第60話偽旗作戦



森の中に入り、フィリーに「フライ」をリクエストする。

フィリーが俺の魔力を吸うと重力の枷から外れて身体が上へ上へと落ちていく。

パリの全域が眼下に広がる状況からセーヌの流れが河口まで一望できるようになり、ピレネーの山々までが視界に収まる。

フライを切った俺はボルドーの先でガロンヌ川と合流するドルトーニュ川の中流部へと重力に引かれて落下した。

音速に近づくにつれて圧縮された空気が熱を持ち始めるのがわかる。

地面直前でフライを再起動して急制動をかけると衝撃波が地面を打った。

地揺れに驚いた鳥たちが木々の梢から飛び去って行く。

どうにもこの方法での長距離移動は苦手だ。俺には上手い調整ができない。

だから強行着陸を察知されないために、かなり遠くに下りるしかなかった。

降下地点はドルトーニュ川下流の屈曲が始まる前の直線部である。

川の北岸に下りたからそのまま北東へ向かえばいい。

フランスは基本的に国土の大部分が平野部から成っている。

平坦な国土は陸上移動が容易なため目的地にはすぐに到着できた。


狙うべき相手のいる城艦を外から眺める。

深く寝静まった城塞は巡回の兵を除いて動く者はいない。

そして堀の無い城は侵入が容易だ。

シュレディンガーの猫を起動して俺は塀を駆け上る。


「……ん」


「どうした」


「いや、なんか気配がしないか?」


そう問いかけられた兵が周囲を見回している。


「何もないぞ。気のせいじゃないのか」


「そうかなぁ? 何か居るような気がするんだが……何もないよな」


きょろきょろと周囲を見回していた兵士が何もないことを確認して首をひねっているのを尻目に、俺は城館内へ忍び言った。

目指すは誘拐相手の寝室である。



「ここでいいんだよな?」


俺の眼前に天蓋付きのベッドで眠る若い女がいる。


「えーと、確か年は十八歳だったよな」


齢十八と言えば早婚が常識の時代では立派ないきおくれである。、

もっとも、俺にはそういう認識はないんだが、この時代の共通認識はそれだ。


「根はやさしいが、気が強い上に言葉がきついということで敬遠されて縁談の一つもないじゃじゃ馬……」


そういう事前情報通りの面立ちではあると思う。

ルイーズみたいにちょっと釣り目気味で金髪ロングのストレート。

顎から頬にかけての線は気の強さが前面に現れてたような鋭さで、ああ、こりゃあ、男からすれば付き合いたくない女の上位に入るタイプだな。

まぁ、美人ではあるんだろうけども、その美貌が鋭さを必要以上に強調しているから男が震え上がるというわけか。


……こんなのを誘拐して大丈夫なんだろうか?


一瞬だけそう思うが、中間派たるポリティーク派の有力者が溺愛する娘なのだから利用価値はあると見ていい。

しばし悩んだが、とりあえず連れて行くことにする。


睡眠薬を吸い込ませて昏睡状態におき、夜着のままの彼女を抱え上げて窓から空に飛ぶ。

「フライ」で上空への落下と地面への降下を繰り返して夜明け前のポアシーに辿り着いた。

シュレディンガーの猫で存在を薄くしてエティエンヌ・ゴーの城館に忍び込むと、地下に睡眠ガスを送り込んで全員を眠らせる。

机に突っ伏して眠る監視役の兵士の横を通って少女がひしめき合う牢の鉄格子を開けて、誘拐した娘を放り込んだ。

娘には認識が阻害されるように細工してあるから拉致されたユグノーの娘の一人としか誰も思わないだろう。

俺は牢に施錠をして城館を後にした。


一夜明けてコリニー邸に戻った俺は提督閣下に上首尾を報告すると徹夜明けの睡魔を取るためにベッドに直行した。

提督は麾下の海軍部隊を直卒しての夜間演習の打ち合わせに入るようだ。

不審者である俺がエティ・ゴーの城館に強盗に押し入って派手に暴れている所に提督の部隊が駆けつけるというストーリーがすでに組まれてある。

当座は何もすることがないので明日の深夜まで暇となった。


「フィリー、おやすみ……」


そうつぶやいてベッドにもぐりこむ。

俺の意識は闇に消えていった。



♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡



怪しいと思っていた。

心の中で警鐘が鳴っていた。

最初に見た時から気付いていた。

あの男は危険だと。


エティエンヌ・ゴー傘下の奴隷商人の遺品から得た情報でポアシー近傍にあるエティ・ゴーの秘密アジトを知ったラヴィニアは夜を待っていた。

人気が絶えた頃を見計らって屋敷を抜け出たラヴィニアは太郎が屋敷を抜け出すのを目撃する。

不審に思ったラヴィニアは太郎を追おうとするがあまりの速さに置いて行かれたのだった。

太郎の正体を暴き損ねたことをラヴィニアは悔しがるがすぐに優先順位を思い出す。

そうだ、エティ・ゴーのアジトに潜入せねば、と。


そうして押っ取り刀で駆けつけたゴーの秘密アジトだったが、警戒が厳重で忍び込む糸口がつかめない。

仕方なしに城壁の凸凹や周囲の状況を確認していたところで、背後から近づく足音がした。


「くっ……!」


とっさに飛びのくとラヴィニアはレイピアを抜いた。

月光を浴びて殺意を帯びた刀身がぎらりと輝く。

修練を重ねた渾身の一突きを放つ。


背後から近づいてきた不審者はどうやら男。

男はラヴィニアの突きを躱して後方に飛びのいた。

すかさず追撃の刺突を突き込む。

後退した男へさらなる追撃をすると彼女のレイピアが弾かれた。


いつの間にか不審者もレイピアを手にしている。

そしてそこから二人は激しい尽き合いを繰り返す。

暗闇の中、月光を浴びた銀色の刀身が踊った。

金属同士が擦れる硬質な音が絶え間なく流れる。


ラヴィニアの突きを躱した男の剣が彼女の剣を振り払い、ラヴィニアのレイピアを巻き込むような動きで突きを放つ。

突きが主体の剣術は前後の間合いが命だ。

距離感が掴みにくい突きは気を抜くとすぐに目の前となる。

ラヴィニアは不審な男に誘導されていることに気付いていた。


「私をエティエンヌ・ゴーのアジトから引き離そうとしている……?」


気付いたのはそのことだけではない。

コリニー提督に取り入った、東方から来た怪しい商人と同一の動きをしていることに。


「(……危険だ。目の前の男の服の下の筋肉の動き方があの商人と同じだ。もしや、教皇が送り込んできた間者なのでは!?)」


ラヴィニアは幼いころからの剣の修行の過程で、相手の服の下の筋肉の動きを読むことができるようになっていた。

もっとわかりやすく言えば、彼女は服の下にある他人の裸体を透視するように読むことができる。

服の下の筋肉の動きが読めれば、敵の動きが予想可能だ

そして、彼女はその習い性として、他人の服の下を「透視」する習慣が身についてしまっている。

これが、ドミノマスクの下に隠された太郎の正体に気付くきっかけをラヴィニアに与えたのだった。


「(私の剣にこの男は押されている……! だけど、その確信には何かが足りない!!)」


突き合いを繰り返す中でラヴィニアが自問自答していると、アジトの正門あたりが騒がしくなってきた。

突きの合間に確認すると松明が焚かれ、城兵が周囲をうろちょろしている。


……これでは忍び込めない!


ラヴィニアが臍を噛むと、目の前の危険な男がドミノマスクを投げつけて言った。


「船積みは三日後の夜だ」


それだけ言い残すと教皇の間者と思しき男はあっという間に消えていた。

ラヴィニアは地面に落ちたドミノマスクを顔に着けてみる。

その装着感にはひどくしっくりとしたものがあった。


「三日後の夜……!」


彼女は父の遺品となったレイピアの柄を握りしめた。

必ずあの不審者の正体を暴いてやると。


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