第44話フランスへ行こう
フランスへ行くことになった。
日本刀とか水墨画は堺で調達するとして、香辛料として持っていくのは生姜と日本が原産地の山椒だ。
生姜は中世ヨーロッパにおいて胡椒と同等の値段で取引されていたし、山椒は原産地が日本で欧州にはまだ入っていない。
これらを持って行って反応を確かめる。
胡椒に関しては小笠原やウェーク島で栽培可能か試してみるが、グァム、サイパン、パラオなどが本命だ。
そして、フランス人と今川家の意思疎通の問題も解決しておかないといけないので、オスカルとアンドレア、それから氏真に言語スキルを付けておいた。。
「氏真、フランス語が分かることを知られるなよ」
「何でだ?」
「こちらにフランス語が分かる者がいないと思えば、内輪の相談も大っぴらにするじゃないか」
「だからお前はフランス人が内緒の相談をしていても気づいていないふりをしろよ」
「……なんというか。疑い深い話だな」
氏真が呆れたように言うから、それは違うと俺は指摘する。
「これはそういう問題じゃないんだ。
氏真、なぜ、盟約を結んだ相手に忍者を送り込む?」
「……そりゃ、裏切られても困らないように裏切りの芽を見張るためだろ?」
「いいや。それだけじゃない。
相手の弱みを押さえるのは裏切られた時の為以外にも、同盟相手が崩れるの防いで支える意味もある。
堅固な同盟相手なら、自己崩壊で潰れることが無いように相手の弱みも熟知しておかないとな」
「わかった。同盟相手が滅んでしまえば、それは裏切られたと同じことだと言いたいわけか。
そして、それを防ぐためには相手の弱みを知った上で動くと」
氏真はすぐに気づいたようだ。
理解している様子を確認して俺は言葉を続ける。
「だから、北条武田長尾に間者を送るのは妥当な行いだ。
岡目八目、当事者には見つけられない蟻の一穴でも、余所者ならば気づくこともある。
なので、こちらに入り込んでいる北条武田長尾の間者についても、監視下において泳がせておいた方がいい」
「ならば、敵の間者はどうする? 泳がせるのか?」
「基本はそうだ」
「なんだって?!」
素っ頓狂な声を上げて氏真が立ち上がった。
「お前っ、敵の間者だぞ! 好きにさせておくのか!?」
「その通りだ。厳重な監視下でフルマークした上でな。
そしてこちらにとっては痛くもないネタをそいつに渡す」
「……なんでそんなことを?」
理解できないといった風情で氏真が息を吐く。
「どんなものでもネタを提出したとあれば、その間者の評価は高まるだろう?
こいつの持ち帰ってくるネタは間違いが無い、っていう風にな。
そして……」
「嘘を掴ませるわけだな」
途中で気が付いて氏真が正解を口にした。
俺はその回答に大きく頷いてみせる。
「それまでの実績から、そいつのネタはそれほど疑われることなく鵜呑みにされる可能性が高い。
致命的な場面でガセネタを掴まされた敵が情報を精査することなく動いてくれる。というわけだ」
「なるほど。よくわかった。だが、そうなると、間者となる者の数を増やさんといかんな」
「それは仕方ないだろう。事が起きてから右往左往しても仕方ない」
――といったことがあって、オスカルとアンドレアを連れて小田原まで挨拶に行くことになった。
とりあえず顔つなぎだけはしておいた方が何かと都合がいいだろう。
伊豆半島を船で迂回するよりは箱根越えの方が早いだろうということもあって馬での移動となる。
清水から三島まで東海道を動いてそこから北へ折れて箱根越えだ。
中世欧州では肉食が一般庶民にまで広まってはいないから、当時のヨーロッパ人もそこまで体格が良いわけではないとはいえ、日本馬の乗り心地の違いには戸惑っている。
今川家白薔薇騎士団の為にも、是非、向こうの馬を手に入れないとな。
「……その方らが、フランス人と申す者らか」
大広間で面会すると氏康は物珍しそうにルイーズ達を見た。
この面会は顔つなぎの意味が大きいから、大広間で家臣一同が登城してのものとなっている。
ラ・ドーフィネ号の船長、オスカル=カミーユ・フラマリオンが代表して口上を述べると、副長のアンドレアが通訳に入る。
その通訳ぶりは一言で言うと、サッカー日本代表の監督がフランス人のトルセーだった時代のフランス人通訳とそっくりだ。
身振り手振りありで熱のこもった通訳で、これには氏康も少々呑まれかけていた感じがある。
「……交易をしたいということは分かった。
ところで、鉄砲は手に入るのであろうな?」
この氏康の問いかけにオスカルは困ったような顔した。
それはそうだろう。
ポルトガルは各地に植民地を保持していて、そこが物資の集積地として機能している。
一方、フランスは新参者で、フランス製品はフランス本国から商品を持ってる来るしかない。
スペインポルトガルのように日本近傍の植民地に物資をデポしているわけではないからな。
なので俺が答えることにする。
「北条殿、鉄砲に関しては、今後、今川家が製造して売りますのでそれをお買い上げください。
つきましてはフランス国の商人との取引で銭を貯めていただきたく思います」
「今川が、か?
まぁ、いいだろう。しかし、稼ぐとは言っても何を買いたいのか分からねば無理というものだ」
「ごもっとも。今、南蛮や紅毛人の国で売れているのは胡椒。そして、生姜にございます。
何やら同じ重さの金と交換できるとか」
「何? 金と? あの胡椒がか?!」
驚いたように氏康が叫ぶ。
「はい。彼の国々は富を持つ権力者が肉を喰うために胡椒を必要としております。
胡椒や生姜無くして肉の臭みは消せませんので」
解説を聞いて氏康は怪訝な顔をした。
「富を持つ者のみが? 庶民はどうしておるのだ」
流石は四公六民の北条家というべきか、庶民生活に疑問を抱いている。
「庶民は貧しく、肉を喰うことができません。なので肉の代わりに豆を食べております」
「うむぅ……」
俺の言葉に氏康が考え込むがこれは事実だ。
中世ヨーロッパにおいては庶民の食生活は貧しく、肉食はほとんどしていない。
実質的にはベジタリアンだったと言ってもいい。
なぜこうだったかと言うと、抑々(そもそも)の話、ヨーロッパにおける階級構造が日本と違うという点が挙げられる。
王族貴族というものの持つ意味が日本と欧州では全く違うのだ。
はっきり言ってヨーロッパにおける貴族とは征服民族の末裔である。
なので、その国の庶民とは、ぶっちゃけてしまうと、被征服民族の末裔。
つまり、階級構造の違いは民族の違いでもある。
ゆえに、権力階級は庶民を顧みない。
だから、貴族階級の存在の正当化のためにノーブレス・オブリージュなどとわざわざ言い立てる必要が生まれた。
イギリスの「開かれた王室」などはその最たるもので、ノルマンコンクエスト以降の歴代王家には、その臣民であるイギリス人の血がほとんど全く入っていない。
このような状況で王家の正統性を担保するために出てきた理屈が「開かれた王室」というコンセプトだった。
そんなわけで庶民と上流階級の食生活は日本人の想像を絶した乖離がある。
「まぁ、他所のことはいいとして、八丈で胡椒を育ててみよう」
「上手く行きましたら買い入れたく存じます」
「うむ。その節には今川家に頼むとしよう」
こうして北条との顔繫ぎを終えた俺達は静岡へと戻った。
甲斐の武田と越後の長尾家には書状を持った使者が派遣されている。
山国の甲斐は良いとして、越後との繋ぎは最初に寄港した際に行うということになった。
俺の計画では清水を出たら船団は何処にも寄港せずに蝦夷地に向かう。
交易に蠣崎を噛ませたくないから、道東に直接乗り込む。
今はまだ無理だが、ゆくゆくは持っていくつもりでいるのは鉄砲だ。鉄砲を蝦夷地のアイヌに激安で流す。
そして蠣崎家には死んでもらい、硝石の販売で儲けるという魂胆だ。
駿河から塩を持って行って、蝦夷地で新巻鮭と交換、そのまま津軽海峡を抜けて越後で荷を捌くとい流れで、航海帰りは順路を逆にたどって清水に戻り、冬の間は南洋諸島開発に回す。
船団を分けたいところだが、船が足りないのでそれは後だ。
「では行ってくる」
「閣下への報告はお願いします」
「ああ。分かっている。オスカル船長」
清水港で俺はお市とルイーズを連れて堺へ帰る船に乗り込む。
ルイーズはオスカル船長との短い遣り取りの後で乗船してきた。
やがて、船が岸を離れる。
フランスへの旅が始まった。
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