私だけのヒーロー、弟くん。

或木あんた

第1話 わたしだけのヒーロー


「あははは、うぜーんだよ、唐崎」

「はい牛乳ー、うっわ汚ねー! ぎゃははは」


 わたし、唐崎京子は、いじめられている。

 相手は同じクラスのチャラい女子のグループ。中一の頃はそんなに仲がいいわけでもなかったくらいの関係だった。それが、いつの間にか標的になってしまったらしい。中学二年になってから、わたしは徹底的にハブられ、持ち物を悪戯され、どんどんエスカレートしてきた。

 担任は何も動いてくれなかった。クラスメイトの誰もが、見て見ぬふりをした。誰にも言えなかった。特に両親の期待を裏切りたくなかったから。


 誰も助けてくれない。死んでしまいたい。一人帰宅した部屋で、限界に達したわたしの瞳から、自然と涙が零れ落ちる。


「……死にたい、もう、死んじゃいたい……ッ」



「姉貴……?」

「――!」


 気が付くと、2つ離れた弟、洋太が後ろに立っていた。


「もしかして、泣いてんのか?」

「……別に、泣いて、な」

「それ……」


 彼の視線の先には、罵詈雑言が並ぶスマートフォンの画面。


「……いじめられてんの?」

「……うるさい、もう出てけ」

「でも……」

「――出てけって言ってるじゃん!」


 大声で喚くと、弟はしばらく黙った後に、ゆっくりと息を吐いて、


「姉貴」

「……えぐっ、うう」

「……たしかに、姉貴は性格悪いし、ブスだし。それは認める」

「黙れ、出てけ、出てけよぉ……」

「でも、どんなにブスでも、姉貴はたった一人の、俺の姉貴だ」


「――姉貴。俺がいじめ、止めてやろうか?」


「……は?」


 突拍子もない言葉に、わたしは呆気にとられる。しかし洋太は真剣な顔で、


「1時間くれ。そしたら、いじめ、止めてやるよ」

「何、言ってんの? 無理に決まってるじゃない! バカにしてんの?」

「バカにしてるかどうかは、1時間待った後に決めてくれ。どうしてもつらいなら、せめて1時間待ってから死んでくれ。いいだろ?」

「何も、できないくせに」

「かもな。でも、約束だぜ?」


 洋太は部屋を出て行った。一時間ものあいだ、私は落ち着かない心持ちで過ごす。いつも口だけの弟に、いじめを止めるなんてできるはずない。バレたことも含めて、もう一刻も早く消えてしまいたいくらいだ。でも。

 ぐちゃぐちゃと、まとまらない心で再び涙を流していると、

 

「お待たせ」


 何食わぬ顔で戻ってきた洋太は、わたしに言う。


「……うし。逃げるぞ姉貴」


「逃げる? なんで?」


「――火事だから」

 




 洋太は、放火した。わたしたちの家に。


 約2時間後、誰かが要請した消防によって消火が完了したころには、木造家屋は跡形もなく全焼していた。わたしたちは一瞬にして、家と家財を根こそぎ失ったのだ。

 



 結論から言うと、その後、誰もわたしをいじめなくなった。理由は簡単。私は被害者ではなく、被災者になったから。いじめられっ子のキモいブスが、ある日突然、何の理由も落ち度もなく悲劇に見舞われた、クラス一可哀そうな人に、キャラが昇華したのだ。

 

 イジる余地すらない状況のためか、相変わらず味方はいないけど、その反面、死人に鞭打つ勇気を持つ人なんて誰もいない。逆に今まで通りわたしをいじめようものなら、哀れみの欠片もない非情なヤツとして、周りから白い目で見られることは確実だからだろう。


 そして、そのことからわたしは悟った。非日常の中にいじめはないのだと。誰もが余裕のある安全な日常の中でしか、いじめなんてすることができないんだ。洋太が家に火をつけたのは、自分もろとも、わたしを非日常に落とすためだった。


「……ほら、無くなったろ、いじめ」


 全焼した家の跡を眺めながら、洋太が言う。


「いじめどころじゃない、全部なくなったよ! どうしてくれんの」


「大丈夫だよ。保険入ってるのは知ってたし。偽装工作もばっちりだし。……それに」


「他の何が無くなっても、姉貴の命が無くなるよりは、いいだろ?」



 そう言って洋太は笑った。その笑顔は、不覚にもヒーローみたいに見えた。

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