第14話国境の長い坂を越えたらそこは飢饉だった



小田原で氏真と別れた俺とお市は一路三国峠へと向かった。

沼田の城下で風魔忍者の案内人と別れるとそこからはお市との二人旅だ。

「これでもう、二人っきりだね」とふざけて言った途端、お市には毛虫を見るような視線を送られたが、

それでもしっかりと背後から付け狙ってくるあたりに彼女の真面目さを感じてしまう。

途中、山中の温泉場で何度か野営をしたが、抜身の剣を片手にして木に背を凭せ掛けたお市が、寝ている俺をじっと見つめる視線にはひどく熱っぽいものがあった。



「これはひどい」


湯沢から津南を経て春日山へと続く道々、田畑の作柄を見ていたがそういう感想しか浮かんでこない。

越後の国が米どころと呼ばれるようになったのは、江戸時代に入って尾張などの先進的農業技術が入ってきてからだ。

それ以前の越後はというと、米どころでもなんでもない。

お市もこの状況に思うところがあるらしく、何やら言いたげな表情だったので宿に着いてからためしに聞いてみたんだが、「城の兵糧蔵を焼いたお前に話すつもりはない」と切り捨てられた。


「ひょっとして、お百姓さんが丹精込めて作ったお米を……と言いたいのか?」


俺の問いにお市は冷たい視線を投げかける。


「無言か。それならそれでもいいが、

 そう思うならいくさなんかするなとお前の兄に言いたいね」


「ぐっ……」


「そりゃ、お前やお前の兄貴にしたって言い分はそれなりにはあるだろうさ。

 だけどな、結果はそうなるんだよ。お前から見た正義や善がどうであろうと物理的な結果は同じなのさ。

 世界とは矛盾したものだ。それだけは言える」


こう言い返されてお市はただ睨むだけだったが、俺はお市の中に感情の揺らめきが起きていることを感じ取っていた。

そんなお市の揺れる視線を背後に感じながら外出の支度をし、いざ外へ出ようとすると無言でお市もついてくる。


「待て、どこへ行く」


「ついて来る気か?」


「背後から付け狙ってこいと言ったのはお前ではないか」


「まぁ、いいか。来い、アンジェリカ」


「……その名で呼ぶな」



お市と連れ立って俺は春日山城に向かった。

全身西洋甲冑のお市は大層な目立ち様である。

金髪碧眼でありえないほど長耳な絶世の美少女と陽光を浴びて銀色に光り輝くフルプレートアーマーの組み合わせとくれば人々の耳目を惹かぬわけがない。

通りすがりの視線を総身に浴びて居心地の悪そうなお市に俺は「言わんこっちゃない」とは思うのだが、まぁいいか。



見世物となった美少女を引き連れて春日山城の近くまで来たが、城兵の目は明らかにエルフ美少女のお市へと釘付けになっている。

全身甲冑で西洋剣を佩いているにも関わらず、お市への視線には警戒心らしきものは全く感じられなかった。

気付いた全員が全員、生唾を呑み込むようにしてお市の姿に見惚れたまま「ぼうっ」としているのには俺も笑ってしまう。


「お、おいっ」


焦った様子でお市が俺を呼ぶ。


「なんだ?」


「城兵どもに見られているぞ」


「お前だけがな」


「は? 何で私だけが見られるのだ?!」


どうやらお市にはその自覚がないらしい。

お市の隣にいるせいで俺は城兵たちの視界には全く入っていないようだ。

それまるで、真っ暗闇の夜道で対向車のヘッドライトをまともに浴びると目の前にある物体が視界から消えてしまうように。


「アンジェリカ、城兵が気にしているのはお前だけだから、全然気にするな」


「お、おいっ。な、何とかしろ。私は見られるのに慣れていないのだ」

お市の言葉は意外だったが、そういう性格もあるらしい。

当初の予定ではお市を置き去りにして城に忍び込むつもりだったが、こうまで慌てられてはそうもいかなくなった。

仕方がないのでフィリーに頼んで光学迷彩の魔法を俺とお市にかける。


「これで大丈夫だ」


「そ、そうか?

 周りが見えているのに周りからは見られていないと言われてもなんだか落ち着かん……」


「気を付けろよアンジェリカ。

 向こうからは見えていないだけで、俺達が居ないわけじゃないんだからな。

 ぶつかったりしたら、ここに居るのが確実にわかられてしまうぞ」


「う、うむ」


緊張した様子のお市を引き連れて俺は開いている春日山の城門をくぐった。

山城だけあって上り下りが多い。

音をたてないように歩こうとしてお市は難渋しているようだ。

坂を上りきると平場になっている。

見れば平場の先にあるお堂へとお膳を運ぶ武士の一団がいた。

足音を殺して物陰からにじり寄るとお堂の中からかすかに人の声がする。


「ん。いいよ」


俺は懐で居眠りをしているフィリーに声を掛け、引き戸の隙間からお堂の中に入るように頼む。

フィリーのスキル、共感覚によって俺はお堂の中の様子を知ることが出来た。


「……ロ奄 吠室羅摩那耶 娑婆呵」


薄暗いお堂の中で炎が揺らめいている。

締め切った部屋の中では三十路に入ろうかという若い女が読経にふけっていた。

髪を振り乱して一心不乱に真言を唱え、結んだ両手は小刻みにぷるぷると震えている。

明かりのない真っ暗な部屋の中、燃え盛る炎は女の両目を捕えて離さなかった。

揺らめく炎が陰影を作り出し、その陰が祈祷する女の心の中に忍び入る。


「これが長尾景虎……

 どう見ても、やってることは夫の浮気と子供の非行に悩んだ挙句あやしい新興宗教に狂った主婦じゃないか」


「お前は何を言っているんだ?」


俺のぼやきを耳ざとく聞き分けたお市が胡乱気な目で俺に問うたので、お市の肩に俺の手を乗せて視界を同調させた。


「ほれ、見てみろ」


「……うっ、なんだこれは?」


他者の視界を通して見る光景に眩暈を感じたお市が一瞬だけ寄りか掛かってきてすぐに飛び退く。


「アンジェリカ、お前は今、お堂の中の風景を見ている」


「……なんと。ではあそこで護摩を焚いているのが長尾景虎か」


「ああ。大方、家中不和に嫌気がさして救いを信心に求めたという所だろうな」


信者と書いて儲と読むと言ったのは誰だったろうか。

尋常ならざる異様な雰囲気の中に長尾景虎は居た。


「あー」


俺の口から思わず声が漏れる。

「どうしたのだ?」とお市がこちらを向いた。


「素人が護摩行なんかやるもんじゃない。

 あんなことをしていると変なのが寄ってきて大変なことになるぞ」


これはこん正男まさおのおっさんにも散々言われたことだが、暗闇の中での精神集中は精神医学的にもオカルト的にも危険が多いと。

視界が暗闇に染まり、自他の境界線があいまいとなった状態で揺れる火炎を凝視するのは催眠効果が大きすぎる。


――これはやる価値がある。


そう気づいた俺はフィリーにチャンネルを繋いた。


「フィリー、目の前の女に電波送信だ」


「わかった。むむむむむっ……」


俺の指示を受けたフィリーが両手の人差し指をこめかみの横に引っ付けて唸りだす。

この電波送信は念話よりも使い勝手が良くて魔力消費の少ない魔法を欲しがった王国のために正男まさおのおっさんが開発したものだった。

この魔法の原理は実に単純で、

人間の神経電流が頭部の周囲に作り出している渦巻き状の電磁場に魔力による干渉を行うというものだ。

この干渉を受けると生物はその脳内にローレンツ力による幻聴や幻覚が発生するという。


俺はこの電波送信を使って長尾景虎にプライベートメッセージをゆんゆんと送った。


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