる信勝を抱きかかえた俺は空に飛び出す。

何処までも高く、何処までも……



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俺の力ずくでの説得は功を奏し、地上に戻ってくる頃には、信勝は俺に納得していた。


「わかりました。貴方の言に従いましょう。

 三郎兄上に任せていてはすべてが滅びる。

 今のままでは兄上のためにも、織田の家のためにも、日ノ本、帝の御ためにもなりませぬ……」


「!! 貴様、兄上に何をしたーーっ!」


地に足が付いた途端、態度が豹変した信勝を見てお市が俺に掴みかかる。

面倒なのでお市も空に連れ出した。

無理やりの説得によって、新しい世界の扉を開いたお市も俺の説得を受け容れる。

……断っておくが、性的な説得は一切していないからな。


地上に降りてくると、お市の態度はそれまでのものから豹変していた。

お市の要望でその姿を姫騎士のアンジェリカに戻す。


「太郎様、わたくしはこれより貴方様に生涯の忠誠を捧げます。

 わたくしのことはアンジェリカとだけお呼びください」


片膝をついて首を垂れたお市……もとい、アンジェリカが告白する。


「それは織田市であることを捨てるということか?」


「はい。それが三郎兄上のためでもあると思いました。

 わたくしアンジェリカはこれより太郎様の剣となります」


そう言いながらしおらしげなアンジェリカは俺に剣を差し出す。

しかしそこに信勝が待ったをかけた。


「待ちなさい、市さん。貴女までこの化物に従うことはありません!

 貴女は自らが何を誓おうとしているのか分かっているのですか!?」


「……勘十郎兄上、

 わたしはこの化物に攫われてはじめのうちは、

 なんとかたらしこんで三郎兄上の覇業の駒にしたいと思っておりました。

 ……そのためならば私の体に溺れさせることも厭わぬとも」


「市さん……」


信勝が溜息をつく。


「ですがこの怪物はわたしの肉体に興味を示しません。

 二人きりでいる時など、いつ襲われるだろうかと何度覚悟したことか……」


「おい、おい……」


思わず口を開くと信勝とお市に睨まれた。

「黙っとれ」と二人の視線が語っているので、仕方なく黙る。


「しかしわたしの読みは毎回外れました。

 この化物はわたしに触れてもそのような欲望を見せません。

 衆道の徒でもなさそうです。明らかにこの男はおかしい」


「……そうでしたか」


お市の告白を信勝はいたましげに見守る。


「この化物に連れ回された三年間、わたしは色々なものを見てきました。

 唐土から蒙古を経て紅毛人の国にまで、果ては大秦の先にも行っています。

 ですが、わたしが見ていたのはこの日の本。

 外国(とつくに)を通して日本を見ていたのです」


お市が兄に切々と訴える。

雪をかぶったウラル山脈、ルーシの古都キーフの街並み、計画中のスエズ運河、そして大陸の西のはずれにある島国アイルランドのこと。


「そして何よりもわたしが驚いたのは、それら巡った国々はどこも平らな土地が多かったことにあります。

 ……本心を言えばわたしはこの男が怖い。

 この男に私の美貌は、私の女の肉体は一切通用しなかった。

 この男は私の……わたしの体をまったく求めてはいない。

 いざとなったら体を差し出して何とかできる――そういう最後の一線がこの男にはないのです。

 ……しかしわたしはわからせられてしまいました。

 わからせられてしまった。

 だからこそわたしはもう、この者にすがるよりほかに道はないと」


お市が衝撃を以て伝えると信勝はしばらく考え込んでから、答えを出した。


「そうですか。やはり兄上では無理でしたか……」


さびしげに嘆息した信勝にお市が同調する。

二人の間では共通認識が持たれているようだ。

お市は信勝としばし見詰めあうと、やにわに俺の方を向いた。


「なので太郎様、わたくしは貴方様の剣となります。

 わたしをこんな心持ちにしたあなたは本当に酷い人……

 でも、それは貴方の剣となることと何の関わりもありません」


これを聞いて正直なところ、俺はお市がここまでの割り切りをみせるとは思わなかった。

私情を打ち捨てるなど、並の器量の者であればそうそうできることではなかろう。

ところがお市はそこを容易に飛び越えてみせた。

内心で俺はお市の器量の大きさに舌を巻く。

つまるところこれは、信勝とお市には王器があるということを意味している。

歴史の表舞台で決して主役とはならなかったこの二人にそれがあるということに俺は深い感慨を抱いた。

そして俺は息をつきながらお市に告げる。


「うむ。お前は今より俺の剣だ。

 誰のものでもない。アンジェリカ、お前は俺の剣だ」


アンジェリカの両肩に剣を当て、騎士の任命をすると剣をアンジェリカに返却する。

下げ渡された剣を腕に抱き、アンジェリカは儚げに微笑んだ。


その姿、俺には「ああ、わたしはこれからこの男のモノになっちゃうんだ……」と言っているように思えてならなかった。


……お市、悪堕ち確定する。


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