第25話知識チートで飯が美味い



話は少し遡る。

義元のおっさんにくっついて静岡に来た頃のこと。

氏真とサッカー兄弟になったすぐ後――

俺は城の一室に居る氏真を訪ねていた。


「なあ、氏真。城の勝手方(台所仕事)を何人か貸してくれんか?」


「別にいいけど、どうするんだ?」


「ちょっと裏山に筍取りに」


「はぁ? 旬が終わりかけで硬くなりはじめたのなんか苦くて不味いぞ」


「別にそれでもかまわん」


俺の言葉に疑問を持ったのか氏真は書きかけの書面から目を上げる。


「ひょっとして何か美味いやり方でもあるのか?」


「ある」


「そうか、俺も行こう」



城の台所から料理人を引っ張り出した俺達は城の裏山へ向かった。

後ろから人足役で数名の足軽がついて来る。

城の裏山にはいささか大きくなり過ぎた真竹の筍が地面からにょきにょきと顔を覗かせている。


「太郎、これは喰えないぞ」


「大丈夫だ。問題ない」


料理人と目を合わせた氏真が俺に言うが、それを無視して俺は筍を取る。


「ほい。これも」


「……は、はい」


今一つ合点の行かない足軽達に俺は収穫した筍を持たせていった。


「氏真、お前もな」


「俺も?」


「ああ、これもサッカーの鍛錬の一つだと思ってくれ」


「そ、ぞうか? わ、わかった」


氏真にも持たせるだけ持たせると俺も筍の束を背負子で背負う。


「……じゃあ、行こうか。早く茹でないといかんから」


そうして俺達は山を下りて城へ戻ると調理場へ直行した。

筍を持たせた足軽にもついてきてもらい、軽く水洗いした筍を大鍋に次々と放り込む。


「……これはそろそろいいな」


鍋の前に立った俺は、中でぐつぐつと煮える筍の茹で頃を見ては次々と取り出し、料理人に手渡していく。


「皮をむいて短冊に切ってくれますか?」


旬が終わりかけの筍なんかどうするんだという疑問を顔に浮かべならがらも、料理人たちは俺の指示通りに筍を細い短冊切りにしていった。

氏真や足軽達は意味が分からないという様子でその作業を見守っている。

四半時ほどで茹で上がった筍は短冊型となって山のように積みあがった。

それを見て俺は満足げに頷いてみせる。


「よし、後はこれを塩漬けに……

 氏真、手伝ってくれ」


俺の呼びかけに応えて氏真が前に出るが、一体何をやるんだという疑問が顔に浮かんでいた。


「氏真、水切りをしたこの茹で筍を塩でまぶして甕に漬けて漬物にする」


俺の答えに氏真は「なんだ漬物か」という顔をしたが、取り敢えずは作業をしてくれる。

俺も他のメンバーと共に筍に塩をまぶして甕に次々と詰めていった。



「よし、これで終わりだ」


作業が終了したので、俺は皆に声を掛ける。

氏真以下、全員が納得のいかない表情のまま頷いた。


「なぁ、太郎。これ、どうすんの?」


「酸っぱくなるまで漬けっぱなしにするんだ」


「はぁ? わざわざ酸っぱくなるまで待つだってぇ?!」


皆を代表して質問した氏真は素っ頓狂な声を上げて驚いた。

他のメンバーもその反応に同意の仕草を見せる。


「氏真、要はこういうことだ……」


分かりやすいように俺は噛んで含めて説明をする。


「普通、塩で漬けると物が腐らないよな?

 でもそれを放っておくと腐らないけど酸っぱくなる」


俺の説明を聞いて氏真、それから料理人たちが「そうだ」と同意した。


これはつまりどういうことかというと、乳酸発酵が起きるということ。

まず第一に塩には殺菌効果があり、そしてしょっぱい。

このしょっぱい塩で漬け物を作るとしょっぱい漬物が出来上がる。


で、この漬物をそのまま放置し続けるとどういうことが起きるか?


答は「酸っぱくなる」だ。


そして大量の塩を突っ込んで漬けた、しょっぱくて喰えたものではない漬物がどういうわけか酸っぱくなっている。

しょっぱくて酸っぱいのなら想像しやすいというのに、あにはからんや、。しょっぱくなくて酸っぱい漬物が出来上がってしまう。


腐敗菌は塩によって殺菌されるのに、塩に耐性のある乳酸菌だけが増殖してそれが塩分を塩素とナトリウムに分解していくというプロセスが発生しているらしい。


恐るべし、乳酸菌。



……とまぁ、そんなことで甕に漬けこまれていた育ちすぎの真竹の筍は、夏の暑さの中で乳酸発酵が進んでいったというわけだった。

夏の終わりには酸っぱい匂いが甕の周囲に漂いだすくらいには。



「そろそろかな……」


甕の一つを前にして俺はつぶやいた。

乳酸発酵が進んだ筍は酸っぱい匂いを放っている。

筍から染み出した汁を指で舐めてみるが酸っぱいだけだった。

氏真や料理人を前にして俺は言う。


「じゃあ、この甕の分だけ天日干しにしよう。……氏真?」


「あ、ああ」


甕の中から摘み上げた筍を元に戻しながら氏真が応えた。

取り出して汁気を切った筍を板の上に並べて秋の日差しに当てる。

漁網で蚊帳みたいなものを作ると、日当たりの良い風通しの良い場所で筍の上に被せて干していった。

アジの干物の干し器みたいなやつを作ってそれで水分を飛ばして乾燥させるという塩梅。



そして戴冠式後に武田信玄と長尾景虎に会いに行って帰ってきた翌日、名実ともに当主となった氏真と俺は城の調理場にいた。


「……この干した筍を水で戻して炒め煮にする。あ、汁気は飛ばす方針で」


調理の方向性を示すと料理人が納得のいかぬまま作り始める。

その様子を見ながら氏真は「そんなの食べられるのか?」という疑問を口にした。


「まぁ、見てろって」


小一時間も掛からずに調理は終わる。

出来上がった物を銀食器の皿に盛りつけると俺は湯飲みに酒を注いで回った。


「ほれ、喰ってみろ」


「……お、おぅ」


俺の催促に恐る恐る箸を伸ばした氏真が筍の切れっ端しを恐々と摘んで、ゆっくりと口に入れる。


筍を口に入れた瞬間、氏真は固まった。


「うっ……美味いっ!!」


「だろ?」


「だ、だが何だこれは? こんなのは聞いたことがないぞ!!」


驚愕した氏真を前にして俺は筍を口に運ぶ。

それを見た氏真は我も負けじと筍に箸を伸ばしていった。


「これは明の料理で支那竹とかメンマというものでな、

 育ち過ぎた筍を茹でて塩漬けにして発酵させて作るものなんだ。

 支那竹を作って乾物にすれば京のみならず、博多や堺で明の商人にも売れるんじゃないかな?」


俺の問い掛けに力強く氏真が首を縦に振る。

こうして新たな家中の特産品、静岡名物今川メンマが誕生した。


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