第63話エレオノールのはつこひ
夕闇の中、ポアシー郊外で俺はコリニー提督の部隊が来るのを待った。
薄暮の残照が墨を流したようにかき消えていく。
やがて、いくつもの松明の火が闇の中に浮かび上がった。
先頭を歩いてくるコリニー提督が俺を認めると無言で頷いてみせる。
それを合図として、脱兎の如くに俺は駆け出した。
「まてぇ! そこな臭ぇ者待てぇい!!」
曲者じゃなくて臭ぇ者かよと笑いながら俺はエティエンヌ・ゴーの秘密アジトに駆け込んでいく。
後ろからくるコリニー提督の海兵を振り切ってしまわないように配慮しながらだ。
背後からの鬨の声におかしみを感じつつエティ・ゴーの秘密アジトに向かっていると、何やらアジトの方が騒がしい。
剣戟の音や叫び声が聞こえてくる。
あ……、今、城壁から人が落ちた。と、思ったら、また落ちた。
「あー。先を越されたか」
失敗したなと思いながら半開きの城門に向かう。
「逃がすか!」
言いながら俺は掌底で脱走を図る傭兵のグループを吹き飛ばす。
逃げ出そうとしていたやつらは衝撃のあまり、空中で一回転してどさりと地面に落ちた。
そこへ背後から追いついてきた提督の部隊が展開して次々と縛り上げる。
「賊は城の中に逃げ込んだぞ! 出入口を固めろ!! 絶対に逃がすな!!!」
コリニー提督は麾下の部隊に檄を飛ばしてそれぞれの持ち場に急行させた。
俺はそれを後目(しりめ)にして城門内部に突入する。
「はぁっ!」
「甘いわ!!」
「ぐっ!」
城内では顔にドミノマスクを着けた若い女が高位貴族らしい身なりの若い男と死闘を繰り広げていた。
「もう後が無いぞ! これで終わりだ!!」
男が必殺の突きを繰り出そうとした瞬間、俺の手が動いた。小柄を投げる。
「……やるじゃねぇか」
俺が投げた小柄をスモールソードの一突きで撃ち落とした男は標的を俺に変えた。
ドミノマスクの女がさっと男から飛び退くのを確かめて、俺は彼女に視線で合図を送る。
……城内を頼む。
……わかった。
目線だけの会話でそれだけのやりとりを終えると女は城の内部に飛び込んでいった。
内部から次々と男たちのうめき声が上がる。
「そのマスク……どうやらお前が親玉のようだな」
俺は男がしゃべるのを黙って聞いている。
男は言い終わらぬうちに刺突を繰り出してきた。
確かに速い。
その剣速はすさまじく、コントロールも比類がない。
だが、それだけだ。
所詮はお坊ちゃま剣法である。
いくらスピードが速くとも刺突に特化した刃の無い剣なんぞどうということはない。
突き出された剣先を無造作に掴むと、俺はぐいと男を引き寄せた。
そしてたたらを踏む男の腕を取って、投げっぱなしのフロントスープレックス。
「くっ……」
空中で悪態をついた男は体を入れ替えて着地、傍らに落ちていたサーベルを手に再び挑みかかる。
突きにのみ頼った攻撃の不利を悟った男は、斬り払いを交えての攻撃に切り替えた。
しかし、俺には届かない。
確かに剣速は早いし剣さばきも大したものだ。
俺はレイピアを抜く。
金ッ!
俺の刺突をサーベルで男が防いだ。横に払って俺の懐に飛び込もうとする。
そこで俺はすかさず地面を蹴る。つま先が地面に喰い込むと土くれが飛沫となって男の眼前を覆う。
舌打ちをした男が顔を横に振って避ける。
俺はそこへ剣を送り込んでいた。
男の頬に赤い線が走る。
咄嗟に男は左手で頬を触った。
手のひらが赤く染まる。
「やりやがったな!!」
血を見て逆上した男が俺に突きかかる。
手負いとなったせいか、男の攻撃はさらに速さを増した。
増速する剣閃。
だが、所詮は素早さと突きの距離感の掴めなさに頼っただけの剣法だ。
その直線的な動きは容易に読み解ける。早さに対応できれば、だが。
数合にわたる俺とのお突き合いの中でおのれの不利を悟った男は苛立ちを強めていった。
やがて力の差を悟った男は悪態をつき始めた。
「クソっ」
男が怒りを口にした直後、コリニー提督の部隊が一斉に突入を開始する。
「いたぞ! あそこだ!!」
部隊の兵士が俺を指さして叫び、突撃の構えを取った。
「若!」
「お前! この借りはいつか必ず返させてもらう!!」
いつの間にか船着き場に辿り着いていた執事が男に呼び掛けると、男は捨て台詞を残して埠頭へと駆け去る。
俺はその襟首に発信機を投射した。
「賊はここだ! 捕まえろ!! 絶対に逃がすな!!!」
棒読みの兵士達がにやにや顔でゆっくりとにじり寄ってくる。
俺は煙玉を地面に叩きつけた。
あっという間に周囲が煙幕に包まれる。
「消えた……!」
「おい。どこへ消えた!?」
コリニー提督以下兵士たちが呆気にとられた。
「なんだこれは?」
「どうしました?」
ドミノマスクを取った俺は何食わぬ顔で提督に近づくとそう尋ねた。
「不審者に逃げられた」
「そうですか、それは大変ですね」
俺は残念そうに相槌を打つ。
「ああ、だが、案外と身近なところにいるのかもしれん」
「そうですね。ことによると提督閣下の横に立ってたりするかもしれませんね」
棒読みでこんな会話を続けていると城の奥から囚われていた娘達が次々と助け出されてきた。
その中にひときわ目に付く少女が一人混ざっている。
「まったく! ひどい目に遭いましたわ!!」
憤懣やるかたないといった風情の少女は、提督の姿を目に留めるとこちらに向かって歩み寄った。
「閣下、このたびは助かりましたわ。お陰であの陰鬱な穴蔵から出ることができました」
にこやかに話しかける娘を見て、コリニー提督が俺に目線で問う。
……お前が巻き込んだのはこの娘の実家か?
……そうだ。
俺の無言での回答に提督は少々渋い顔をしてみせた。
「ええと、貴女は……」
「ナオミ・エレオノール・ド・モンテーニュ、実家はポリティーク派でございます。
閣下、どうかエレオノールとお呼びくださいませ」
カーテシーを取りつつエレオノールが言う。
何やらコリニー提督はこの年若い少女に押され気味のようだった。
よくよく見ればそのきつい顔立ちから、無慈悲な夜の女王とでも表現できそうに思われる。
後で提督に聞いた話だと、頭が切れる上に言動がかなりきついので貴族社会でも非常に恐れられている存在だということだった。
その無慈悲な女王たるエレオノールが恋する少女の眼差しでコリニー提督を見詰めているのだから、彼にとっては恐怖以外の何物でもないのだろう。
ガスパール・ド・コリニーⅡ世は今年で四十三になる。
そんな男が十八歳の少女に気圧されているのだ。
しかもコリニーには妻と一男一女と家族が居る。
ブルターニュの有力貴族の娘シャルロット・ド・ラヴァルを妻に迎えて、子は産まれた順に上からルイーズとフランソワと名付けたのは、溺愛する姪のルイーズにちなんでのことだろうか。
それでも部下の居る手前、狼狽したそぶりを見せるわけにもいかず、コリニーは毅然として応対するようだ。
「モンテーニュ殿、此度のことは災難であったな。どうか我が屋敷でゆるりとくつろがれるが良い」
言いながら提督は俺を睨んだ。
どうしてこの女を攫ってきたのだと。
それに対して俺は肩をすくめてみせた。
「ガスパール様、どうか、エレオノールとお呼びください」
エレオノールが提督にすごい笑顔を向ける。
「う、うむ。エレオノール殿。実家より迎えがくるまでの間、我が屋敷で過ごされよ」
「閣下よりの身に余るお言葉、感謝に耐えませんわ」
その微笑が怖いとコリニーは思ったようだ。
そんな二人の下へ次々と生き残りの傭兵たちが引き出されてくる。
コリニーは彼らを海軍本部へ連行するように指示すると後は副官に任せてエレオノールを屋敷までエスコートすることに。
後でおぼえてろよという視線を俺に向けてだが。
俺は提督の副官に挨拶して立ち去ることにした。
それというのも抜け駆けをしたドミノマスクの女を見つけたからだ。
俺は女の後をつけて歩く。
人気が途絶えたところで後ろから声を掛けた。
「今日は御活躍だったな」
俺の声に反応した女はレイピアを抜いて構えた。
「おいおい。俺はお前とやる気はないぞ。味方のようだからな」
「ハッ、どうだか……」
蓮っ葉な物言いと共に女は俺を睨みつける。
「信用できないという顔だな。だが、そんなことはどうでもいい。
お前、カトリック派は憎くはないのか?」
何を言うのだといわんばかりに女が俺を睨む。
「なら話は簡単だ。俺がお前に敵を打ち破る技を教えよう。
アイ・プロミス・ティーチ・ユー・カラテだ」
それだけ言うと俺はその場を立ち去る。
どうやら発信機の移動は止まったようだからな。
急いで目的地へと向かうことにする。
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