第70話アンボワーズ城の密謀



シャルル九世の母后カトリーヌ・ド・メディシスは割合とすぐに落ちた。

即落ちの完落ちと言ってもいい。

孤児として育ち、夫との仲は冷え切っていて、家族と言えるのは自分が産んだ子供達だけという彼女にとっては孫や息子、娘達が惨殺される光景は、とてもではないが耐えられるものではなかったようだ。


「おばーちゃーん! 熱いよー!! 苦しいよー!!!」


「おお! ルイ!! ルイーッ!!!」


斬首される息子や孫、火炙りにされて熱で肉が溶け落ちながら丸焼けになって死んでいく娘達。

オーストリアのハプスブルクから輿入れしてきた、

下唇の厚い、いわゆるオーストリアの唇と呼ばれるハプスブルク家の者特有の特徴を持つ、マリー・アントワネットが生きたまま肛門から杭を打ち込まれて処刑される。

口から飛び出した血まみれの杭の先が血と脂でてらてらと光って陽光を照り返す。


血と肉の焼ける臭いと腐臭、その他諸々がカトリーヌ・ド・メディシスの嗅覚を直撃する。

王族の処刑に万歳を叫ぶ民衆と教会関係者、そして尻馬に乗って保身を図る貴族。

そして物言わぬ骸(むくろ)となった王の死体に取り付いてカトリーヌは泣き叫んだ。


洗脳は順調である。

そう俺はほくそ笑みながら、カトリーヌが繰り広げる愁嘆場に確実な手応えを感じていた。

これが現実にならないための土台が出来上がりつつあると確信を抱きながら。


俺がカトリーヌ・ド・メディシスに見せている悪夢のストーリーラインは一貫している。

新大陸の方で起きた火山の大噴火による噴煙が成層圏まで到達して世界の気候を寒冷化させて、フランスでも飢饉が発生。

時のフランス王ルイ十六世は危機克服のために貴族と教会への課税を断行するが、

これに反発した貴族と教会側が激高する民衆による怒りの矛先を王家へとそらす。

ついでに「王家は悪魔と取引をしている」と教会が告発して異端審問を訴え、教会が民衆を扇動して革命の機運に放火したという筋書きである。


保身のために尻馬に乗ったカトリック派貴族層は教会に便乗して革命に参加し、バチカンがこれを支持して王家は四面楚歌。

ユグノー派は内戦で壊滅していたから藩屏となって王家を守護する者は、もう、フランス国内には残っていなかった……


というナレーションをおどろおどろしい調子でフィリーにやらせたら、カトリーヌはもう半狂乱。

自分自身の絶叫で目が覚めるくらいには追い詰められていた感じ?

そうやって絶望の衝撃グロ映像を毎晩延々見せ続けているうちに彼女の心が折れていくのがはっきりと分かった。


……良い兆候だ。


絶望のどん底に落とした次の段階で初めて、ちょろっとずつ希望の芽を悪夢に散りばめていく。

そうすれば、本人は自分で打開策のきっかけを掴んだと思い込んでくれるから、騙されていると疑いを抱く可能性を減らせるから都合がいい。

そうして彼女は絶望の暗い瞳の中に黒い炎を宿らせていったのである。


旧教派貴族と教会滅ぶべし、という呪詛をその身に纏い「覚醒」は完了を見た。

まさに母性の為せる業(わざ)であろう。

なにしろ夢の冒頭では「カトリーヌおばあちゃーん!」と人懐っこい笑みを湛えて駆け寄ってくる曾孫や子孫に慕われて楽しい日々を過ごす日常から暗転するのだから仕方がない。

母性に訴えかけて絆されてしまった後では、襲ってくる血まみれ泥まみれのグロシーンのこれでもかという連発に耐えられられるものだろうか。


理性ではなく、感情の中に教会と旧来の貴族への倦厭の嫌厭の情を植え付ける。


俺の予想通り、カトリーヌはこれに抗することはできない。

最後の仕上げとして俺は彼女に吹き込んだ。


「フランス王家はオーストリア、ハプスブルク家からは絶対に嫁を迎えてはならん。

 これをやればフランスは必ずや不幸に見舞われるであろう」


「はい。王家の嫁にオーストリア女は絶対に入れさせません」


夢の中で、カトリーヌ・ド・メディシスは決然として言い切った。

洗脳が信念にまで到達しているのが垣間見えるが、このジンクスは事実である。


歴史を顧みてみれば、歴代のフランスの王妃にオーストリア女が入るとロクな結果になっていない。

史実だとシャルル九世の嫁もオーストリアのハプスブルクで、次代のアンリ三世でヴァロア朝は断絶。

有名どころではオーストリアから輿入れしたマリー・アントワネットで革命の時代に入ったのが良く知られている。

このジンクスはフランスでは割と有名ならしくて知らぬ者はいないとか。


とにかく、歴代のフランス君主にとってオーストリアはとんでもない鬼門だった。

これはカペー家の男系子孫やフランス人に限定した話ではなく、コルシカ生まれの余所者、ナポレオン・ボナパルトにまで及んでいる。

ナポレオンがフランス皇帝になると、終身執政の時とは違い、次代の帝位継承という課題が出てくる。

それで子供が産まれない皇后のジョゼフィーヌの存在が問題になった。


結果、ナポレオンが何をやったかというと、長年連れ添ってきた糟糠の妻である皇后ジョゼフィーヌと離婚して、あろうことか、オーストリアはハプスブルクから嫁を迎えるという挙に出る。

これでツキが落ちたかのようにナポレオンの没落がはじまった。

そして、エジプト遠征やアウステルリッツの会戦などにも従軍した古参兵たちは互いに噂し合ったという――ジョゼフィーヌの婆さんにはツキがあったと。


どうやらこのジンクスはフランス人かどうかではなく、フランス皇帝やフランス王について回るもののようである。

オーストリアのハプスブルク家から来て皇后になったマリー・ルイーズはナポレオンⅡ世ライヒシュタット公を産んだが、ナポレオン没落後は息子をウィーンに連れ帰っている。

ナポレオンⅡ世、この悲劇に満ちた貴公子が夭逝した原因は、ウィーンの宮廷において幼少時より侍女たちから性の手ほどきを受け、それがために内臓疾患で死んだという話がある。


「ぶっちゃけ、ハプスブルクって政略結婚という名の枕営業で成り上がった家だろ?」


「は、はぁ……」


中々に嫌そうな顔でカトリーヌ・ド・メディシスは相槌を打った。

無論、これも彼女の夢の中でである。

正直に言って、婚姻政策の手を広げ過ぎたせいで縁組対象が親戚状態になったがために、

血が濃くなりすぎて「近親相姦になったから男系子孫が絶えました」とか、ハプスブルク家ってバカじゃないだろうか。

ほどほどにしときゃいいものを……


とにかく、これで基本的な工作は終了した。

カトリックと魔女狩りについての嫌悪感も植え込んだことだし、これで基本路線は押さえたというところだろう。

そんなわけでパリへ戻ることにする。



「太郎殿、陛下が私をお召しになられた」


コリニー家のパリ屋敷に帰着したら、すぐに提督から呼ばれた。

執務室に出向くと開口一番にそんなことを言われる。

提督の表情にはどういうことだと物問いたげなものが露骨に現れていた。


「どうしたもこうしたも判りませんが、陛下が閣下をお呼びなのでしたらこれをお渡し願えませんか?」


そう言って、指輪を取り出すと提督が手に取る。


「これは?」


「コミュニケーターに御座います。閣下」


仕草で着けるように指示をして俺も指に嵌める。

材質的には装飾などは何もない、ただの金の指輪だが通信用の魔術が仕込まれてあった。

いわゆる以心伝心というやつである。


「Bonjour」


「な、なんだこれは!?」


驚いて立ち上がる提督を落ち着かせると俺はこの指輪の仕様を虚実交えて説明する。


「これはプレスタージョン王より賜った特別な下賜品に御座います。

 幾つかありますので、贈り先を相談の上で特別にお譲りいたしましょう。

 これを密かに国王陛下へとご献上なさいませ」


そう言ってさらに一個、提督の掌に載せた。


「……まだあるのか!?」


コリニー提督は驚きつつも考える。


「明日、コンデ公にお会いする。太郎殿も来てくれ」



翌朝、コンデ公の屋敷を訪ねたコリニー提督と俺は、ユグノー派の首領であるコンデ公に指輪に偽装した魔道具を渡す。

半信半疑のコンデ公も実際に使用してみるとひどく驚いた様子であった。

早速、ユグノー派幹部同士の通信ネットワークの構築について考えだしている。


「これがあればフランスの何処ででも迅速な対応ができる」


そんな思考がコンデ公の口から漏れ出てきた。


「それでガスよ、これを陛下にも献上するのか?」


「一応はそのつもりです。陛下が我々に同心していただけるのであれば、ですが」


「その辺は大丈夫であろうの。陛下は大層ガスを慕っておられるからな」


「はい、閣下。臣の身としては身に余る光栄に御座いますが」


「うむ。ガスパール・ド・コリニーよ、陛下への奏上、上手くやるのだぞ」


こうしてユグノー派内部での根回しを進めて、コリニー提督はシャルル九世のお召しに応じて王の住むアンボワーズ城へと登城する。

……のだが、結論を言えばこの会見は成功裏に終わった。

裏で結託して教会と貴族を潰す策謀が氷山の下で着々と進められていく。


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