猫の手を借りてしまった
名苗瑞輝
猫の手を借りてしまった
言霊使い。現代社会の表舞台からは消え、認知されなくなった存在。俺はその継承者だ。
言霊と一言で表すには易いが、実は深く掘り下げると多岐にわたる系統が存在する。それらを大分すると、言葉そのものに霊を宿すものと、言葉で霊を使役するものとがある。
俺が扱うのは後者。主に動物霊を扱うことに長けている。
そんな俺だが、今とてつもないピンチに陥っていた。
話は今朝にまで遡る。
いつも通り俺は朝食の準備をしていた。妹との二人暮らしの中で、朝食を作るのは基本的に俺の役目となっている。
「ご飯まだー?」
役目というとまるで分業してるみたいだけれど、実際のところ家事をやらされているというのが正直なところ。妹は何もしないのだ。
「こっちは猫の手も借りたいくらいなんだよ」
「もう借りてるじゃん、包丁使う手で」
「誰が上手いこと言えと」
そう言うのと、実際に手が猫の手になるのは同時だった。
猫の手を借りるという言葉と、そのイメージ。術を使うのに必要なものが揃ってしまったからだ。
しかもよりによって両手。包丁を持っていた右手から、掴みきれなくなった包丁がこぼれ落ち、慌てて飛び退いた。
「やっちゃったねー。両手使えないとかヤバそう」
「お前他人事にすんなよ。誰のせいだと思ってんだ」
「術を制御出来ない人のせいかな」
まあごもっともな話ではある。
しかしこんな手では何もできない。妹に頼むとしぶしぶと言った具合で片付けてくれて、ひとまず簡単にできるトーストを朝食にした。
もちろんパンを片手で掴めやしないので食べるのにも苦労した。
「それで、学校どうするの?」
「行くしかないだろ」
「それで?」
「これで」
幸い着替えはほぼ済ませてあって、あとはブレザーに袖を通して鞄を持つだけ。あ、鞄は持てないな。肩にかけるから大丈夫か?
さて出掛けよう。そう思って玄関まで来て、靴の存在に気づく。
「いや、手使わなくても履けるっしょ」
「そ、そうか?」
靴を履く妹を見やるとかかとを踏んでいた。
「ちゃんと履けよ」
「うっさいなー。良いじゃん別に。それより早くしてよ」
急かされながら俺は靴を履く。足を入れて爪先で床を叩けば、まあなんとかなった。
そして二人で学校へ向かうと、道中「おっはよー」という声と共に背中を叩かれた。振り返ると幼なじみ二人の姿があった。
「おうおはよう」
「よう、……て何だお前その手」
「いや、まあ見ての通りだ」
「何それ猫の手? カワイイー、触らせて?」
返事を待たずして彼女は俺の手を触りだした。
「おお、ふかふかでぷにぷに」
……うん、案外悪くない。そう思っていたら、見透かされたようにこう言われた。
「まんざらでもない顔してんな」
「うるせー!」
思わず手が出ると「うわ出た、猫パンチ」と揶揄われてしまう。その言葉に二人もつられて笑う。
「てか実際のところさ、その手で何が出来んだ?」
「何って……何だろな」
「猫なら爪とかどうかな?」
「爪か……」
猫は爪を出し入れ出来る。人には出来ない事なので簡単には感覚が掴めない。しかしそれではこの能力は使い物にならないわけだから、当然この感覚を得られるよう修行を重ねてきた。
しばらくグッと手先に意識を振り絞ると、やがてニュッと爪が飛び出した。
「意外と攻撃に使えそうだな」
「見せて見せて」
再び手を握られると、意識が緩んで爪が引っ込んでしまう。なかなか難しいな。
◇
まあそんな感じで一日を過ごして解ったことがある。
人間が二足歩行していられるのはこの手のおかげだということだ。
結局猫の手が役に立つことは全く無かった。猫の手も借りたいとは、こんな手でもやれることをやって貰いたいほど忙しないということなんだなと実感した。
猫の手を借りてしまった 名苗瑞輝 @NanaeMizuki
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