あなただけが

江戸川台ルーペ

 誰かに導かれたいと思っていた。およそ幼稚という領域から脱出を迫られる季節から眺める外の世界は広大で、道しるべがどうしても必要だった。さもなければ、注意力散漫な自分はいつか地雷を踏み、肉花火となって四散してしまうだろう。そうした確信に近い予感があった。その手本となるのは親ではなかったし、担任の先生でもなかった。親はたしかに食事を与えてくれるし、適切な指導を私に対して行なっているが、やや機嫌に依存して言うことが日々変わったりする傾向があった。先日Aであったことが翌日はBとなり、明後日にはAだった事が条件付きでBダッシュに主旨を変え、一週間後にはそのどちらも存在しないテーゼとして一切が無に帰すこともしょっちゅうだった。時折、そうした理不尽さに心底うんざりしたりもしたが、飼い犬を撫でる事で自暴自棄になる事を回避できた。子供は親を選べない。犬が飼い主を選べないように。担任の先生においては生計を立てる為に教室を監督する立場であって、生徒を導く立場にはあるものの、そこに物語性はなかった。



 物語性。



 具体的には、担任の先生が男性だった場合、クラスメイトの女の子に対しては優しかったが、男の生徒に対しては冷淡か雑か乱暴かその全てに当てはめて扱った。逆に担任の先生が女性だと、あらゆる事象においてもっと酷くなる場合がほとんどだった。あらゆる事象というのは、教育面においても、生活指導面においてもそうだが、とりわけ女子生徒やその親兄弟を巻き込んだ情報戦であったりした。いつの間にか横のつながりを形成している親の口から、自分が知らないクラスメイトの親情報などを知らされるのは新鮮だった。ともあれ、担任の先生は生徒を一律で扱う職務である訳だから、そこにひとまとめにされ、方向性を示される事はあれど、個人的に一人づつ導くには時間も責任も、お給金も足りなさそうだった。物語性。そこに金銭的な事情が含まれてはいけない。



 姉?


 論外。



 止むを得ず、小中高と横目でクラスメイトを見ながらたどたどしく真似をしたり、雑誌・テレビ・本などで得た情報を自分にあてはめ、自己流に咀嚼しつつ行動した。友人や先輩はどこから情報を仕入れているのか、知らない事を次々ともたらしてくれた。主に音楽であったり、漫画および喫煙、性にまつわる事象についてである。そうした未知との遭遇に感動したり、衝撃を受けたりしながら試験勉強をし、進路に悩むというありきたりな青春を送ったが、やはり常にそこはかとない、薄暗い不安が付きまとった。つまり、自分はこれでいいのか、何か間違った事をしているのではないか、という誤りを選択し続けているような不安定な心情に沈んでいた。誰かに「それでいい」「間違いじゃない」、あるいは「そうじゃない、君はこっちの方が向いている」「そっちよりこっちの方が君には合ってる」と言って欲しかった。



 あなただけが私を知っている。そういう誰かに、何もかもを決めて欲しかった。





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