角砂糖が溶けるように

3-10 いちご大福

　星城学園に補欠合格だった麻奈美は、家庭教師の良子のおかげで今は編入組の中では上位の学力をもつようになった。もともと得意だった英語はもちろん、大嫌いだった数学でも試験の成績は常に平均を上回るようになっていた。

「ここまで伸びてくれると、私も嬉しいわ」

　麻奈美が三学期の期末試験の成績を見せると、良子はそう言った。

「本当に先生のおかげです。ありがとうございます」

「頑張ったのは麻奈美ちゃんよ。ねぇ、この調子だと、来年から私いなくても大丈夫なんじゃない？」

　良子のその言葉の意味を、麻奈美は一瞬、理解出来なかった。

「出来ることなら来年も教えてあげたいんだけど、就職活動があるのよね」

「あ……そうですよね。私、自分のことしか」

「ううん。いいのよ。もしどうしてもって言うなら呼んでくれれば来てあげるけど──今日で終わってもいいかな？」

「──はい」

　良子と会うことが無くなって数週間後、麻奈美はいつものように、学校帰りに大夢へ行った。予想した通り、カウンター席には三郎とチヨがいて、奥のテーブルには芝原がいて、平太郎は調理場のあたりを掃除していた。

「あれ？　麻奈美ちゃん、今日はデートじゃないのかい？」

「……え？」

　三郎の言葉に、平太郎がピクリと動いた。

　もちろん、麻奈美にそんな予定はなかったし、第一、相手もいない。

「私、何か言いましたっけ？」

「気にしなくていいよ、麻奈美ちゃん。三ちゃんは勝手に言ってるだけだから」

「チヨさん、どういう意味ですか？」

「今日は、ほれ、ホワイトデーだからねぇ」

「あー……そういうことですか。ははは……」

　そういえば千秋と芳恵がいつもに比べて嬉しそうだったな、と麻奈美は学校での出来事を思い出した。

　毎日、当たり前のように大夢に来て、年末のクリスマスも、バレンタインさえ当日になって気がついた。友人たちに「大学生と会わないの？」と聞かれたが、約束なんてしていなかったし、二人の関係は今も何も変わっていない。クリスマスは店内が少しだけ華やかになっていて、バレンタインは、修二が寂しそうな顔をしていたのは覚えている。

「案外、平ちゃんの知らないところでいるんじゃないか？」

　珍しくコーヒーを飲みながら、三郎が麻奈美を見た。

「い、いませんよ。いたら──」

　手伝いには来ずにデートに行く、と言いかけて、麻奈美は口を閉じた。視線の先に芝原の姿を見つけ、本当にそうだろうか、と思った。彼氏がいたら、芝原のことは少しは気にならなくなるのだろか。

　日没が早くなっているので、平太郎が退院してからは閉店時間をずっと早めたままにしていた。住宅街にあって夕方の来客はほとんどないので、特に問題はない。

　店のドアを閉め、麻奈美は住居側の玄関から外に出た。風が強くなっていたので帰る足を速めたとき、最初の曲がり角に人影があった。

「お疲れさま」

「……どうしたんですか？　帰らないんですか？」

　そこにいたのは芝原だった。

「帰るけど、ちょっとだけいい？」

　麻奈美の家へ向かいながら、芝原は続けた。

「浅岡に聞いたよ。終わったんだって？」

「──はい。今まで私の勉強みてくれてたから、今度は自分のことを……あ、そういえば、芝原さんと同級生なんですよね」

「うん。その、就職のことで、話してたんだ。僕なんかまだまだ、って思ってたのに、早いなぁ……。麻奈美ちゃんもすぐだよ。大学行くならちょっとは先になるけど、行ったところで、その分野の仕事に就く人って、少ないからね」

「そうなんですか。芝原さんもですか？」

「いや、僕は勉強したことを生かそうと思ってるよ。それより──はい、これ」

　そう言って、芝原は鞄から何か取り出し、麻奈美に渡した。

　手のひらサイズと小さかったが、わりと重みがあった。きちんと包装されていたので、中身が何かはわからない。

「なんですか、これ」

「お返しだよ、バレンタインの」

「え？」

「あれ、先月のこと忘れた？　麻奈美ちゃん、コーヒーと一緒にチョコ持ってきてくれたんだけど」

「あ……ああ！　ははは。そうでした！」

　一ヶ月前、バレンタインのことを学校で思い出し、帰りに駄菓子屋に寄った。

　一口サイズのチョコを多めに購入し、大夢の客たちにレジで手渡した。大夢に行く前に家に帰り、芝原に渡す分だけはいくつかまとめて綺麗に包装した。

「あいにく、僕は彼氏じゃないけど……」

「聞いてたんですか……」

「どっちかというと、聞こえたよ」

　笑いながら、芝原は「お年寄りは声が大きいから」と付け加えた。

　麻奈美は自分の部屋に入ってから、包みを開けた。中には綺麗な和紙で包まれた、有名な和菓子屋のいちご大福が入っていた。それはとても甘くて、酸っぱかった。