第2話 世界一優しい男 vs 世界一厳しい男
突然現れた社長と呼ばれた男はゆっくりとアイに向かって手を伸ばすが、その手を勢いよくユウが払い落とす。
「オッサン、セクハラとは優しくないじゃないか」
「……貴殿はどちら様でしょうか? この家の方ではありませんよね。部外者は立ち去ってほしいのですが? 」
社長の鋭い眼光を受けてユウは一歩下がった後、アイを見つめる。
「結婚しよう、家族になれば部外者じゃなくなる」
「私は部外者とは結婚したくないです、ちゃんと工程を踏んでからプロポーズしてください」
「ヒャッハアアア! ふざけてる場合じゃないぜえ、社長はマジでやべえ! 今すぐ逃げろ!」
「……モヒカン兄、仕事中に私語は慎むように」
「ヒャッハアアア! す、すみません!」
モヒカン兄は必死の土下座をする、そんな彼に向かって社長は冷たい言葉を投げる。
「全身電気ショック、納期は五秒」
「ヒャッハアアア!? そ、そんなあっ。ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッ!!!!!!???? 」
社長の言葉が終わると突如モヒカン兄の身体中から稲妻が発せられ、モヒカン兄はマルコゲとなった。
「一体何が起こったの!?」
「モヒカン兄は業務を遂行しただけです。それでは次は自分が働きましょうか」
社長は懐から新聞の購読契約書を取り出すとアイの目の前に突き出した。
「アイさんにはこの契約書にサインをしてもらいます。全国紙五社の年間契約に加え、ビジネス週刊誌のニコニコプランです、納期は十秒」
「いーやーでーす」
「だとさ、どうするんだオッサン」
舌を出して拒絶するアイを冷たい眼差しで見つめている社長。しかし、社長はすぐにニコリと笑った。
「契約ありがとうございます、それでは契約書の控えをお渡ししますね」
「……え? なんで私のサインが契約書に?」
社長が複写式の契約書を一枚めくってアイに手渡すとそこには確かに彼女の筆跡のサインが書かれていた。
「っていうか、アイはいつの間にペンを手に持ってたんだ?」
「あれ、本当だ。さっきまでは持ってなかったはずなのに」
「おい、オッサン! どういうことだよ!」
「どういうことと言われましても、契約を結んだだけですけど?」
「社長さん、悪いけどその契約はなしでお願いします」
アイが頭を軽く下げると社長は真顔で答える。
「それはできませんね、十五時までに五社の契約、それがノルマですので。アイさんとの契約を破棄したら間に合わないかも知れません」
「オッサン、アンタは優しくねえよ。顧客に優しくねえ!」
「私は優しいですよ、自分で結んだ契約はしっかりと自分で責任を持つ顧客にはね」
「そんな屁理屈は通らねえ、俺は顧客に優しい男なんだ! オッサンなんかぶっ飛ばしてやる!」
ユウは優しい男である。彼は山籠りの最中、お腹が痛くなったので近所のコンビニにトイレを借りに行っていた。その時のコンビニは忙しい時期であったのか店員は1人しかいなく、たくさんの人がレジに行列を作っていた。一向に進まない列に困り果てている顧客、ユウはその優しさを持って彼らを救い出したのである。具体的には、レジに並んでいた人達に「店長がサービスでお代はいらないって言ってましたので出て行ってもいいですよ」と伝えることで、彼らをレジという呪縛から解放したのである。そしてユウは【顧客に優しい男】として、レジに並ぶ人々の加護を受けたのである。
「くっ、契約書がっ……」
「俺の拳は顧客に優しくないものを原子レベルで分解させる。これでアイとの契約も終了だ」
「ありがとうございます! ユウさん」
契約書を粉々に粉砕したユウに向かって、アイは可愛らしく感謝の笑顔を見せる。しかし、社長は不敵な笑みを浮かべていた。
「契約書の復元、納期は二秒」
社長がその言葉を言い終わると彼の手元には契約書が傷ひとつない姿で現れた。
「……っ、どういうことだ?」
「ユウさん、これは私の予想ですが、もしかして社長さんが納期に設定したことが現実になってるような気がします」
「聡明なお嬢さんだ、その通り。自分はありとあらゆる森羅万象を納期までに達成する能力がある」
「そんな反則みたいな能力があるか!? ここは現代日本なんだぞ、ファンタジーの世界じゃないんだ。そんな魔法みたいなことがあってたまるかよ!」
「魔法なんていう言葉で片付けられるのは心外だ。これは自分の血の滲むような努力によって身につけた力なのだから」
社長は少し眉を顰めた後、言葉を続ける。
「新入社員の頃から自分は納期とノルマに追われていた。社会人にとってノルマは絶対だ、親が詐欺にあおうが、自分の子供がトラックに轢かれようが納期に間に合わない理由にはならない。当社のスローガンは納期厳守が一番、人命は二番だ」
「ひ、ひどすぎるわ……」
「納期厳守、この言葉だけを信じて社会人生活を二十年過ごした時、納期とは自分の人生の一部になっていた。そして、自分が納期として設定した事象が必ず達成できる力を手に入れたのだよ」
「オッサンは人生を犠牲にその能力を身につけたのか……。だけど、アイの契約を解除しない理由にはならない!」
「元気な少年だが、大人をあまり舐めない方がいい。地中のマグマが少年を包み込み燃やし尽くす、納期は五秒」
社長が指パッチンをするとユウの足元のコンクリートに大きな亀裂が入り、そこから真っ赤な灼熱の溶岩が吹き出した。
「ぐわぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
「ユウさん!! 大丈夫ですか!? 」
「灼熱のマグマは少年の肌を真っ黒に焦がす。ブラック人材のできあがりだ」
マグマに飲み込まれ叫び声をあげるユウ。心なしか焼肉の美味しい匂いが辺りに漂ってくる。
「……優しくねえな」
「少年?」
「このマグマ、お肌に優しくねえ。こんな熱いと日焼けしちゃうじゃないか。俺はお肌に優しい男なんだ、お肌に優しくねえ攻撃はきかねえっ!!」
ユウは大きく声をあげると纏わりついていたマグマを振り払う。彼から離れたマグマは霧のように消え去っていった。
ユウは優しい男である。山籠りの最中、真夏の日差しから自分の白い肌をどうやって守るかが課題であった。容赦のない紫外線は自分の肌を焼き、傷つけ、蹂躙する。そんなか弱い肌をユウはその優しさで救い出す。具体的には陽が強い日中は家に帰ってゲームをすることで太陽から身を守ったのだ。それと同時にユウは【お肌に優しい男】として、お肌の神の加護を受けたのである。
「流石ユウさんです! マグマも大丈夫なんですね!」
「ああ、お肌に優しくないマグマでよかったぜ、もしコラーゲンが含まれていたら死んでいたかもしれねえ」
「なるほど、それならこれはどうかな。コラーゲン入り日本刀、納期六秒」
すると社長の右手にキラキラと輝く日本刀が出現する。
「このコラーゲン入りの日本刀は肌に優しく肉を断つ。少年に防げるか?」
「まさかそんなものまで手に入れることができるのか!?」
「ああ、納期は絶対だ。物理法則程度なら容易に無視できる」
「ユウさん気をつけて、社長は本気であなたを倒そうとしてるわよ!」
アイの声を聞いたユウはゆっくりと拳を構える。その姿を見て社長は少し驚いた様子であった。
「まさか、この自分の力を見てまだ戦おうという意志があるのか? いったい何がお前をそこまで駆り立てるのだ」
「俺は優しい男だからだ、俺は世界一優しい男としてやらなきゃいけないことがある」
「……ほお、聞かせてもらおうか」
社長の問いかけにユウはコクリと頷く。アイもこれには興味津々だ。
「俺は世界一優しい男になって、俺の告白を断った幼馴染をざまぁしてやるんだ! だから俺は女の子に迷惑をかけるお前を見過ごすわけにはいけない!」
「「……それ、優しくないよね?」」
社長とアイが仲良くハモるがそんなことは気にしないユウ。彼は自分への罵倒も軽く聞き流すことができる優しい男なのだ。
「ふっ、少年のくだらない戯言はもういい。そろそろとどめを刺して楽にしてやろう。この日本刀が少年の心臓を貫く。納期六十秒、余命を恐怖の中で楽しむといい」
「それじゃユウさんが本当に死んじゃう!? 社長さん、もし私が契約を結べばユウさんを許してくれますか!? 」
「残念ながら納期は絶対。一度定めた納期の変更など許されない、変更を許したらそれは納期でなくなる」
「そ、そんな……、ユウさん……」
コラーゲン入りの日本刀に貫かれる運命を変えられないことにショックをうけるアイ。しかし、当の本人であるユウはいたって冷静であった。
「オッサンは納期が好きだな。納期ってのはそんなに守らなければいけないものなのか?」
「学生にはわからないだろうな。納期に比べれば、自然の摂理や法律、人間の倫理などゴミクズに過ぎないのだ。納期こそ人々を統治する唯一の概念であり、弊社はその納期をなによりも大切にしているのだ! 」
声高らかに堂々と宣言する社長、彼の手には日光を浴びてキラリと光る日本刀がユウの胸を貫くときを今か今かと待ち望んでいた。
「……優しくねえな、全然優しくねえ」
「ふむ、気でも狂ったか少年。納期を守ることの一体なにが優しくないのだ?」
首を傾げる社長にむかってユウが一目散にかけて行く。彼の拳は力強く握られていた。
「優しくねえよ、オッサン!!!!」
「…………っ!!??」
社長は自分の目を疑った、なぜならユウの速さは異常であったからだ。社長とユウの間は三メートルほどの距離があったが、その距離を一瞬で移動するユウ。その姿は社長の目には捉えることができず、ユウの拳が顔面にぶち込まれる。
「ユウさんすごい……ってあれ? 社長さんには効いていないのかな? ピクリともしてないよ」
目にも止まらない速さから繰り出されるユウのパンチは普通の人間であれば体に大穴が空くほどの威力であっただろう。しかしそんな威力の攻撃を受けても社長は顔色ひとつ変えずに直立不動で佇んでいたのである。
「アイ、それは違うぜ」
ニヤリと笑うユウを見て、社長は心の中で思った。
(か、体がうごかない……っ!?)
そんな社長の心の声に答えるようにユウは口を開く。
「オッサンは時間に厳しすぎる、時間に全く優しくねえんだ。知ってるか? 女の子が優しい男が好きなように、時間も優しい男が好きなんだぜ。そして、厳しい男から逃げてきた時間は、時間に優しい俺のところにやってきた」
「つ、つまりユウさんは社長さんから時間を奪ったってこと?」
「奪ったなんて人聞きの悪い、時間からやってきたんだよ」
ユウは優しい男である。彼は山籠りの最中、時間の使い方について考えていた。夏休みの期間中という制限された時間、修行のためには時間に厳しく、そして徹底的な管理によって時間をスケジュール帳という牢獄に縛り付けなければならない。そんな時間をユウはその優しさを持って救い出したのである。具体的には修行のスケジュールをたてず、気の向くままに食事、昼寝、オナニーと時間を拘束することなくトレーニングを積むことで、時間に自由を与えたのである。ユウはそれと同時に【時間に優しい男】として時間の神の加護を受けたのである。
「時間に優しい俺は、時間に厳しいやつから時間を吸収することができる。まるで水が高いところから低いところへ落ちて行くようにな!」
(そ、そんな馬鹿なことがあってたまるか!!)
「オッサンはまだ気づいていないんだな。オッサンは今まで納期を設定して、時間に厳しくした時、時間が足りないと思わなかったか?」
(時間なんていくらあっても足りない、納期が終われば次の納期、そしてさらに次の納期だ。自分は常に時間に追われながらも納期を守ってきたのだ!)
「常に時間に追われていたのはオッサンが自分で納期を設定していたからだろ? 俺は山籠りの最中、納期なんてものは気にせずに自由気ままに遊んでたぜ。そのとき俺は時間に余裕があった」
(……納期を設定しないことで逆に時間に余裕が出るだと?)
時間が止まっている社長の心の声とユウの会話、この間約0.1秒の出来事である。
「そう、優しい気持ちを持てば時間もちゃんと答えてくれる。オッサンは時間と向き合わず自分の気持ちを押し付けてるだけなんだ。そういうやつはモテないんだぜ?」
(優しさか……、なるほど一理あるかもしれないな)
社長の心がそういうとユウはにっこりと笑う。
「それじゃあ時間に厳しいオッサンにはお仕置きだ! オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラアアアッ!!」
ユウは超高速のパンチを時が止まっている社長にぶち込みまくる。約千発の弾丸のような拳を浴びせた後、指をパチリと鳴らす。
「それじゃあオッサンの時間、返すぜ。時よ、オッサンに戻りな!」
「ぐわわわあああああああああああああああああああああっっっ!!!???」ピューーーーン!!
社長の時が戻るのと同時に停止していた最中に受けていたダメージを受ける。社長はその衝撃で地球を一周して天から地面へと激突する。そこでは隕石が落ちたかのようなクレーターができていた。
「なんかすごい音してるけど社長さん死んでないよね?」
「大丈夫だアイ、人間って意外と丈夫なんだぜ」
「……や、やるな少年。ここまで追い詰められたのは初めてだ」
空から落ちてきた衝撃でクレーターを作っていた社長はゆっくりと立ち上がる。
「オッサン、まだやる気か? 俺は人をできるだけ傷つけたくないんだ、だって優しい男だからな」
「案ずるな、今日は引き下がろう。契約も白紙に戻そう」
そう言って社長は懐から取り出した契約書をビリビリと破る。それを見たアイは笑顔を浮かべる。
「ユウさんありがとうございます! これで契約は破棄になりました」
「いいってことよ、俺は優しい男だからな。困っている女の子は絶対に待ってやると決めてるからな。あと同い年なんだからさん付けはしなくていいからな?」
「えっと……、ユウありがとう」
「ああ、これからもよろしくな」
恥ずかしそうに微笑むアイとユウ。青春の香りが漂ってくる。
「微笑ましいな、自分も昔を思い出す。それじゃあ邪魔な大人は消えるとするか。モヒカン兄、生き返れ、納期は4秒」
「ヒャッハアアア! 地獄から蘇ったぜええっ。それで社長、今日のノルマは後なにが残ってるんだぜぇ?」
「そうだな、今日は流れで適当にしよう。たまには納期から解放されてもいいかもしれないな」
「ヒャッハアアア! パソコンでヤフーニュース巡りするぜぇ!」
「仕事はするんだぞ?」
そんな朗らかな社会人トークをしながらその場を立ち去る社長とモヒカン兄弟。彼らを見送りながらアイ達は話を始める。
「ユウはいつから転校してくるの?」
「明日だな、実はちょっとクラスにうまく馴染めるか不安だったりする」
「大丈夫だよ、癖が強い人は多いけどユウならきっと生き残れるはずだから!」
アイは満面の笑みでユウにこたえるのであった。
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