第65話フランス革命阻止作戦Ⅰ
その後も俺とラヴィニアの暗躍は続いた。
追いかける官憲側はギーズ公を中心とするカトリック貴族の私兵が務めたために、追及をかわし続ける俺達によってその威信は丸潰れとなっていく。
一方、カトリックの悪徳貴族や商人、坊主から金品を強奪しては、パリの下町で全額ばら撒いているラヴィニアは「セーヌのレイス」として庶民のヒーローになっていった。
無論、俺はといえば影働きに徹している。市井の英雄は一人だけでいい。
ユグノー派が疑われないように、こちらにも相談のうえで押し入る芝居をしては金を文字通り頂いていた。
元々、パリはカトリックの力が強い都市だ。
そのせいで歴代国王ですらパリに入れないことがある。
とはいえ、ヴァロア王朝後期のフランス王がパリに居住せずロワール川沿いの城館を居城に定めているのはそれだけが理由ではないのだろうが……
「それで、エティエンヌ・ゴーの方はどうなりました?」
俺の問いかけにコリニー提督は苦虫を噛み潰した顔になる。
「やはり駄目でしたか」
「ああ。太郎殿の読み通りとなった。
ポアシー郊外の城館は書類上、エティエンヌ・ゴーの持ち物ではないと判明している」
「それではあのアジトに居た連中の背後関係の洗い出しはどうなっています?」
「番頭の一人が勝手にやったことだと主張されてそれっきり。
しかも御丁寧にもそれを証明する資料と共にセーヌの流れに浮かんでたという始末だ」
「それはどうみても口封じですね」
「だが、エティ・ゴーの関与を証明する証拠がない限り手は出せん」
提督は両手を広げてお手上げの仕草をした。
「では暗殺してしまっては?」
「下手にやれば殉教者を作り出すことになるぞ」
「そうですよねー」
提督の指摘には俺も頷かざるおえない。
攻めるべきは旧教派貴族ではなくて旧教徒の心なのだ。
カトリック信者の心を教皇とローマから引きはがす必要がある。
それができなければ過半数を取れず、そうなるとユグノーの敗北は間違いない。
或る意味で、心理戦は戦場での戦いよりも厄介だった。
だからそうなってくると新たな変数をこの戦場にぶち込む必要が生じてくる。
「コリニー閣下、ちょっとパリを留守にします」
この発言にラヴィニアが鋭い視線を俺に投げかける。
お市やルイーズはまた始まった、という顔で俺を見た。
「何かするのか?」
これはコリニー提督。
「此度のいくさは王を押さえるだけでは勝てないでしょう」
俺の指摘に提督は考え込む。
「だが、ブルボン家のコンデ公は王を擁すれば勝てるとお考えだ」
ユグノー派の首領はこの当時、カペー家初代ロベールと男系で繋がったブルボン家一門のコンデ公だった。
ちなみにヴァロア王朝の王家たるヴァロア家もまたカペー家の男系子孫であるから、ヴァロアとブルボンは遠縁ではあっても親戚と言っていい。
抑々(そもそも)上流階級とはそういうものだ。
そして、俺はコンデ公の希望的予測を否定する。
「その見通しは甘いのではないかと。
カトリック勢力の力の源泉は各地に点在する教会を通じた強固な地盤にあります。
そしてこの地盤はユグノーにはありません。あくまで個々人の信仰の連帯による繋がりのみ。
今はまだいくさをする時ではないと思います。攻めるべきは城塞ではなく敵の地盤です」
俺の指摘を受けて提督はさらに深く考え込む。
時折、唸り声を上げもした。
ややあって――
「わかった。コンデ公にもお話しよう。
済まないが太郎殿にも付いて来てもらえんだろうか」
「承りました。お付き合い致します」
お市が俺の敬語を薄気味悪そうに聞いているが、無視だ。
とにかく、これで俺はユグノー派の首領に面会することになる。
「お久しぶりに御座います。閣下」
「ガス、よく来たな。最近は随分と御活躍ではないか」
「はい。これなる太郎殿の手助けもあり、何とかなっております」
提督の紹介を受けて俺は軽く頭を下げた。
コンデ公は俺を見て「うむ」と声を掛けるとすぐに提督との会話を再開する。
「それで今日は何の用件かな?」
「東方の珍しい品々が手に入りましたものでご紹介に上がりました」
「ほう。東方の珍品とな」
コンデ公の問いかけにコリニー提督はそうだと首肯した。
「これなるは私の客人で東の果ての国、ジャポンよりの使者、
太郎殿は我らユグノーとの同盟を求めてフランスまで参られたとの由」
「東方はジャポンの今川家よりの使者で商人の
と、こんな具合に挨拶が済んだ後は、軽く場を温めるために日本から持ち込んだ工芸品の展示会となる流れだ。
この時に留意すべき点は、商売人にとって、扱う商品の品揃えと陳列は自身のありようを顧客にアピールする格好の場であるということである。
だからあだやおろそかにはできない。見る目の有る者はそういう所まで見抜いているものだ。
よって商談とは常に真剣勝負であるのは言をまたない。
幾つかの品が高値で売れた。
やはり西洋にはない漆器類がコンデ公の興味を引いている。
暫くの間、美術品の鑑賞会といった風で会話は進む。
「久しぶりに良いものを見せて貰った。礼を言う」
「お慶びいただき恐悦至極に御座います」
ここまでの流れが本題前の挨拶だ。
洋の東西問わず、上流階級のお偉いさんというのはこういう会話の流れで相手の為人(ひととなり)を読み合って、続く商談に備えるものなのだが、庶民上がりの者はそれがわからないからすぐに本題に入って不興を買う。
もう、ここらへんは生活環境の違いとしか言いようがない。
庶民からすれば無駄としか思えない会話の流れは、上流層にとっては人物のスクリーニングとしての意味があった。
「では、本題に入ろうか。今日は何か伝えたいことがあるのではないか?」
「はい。閣下には挙兵を繰り延べていただけないかと思い、罷り越しました」
「これは驚いた。我らユグノーの闘将と謳われるガスがそのようなことを言うとは……!」
コンデ公はさも驚いたといった風に両手を広げてみせた。
「私も最初は主戦論でしたが、こちらの太郎殿の意見を聞いて考えが変わりました」
「ほう。それはどのように変わったのか興味があるな」
コンデ公ルイⅠ世の目がきらりと光る。
俺はその目を見返すと平板な声音で告げた。
「およそ国の政権というものは大衆という海に浮かぶ船にございます。
海の状態を無視して航路を採れば座礁して沈むことも御座いましょう」
「なるほど。政権を船に譬えるか」
「はい。今、フランスという船はカルヴァン派と旧教派で舵の奪い合いをしておりまする。
国民の大半がカルヴァン派に改宗しているのであれば、舵を奪うだけで事足ります……」
「だが、そうではないと言いたいのだな?
確かにそこもとの申す通り、我らカルヴァン派は多数ではない」
コンデ公ルイⅠ世は渋々ながらも頷いた。
「ご賢察の通りにございます。
なのでフランス国民の大半を教皇とローマから引きはがしてカルヴァン派に改宗させる工作をまずは行うべきです。
大衆という海を味方にせねば、たとえ船の舵を握っても難破してしまいますゆえ」
「うーむ。言われてみれば確かにそうだ。今、ここでの挙兵は軽挙ともなろう。取り止めとするか。
だが、集めた兵はどうするべきであろうな……」
思案するコンデ公に俺は提案する。
「では、このようにしたらどうでしょうか?
集めた兵のうち、不要不急となった数を船に乗せてジャポンとの交易任務に就かせるのです。
こうすれば兵の維持費を稼ぎ、海兵としての練度も保てるのではないかと」
「わかった。そうするか。
ではガスパール・ド・コリニーよ、向こうから戦端を開かぬ限り、こちらからの挙兵はせぬこととする」
と、そこまでコンデ公が言った時に、俺はあることを思いついた。
「それと閣下、イングランドとの同盟などはやめた方がよろしいかと思います」
「何故だ? イングランドから兵を借りれば旧教徒軍と互角に戦えるではないか?」
「いいえ、それは悪手にございます。
閣下は百年前の戦争をお忘れですか?」
「いや、忘れてはおらぬ」
「イングランドの軍を引き入れてしまえば、ユグノーはフランスを裏切ったと国民に見做されかねません。
武器や資金の提供を受けるのは構いませんが外国軍の進駐だけは絶対にやってはいけないことです」
「ではどうせよと言うのだ」
「受け入れるのは義勇兵のみにして、新教徒の外人部隊の指揮権はこちらが持つのです。
あくまでも、苦境にあえぐフランス新教徒を救うべく、義を以て馳せ参じた諸国よりの勇士という体裁を取るべきです。
これならば外患誘致とのそしりを受けることはありません」
「閣下、私も太郎殿の案でいくべきだと思考します」
思案に耽るコンデ公だったが、コリニー提督が放った一言でその心中は決した。
この時を以て、栄光あるフランス帝国外人部隊の歴史が始まる。
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