第72話対愛工作



「アントワーヌ、お前の伝手で頼みたいことがある」


「私をその名で呼ぶなんて珍しいわね。何の用?」


報告会の後で俺はルイーズを呼び止めると、彼女はそんなことを言う。


「いいわ。私の部屋に来なさい」



「それで何? 用って?」


後ろ手にバタンとドアを閉めてルイーズが俺に問う。

彼女は手ずからお茶を入れて俺とお市に差し出した。


「アイルランドと取引がしたい。どこか伝手はないだろうか」


「ふぅん。それで? 狙いはそれだけじゃないでしょ?」


ルイーズはすべてを見透かしたかのような表情で俺をじっと見る。

だまされないわよ――そう瞳が語っていた。


「アイルランド王になれそうな地元の名家、それもケルトにルーツを持つ家がいい。どこか知らないか?」


「……つまり、イングランドは信用ならないってわけ?」


「その通りだ」


「んむ……」


ルイーズは難しい顔をして考え込む。


「無くはないけど、今すぐに王になれるかっていうとそれほどじゃないわね……」


「王位云々は力を付けさせてからの話だ。今はまず交易の話がしたい」


「でもあんたの目的はアイルランドを強化してイングランドから引き離し、こっち側へ……なんでしょ?」


ルイーズの問いに俺は首を縦に振った。



翌日、ルイーズが俺を呼んで、共にコリニー提督の執務室へと向かう。

俺の提案をルイーズは昨晩のうちに提督に話していたらしく、細かな段取りの打ち合わせになった。


「それならばオブライエン家(O'Brien)が妥当だろう。あそこの先祖はアイルランド皇帝のブライアン・ボルだからな」


コリニー提督曰く、家名のオブライエンはブライアンの息子という意味で、ドナルドの息子だからマクドナルド。ジョンの息子だとジョンソンだとか。

とにかくこのオブライエン家と繋がりを作ればいいのではという話になった。


「ソモンド伯爵のコナー・オブライエン三世に紹介状を書こう。

 この男はソモンド王コナー・オブライエンの孫だから話に乗るはずだ」


提督の話によれば、ソモンド伯コナーは叔父のドネルとの継承権争いの渦中にあるという。

アイルランドはカトリック圏だが、敵の敵は味方という論理に従えば、いざという時の保険にはなる。


「ああ、ルイーズも連れて行くといい。あいつは顔が広いからな」


席を立つ際に、提督がそう付け加えた。

俺はそれに礼を言うと、出発の準備に取り掛かる。

フランスはスコットランドと組んでいた歴史があるから、そこにアイルランドを加えてイングランド包囲網としておきたい。

これが機能しなければ一番いいのだが、そうはいかない場合の備えはしておかないとな。


英仏海峡沿いの港町ル・アーブルで船に乗り、フランス沿岸を西へ進む。

乗船したラ・レアーレは1538年建造のガレーだったが、外洋航海のために帆船へと改装されていた。

それもこれもシャルル九世の指示であるという。


ブルターニュ半島の突端からケルトへと乗り出し、イングランド側のコーンウォール半島をかすめて北西へと進む。

アイルランド島まではコーンウォールから五百キロ弱。

そこから島の南端を西へと回り込み、いくつかの入り江を通り過ぎて湾に入ったと思ったのだが、ルイーズによれば、これは湾ではなく川なのだという。

潮が流れ込む河口のことをEstuaryと呼ぶそうで、しかもその長さは百キロという長大なものだった。

そのEstuaryを遡った突き当りにあるリムリックにて船は停泊する。

ルイーズの指示で俺とお市は下船。川港にある厩から馬を借りてソモンド伯の許へ向かう。



「よう参られた」


家督を巡り、叔父と抗争中のソモンド伯コナーⅢ世はいくさの真っ最中といった感じを漂わせながら俺達に会った。

ルイーズが手渡した書状を読みおえると、「ふぅ」と息を吐き出す。


「用件は承知した。援助の申し出も有り難く思う。

 だが、今、私は叔父と家督争いの真っ最中で、それほどの協力はできそうにない」


残念そうにコナーⅢ世はそう漏らす。

ルイーズによると、このソモンド伯コナー・オブライエン三世は1536年生まれの26歳。

未だ若いが経験に欠けるせいで叔父に付け込まれたのだという。


「私としては是非とも出資者になってほしいのですが……」


「すまぬ。私は目の前のいくさで手一杯なのだ」


目の前の若い男を見て俺は思った。

将器にも色々あり、天性のものもあれば、経験によるものもある。

そしてナポレオンのようなごく一部を除いて、普通は経験を積んで得られるものだ。

多分、このコナーは後者なのだろう。


「わかりました。ならば、決着がついたら話を聞いてもらえるのですよね?」


俺の提案に、ソモンド伯はあまり期待していないような調子で「ああ」と返してきた。



「……というわけで久しぶりの黒騎士だ」


夜のとばりが下りる頃、全身黒づくめとなった俺は夜討ちの準備をはじめる。

お市はそれを見て「またか」といった顔をしていたが何も言わない。


「アンジェリカ、付いてくるとは言わないのか?」


「ふん。どうせ付いて行っても足手纏いだろう。ここで待つことにする」


俺の問いかけに対してお市が意外な反応を見せたことに俺は驚いた。

いつもの調子ならば監視対象に張り付こうとするはずなのだが……

とはいえ、道行きの連れ合いが居ないとなれば身軽に動けるのも確かである。

さっさと動くとしようか。



「ソモンド伯閣下、これでよろしいでしょうか?」


翌朝、生け捕りにした叔父のドネル・オブライエン以下一党を引き出して、ソモンド伯コナー・オブライエンⅢ世の前に並べると、彼は驚きのあまり固まってしまった。


「ど、どうやったのだ……!」


理解が追い付かない状況で口をぱくぱくと動かしながらそれだけを言う。

方や、捕縛された叔父のドネル・オブライエンは苦虫を噛みつぶしたような表情で黙り込んだ。


「どこかの黒騎士が捕まえてきたのですが、それはまぁ、いいでしょう。

 これでビジネスの話ができますね?」


笑顔でそう語りかけると「ああ、ああ……」と戸惑ったような反応が返ってくる。


「では、さっそくですが、商談と参りましょうか」


俺は口を動かしつつ、ドネル・オブライエンの縄目を解いた。

それを見てコナーⅢ世が抗議の声を上げるが無視だ。


「お、おいっ」


「よろしいじゃないですか。共同出資者が多ければ多いほどビジネスチャンスは広がりますよ? さぁ、貴方もテーブルに着きましょうか?」


「ああ……」


生け捕りにされたドネルも諦めたように椅子に座る。


「私からお二方に申し上げたい。

 叔父と甥でいくさなんて無駄なことをするよりもビジネスで稼ぎましょう。

 ここに新しい作物があります。皆さんでこれを作って売りさばいて豊かになるのです」


そう言って俺はテーブルの上にデーンと現物を広げていった。

叔父と甥の両オブライエンは目を白黒させている。


「これは何だ?」


「新大陸産の芋に東の果てはアジアの産物、山芋。それに飼料用のビートですよ」


「飼料用のビートだと?」


「これが何になるというのだ?」


両オブライエン=オブライエンズが声を揃えて疑問を叫んだ。


「口で言うのも手間なので現物を見せますので、こちらへどうぞ」


と言って、プロイセンでやったように調理展示である。

いぶかしがる二人に山芋、ジャガイモ、テンサイ=飼料用ビートの試食をさせると目を白黒させていた。


「さて、どうでしょう? お二方。

 この世界には未だ知られていない未知の作物がいくらでもあります。

 家督争いで家臣領民に迷惑をかけるようなことはやめにして、

 それよりもこれらを使った新規事業を立ち上げて稼ぎませんか?」


交渉の結果、二人は紛争の終結と対日交易への出資に同意した。

俺の本当の狙いは、イングランドとは関係の無い統一アイルランド王国だが、今それを話すとややこしくなるからそんなことは言わない。

とにかく、イングランドと対抗する島国が英仏海峡の向こうにあることが重要だ。

後のことは追々でいいだろうと思う。



なんやかやがあって、フランスに戻ったのは夏も終わりに近づいた頃である。

夏の日差しの残る昼下がりにパリへ辿り着いた俺とルイーズがコリニー邸に帰るとそこにはスコットランドからの来客があった。

スコットランドからの使者は若い男でヘクター・マクドナルドと名乗っている。

ちなみにマクドナルドはスコットランド語でドナルドの息子という意味だったが、どうにも挙動が奇妙だった。。

俺を見ると「オムドゥールマン!」とか言い出したが、そんな名前のヒーローなど聞いたこともない。

それで俺が黙っていると変なことを言い出した。


「……ぬるぽ」


「ガッ!」


思わず言い返してしまった俺を見て、マクドナルドという使者の男が喜色満面の笑みを浮かべて言う。


「おおっ、ねらーでしたか。拙者もそうですぞ!!」


「壺へかえれ!!」


長身痩躯で侍言葉を話すスコットランド人にそう言い返した俺は悪くないと思う。


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