1-9 バースデーパーティー
「あー終わった終わったー。今日は何をしようかなぁ!」
一学期期末試験最終日の放課後、教室で大声を出したのは片平修二。
麻奈美の前の席で、これからの予定をぶつぶつと考えている。友人と遊ぶとか、本屋に行くとか、いろいろなことを呟いたあと、修二は「そうだ!」と後ろを向いた。
「なぁ、麻奈美、これから海行かない?」
「どうして?」
「せっかく試験も終わったし、気晴らしに」
いつもの麻奈美なら修二の誘いは即お断りだけれど、今日はしばらく考えていた。
何度か時計とにらめっこしながら、今日の予定を思い出しながら、麻奈美が出した答えは、いつもと同じお断りだった。
「今日は昼間からお店の手伝いがあるから。最近、おじいちゃん足腰弱ってるからあんまり動けないの」
「そうか……それなら仕方ないな」
修二の誘いは断ったけれど、麻奈美は友人たちと学園の食堂で昼ごはんを食べることになった。家に帰っても良いけれど、あいにく今日は光恵が留守なのでおかずは用意されていない。
他校に彼氏がいる千秋はもちろん、芳恵も一緒だった。
本当は光輔が一緒に帰りたそうにしていたけれど、芳恵が麻奈美を選んだ。芳恵と光輔はお互いクラブ活動をしていて同じ時間に終わるので、いつでも一緒にいられる。けれど、麻奈美は大夢の手伝いがあるので、別行動をすることが多い。
そうして女三人でお喋りをしながら昼食を食べていると、近くで聞いたことのある声がした。麻奈美と光恵がお断りした、修二と光輔だった。
「麻奈美ー、飯食う時間あっても海行けないのかぁ?」
「あたりまえだよ。海までここから遠いよ。行って帰ってきたら遅刻するよ」
ちゃっかり芳恵の横に腰を下ろして嬉しそうな光輔とは対照的に、修二はその向かいでがっくりとテーブルに突っ伏していた。
それから麻奈美は一足先に食堂を出て、大夢へ向かった。
期末試験が行われていた数日間は休んでいたので、久しぶりの仕事になる。
平太郎は電話では大丈夫だと言っていたけれど、体が心配だった。店内での動作も、以前より鈍くなった気さえする。常連客の三郎やチヨがいつも見ていてくれるので一応は安心だけれど、彼らも平太郎と同じくらいの年齢なので、いつ何があってもおかしくない。
もちろん、店には芝原をはじめ若い客もいるけれど。
カランコロン……
「いらっしゃい」
「ええっ?」
意外な人物に迎えられて、麻奈美は入口で立ち止ってしまった。
カウンターの奥に立っているのは平太郎、のはず。
席には三郎とチヨが座っている、はず。
一番奥の席では芝原が勉強している、はず。
だったけれど、そこは麻奈美が知っている大夢ではなかった。
「どうしたの、これ」
なぜ、という言葉しか出てこない。
いつものBGMはジャズやクラシックなのに、今日は妙に明るい曲だ。
天井には、色紙で作られた輪の飾りがいくつも取りつけられている。
その光景にしばらく茫然としてから、麻奈美はふと、あることを思い出した。
「もしかして、これ──」
「そうだ。誕生日おめでとう」
平太郎に三郎、チヨ、それから浅岡がプレゼントを用意してくれていた。そして店の奥では二つ並んだテーブルの上に、デコレーションケーキが置かれている。
ろうそくに火をつけているのは、芝原だった。
「マスター特製のケーキだからね、絶対美味しいよ」
平太郎はコーヒーが好きだけれど、お菓子作りも得意だ。
「ありがとう……」
それから店内の明かりが消され、全員で歌を歌ってから、麻奈美がろうそくの火を消した。十六本消すのには、けっこう時間がかかった。
「あっ、でも、お店は……お客さん……」
「看板見なかったのか? 今日は臨時休業にしたよ」
「えーっ、わざわざそんな……」
みんなの気持ちが嬉しくて、何と言って良いのかわからなかった。
いつの間にかケーキが切り分けられ、麻奈美の分にはイチゴが二つ乗っていた。ケーキの横には、「happy birthday」と書かれたプレートもついている。
平太郎は、浅岡に麻奈美の自慢をして。
三郎とチヨは、麻奈美の将来を予想して。
芝原は、麻奈美に学校の話を聞いて。
何が何なのかよくわからない部分もあったけれど、麻奈美は大夢で働くことになって良かった、これからも頑張ろう、という気持ちでいっぱいだった。
「本当にありがとうございました」
麻奈美の誕生会を終えて帰っていく人たちに、麻奈美は深々とお辞儀をした。
最後までずっと嬉しい気持ちでいっぱいで、涙が出そうだった。
「麻奈美、明日も学校だろう。早く帰って、ゆっくり寝なさい」
「でも、片付けが」
「これはやっとくから。大丈夫だよ。いつもやってることだ」
「麻奈美ちゃん、家まで送るよ。徒歩だけど」
「えっ? いいですよ、いつも一人で帰ってるし」
最後まで残っていた芝原が、麻奈美を戸口へ誘う。
「送ってもらいなさい、麻奈美。すまんが芝原、頼むよ」
それでも麻奈美は平太郎の手伝いをすると言って聞かなかったけれど、平太郎は「今日は誕生日だから」という理由で麻奈美が手伝うのを許さなかった。
大夢から家まではそんなに遠くはないけれど、芝原は麻奈美の後をついてきた。よく考えてみると、楽しい時間のあとに一人で帰るのはものすごく寂しいかもしれない。
それに、平太郎との関係を聞くことができる絶好の機会ができた。
先ほどの大夢での麻奈美の誕生会で、芝原とは少し打ち解けた。その話の続きをしばらくしてから、麻奈美は話題を変えた。
「ところで芝原さん、おじいちゃんとは、どういう関係なんですか」
「あー……ははは。聞かれちゃったな……」
言葉では悲しそうだけれど、どこか嬉しそうにも聞こえた。
芝原は視線をそらして、ひとつため息をついた。
「マスターは、高校三年の時の担任だったんだ」
どうしてそれを思い出さなかったのだろう。
平太郎が星城高等部の教師をしていたのは知っていたのに。
芝原が卒業生だとは、考えたこともなかった。
「あ、そっか、それでさっきも学校のこと聞いてたんですね」
「麻奈美ちゃんが星城に入ったって聞いてから、ずっと気になってたんだ。同級生とは連絡とれなくてね」
芝原は無意識に言ったのだろう。けれど麻奈美には疑問が残った。
「あの、どうして──私のことを知ってるんですか?」
「先生がよく、自慢してたんだよ」
「自慢? 私のですか?」
芝原は「そうだよ」と言いながら笑っていた。
自分の何を話していたのだろう、と考えている間に、麻奈美は家の前に到着した。麻奈美が立ち止った横の壁に、芝原も『川瀬』という表札を見つけた。
「今日はありがとうございました」
「ううん、こっちこそ。久しぶりに楽しかったよ」
「それじゃ──おやすみなさい」
「おやすみ」
麻奈美は芝原に会釈してから家へ入る。芝原は軽く片手をあげ、麻奈美が中へ入ったのを確認してから、来た道を引き返した。
歩きながら、芝原は麻奈美に言ったことを考えていた。
自分が星城高校の卒業生であることに間違いはない。平太郎が担任だったことも本当だ。けれど、それだけで良いのだろうか。
帰る前に大夢に寄ると、平太郎は食器洗いを済ませたところだった。麻奈美を送り届けたことを報告しながら、飾り付けを外すのを手伝った。
「あの話はしたのか?」
「できませんでした。せっかく楽しそうにしてるところに……もしものこと考えると言えないですよ。聞いたらどんな顔するでしょうか」
平太郎は何も言わなかった。
踏み台に乗って、天井についた飾りに手を伸ばした。その拍子にバランスを崩し、あわてて芝原が支えた。
「高いところは僕がします」
「すまんね。もう、歳だな……」
芝原が飾りを取り外すのを、平太郎はカウンター席から見つめていた。
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