第6話 お姉様の婚約者



 私は、平民の子供や魔獣と遊びながら育った。だから、少し大人になって、ものの道理をわきまえるようになった今でも「伯爵家の令嬢」と呼ばれるのは相応しい中身になっていない。

 でも、オクタヴィアお姉様は違う。


 お姉さまはとても優しい人だ。

 私がまだ幼い頃、泥だらけになって帰ってくると、目をまん丸にしてから怪我がないかを聞いてくれて、擦り傷は丁寧に水で洗ってから治癒師のサイラム先生を呼んで治してくれた。

 それからようやく、コツンと優しい拳が落ちてきて心配させないでと小言を言い、それから笑顔で私の手を引いてくれたものだ。


 本当に、お姉様は素晴らしい人だ。

 庶民暮らしに馴染みすぎた私の世話を、嫌な顔をせずにしてくれた。一人で眠れずに寝台の上で丸まっていたら、こっそりやってきて「今夜だけ一緒に寝ましょうか。でも、お父様には内緒よ」と言いながら抱き寄せて寝てくれたこともあった。

 じっとしていることにすぐ飽きてしまって、何人もの教師たちに匙を投げられていたのに、お姉様は根気よく勉強を教えてくれた。私が貴族の一員として恥ずかしくないレベルに読み書きができるようになったのは、お姉様のおかげだ。

 とても優しい人で、美人で、頭が良くて、とにかく誰に聞いても悪くいう人はいなかった。


 そんなオクタヴィアお姉様が、次期女伯爵となることが正式に決まったのは五年前だ。

 アズトール伯爵であるお父様は、妻が子を産んですぐに亡くなってしまうと、後妻を取ることを拒むくらいに愛妻家だった。その後、どうしても断れなくて側室を迎えたけれど、当主の子はオクタヴィアお姉様と私の二人しかいない。


 貴族としては、こういう愛妻家はとても珍しいらしい。魔獣の毛皮を買い付けに来る商人は絶賛していた。とにかく色々な方面に頑固で不器用な人なのだ。

 だから安易に一族の誰かを次期当主として指名することもなく、お父様はオクタヴィアお姉様を後継者として正式に王家に届け出を出した。


 当時のオクタヴィアお姉様は今の私より一歳下だったけど、一族は誰も反対しなかったと聞いている。

 でも、次期女領主となったことで、オクタヴィアお姉様は頻繁に王都に赴くようになってしまった。二年前からは王都にずっと滞在していて、王家や諸貴族への顔繋ぎに徹している。


 領地で過ごしている私は、お姉様に会えない日を我慢した。

 私が抜け出して王都に向かうのではないかと周囲は警戒していたようだけど、おとなしく我慢した。背が低くて年齢より幼く見えるけれど、私はわがままを無理矢理押し通すほどの子供ではないのだ。

 領主の娘というほとんど瀕死状態の誇りを必死にかき集め、健気に我慢して我慢して、お姉様から送られてくる手紙と一緒に眠り、なんとか耐え抜いた。


 そして十六歳になって、ついに王都でオクタヴィアお姉様と再会できた。お父様を説得してくれたお姉様には感謝しかない。

 正直に言って、もうそれだけで十分だったから、王都見物はともかく、お姉様の婚約者には全く期待していなかった。

 でも、オクタヴィアお姉様の婚約者様は、思っていたよりいい人だった。



「君がリリー・アレナ? 元気な子だと聞いていたけれど、もしかして緊張しているのかな?」


 緊張で硬くなっている私を見つめながら、その人は柔らかく微笑んだ。

 ……悔しいくらいに感じのいい笑顔だ。

 オクタヴィアお姉様の婚約者の名前はセレイス・ゼンフィール。王都で有数の大貴族であるゼンフィール侯爵の次男で、お姉様より少し年上の二十四歳と聞いている。


 高位貴族の生まれに相応しい洗練された物腰をしている。それに十歳近く年下の私に対しても親しげで、田舎っぽさが抜けない不自然に固いお辞儀を嘲笑うこともなかった。

 顔立ちも優しげに整っている。赤みを帯びた金髪はとても華やかで、真っ黒な目は引き込まれるような深みがあった。

 背の低い私を覗き込むように腰をかがめていたけれど、私が黙り込んだままなので困ったように首を傾げている。

 でもオクタヴィアお姉様を振り返ったときには、楽しそうに笑っていた。


「ねえ、オクタヴィア。君の妹は、いつもこんなに無口なの?」

「その……多分、緊張しているだけだと思います」


 お姉様。そこは嘘でも「はい」と言ってほしいです。

 普段の私を知っているお姉さまにとっては、どうしても言えない嘘なのはよくわかるけど、私だって見栄を張りたい時はあるんですよ!


 私は無口な人間ではない。

 気が緩むと、それはもう喋りまくる。お姉様となら、いくらでも喋り続ける自信がある。長々としゃべりすぎて、何度メイドたちから止められたことか。

 でも、今日はお姉様の体面を傷つけないようにと、本当に緊張して、そのせいで無口になっていた。


 幸いなことに、婚約者様は恐れていたような傲慢な人ではなかった。それどころか、オクタヴィアお姉様の手を取って椅子へと案内する光景は、まるで絵のように美しくて。

 まさに美男美女。オクタヴィアお姉様と並んでも、全く見劣りしないなんて。むしろ、お姉さまの輝きをさらに引き立てているのが好印象すぎる。


 家柄が良くて、性格が良くて、容姿も整っていて。本当に認めたくないけど、オクタヴィアお姉様に相応しい最高の相手かもしれない。それは認めよう。

 こんな人が現実にいるなんて、王都はやはりすごい。でもやっぱり、お姉様を独占できる立場に嫉妬するくらいは……許してもらえるよね?

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