私の止まり木
南木
私の止まり木
最後の授業が終わったことを知らせるチャイムが教室に鳴り響くと、志海の隣の席に座る男子が逃げるようにその場を離れ、その数秒後にはクラスメイト達やほかのクラスの生徒たちに囲まれる。
「志海さん! いえ、『エルマナ・マーレ』さん! 日曜日の「アクション」はとっても惜しかったわ!」
「ありがとう……でもやっぱり、負けは負けだから」
「気にするなって! 『黒壁のオルクス』の奴、1対5だからってあんな卑怯な手を使いやがって! 中の人がどこのどいつだか知らないが、現実で出会ったら俺がぶんなぐってやる!」
「そうそう、私たちはいつだってエルマナ・マーレの味方なんだから!」
学生生活においても成績は学年トップクラスで品行方正、リアル世界でもアイドルとしてやっていける美貌を持ちながら、電脳世界においては5人組の
「少女騎士団†エルマナクエス」は正義の
それでも、エルマナクエスの熱烈なファンたちは彼女たちを責めず、むしろその健闘を称え、逆に勝利した悪役にはブーイングを飛ばす始末。
負けてなおファンから健闘を称えられるのは、それだけ志海たちが日ごろからファンサービスを徹底し、イメージを大切にしているからだろう。
しかし、志海自身は負けてもなお明るく振る舞ってはいるが、内心は――――
(ぜいたくな悩みだってことは……わかってる。仲間たちも、会社の人たちも、ファンの人たちも、全力で励ましてくれているんだから、弱音なんて吐いている場合じゃない)
前日の戦いは、明らかに彼女の作戦ミスであった。
仲間内でも頭脳派と呼ばれるエルマナ・マーレは、数々の戦いで作戦や連携を練って、幾度も危機を覆してきたのだが、『黒壁のオルクス』との戦いでは、まるであらかじめ手の内が読まれていたかのように作戦が裏目に出た。
仲間たちは本心から慰めてくれたし、作戦がいつもうまくいくわけではないことは当たり前のことだというのに、なぜか今回の敗戦は彼女の心に暗い影を落としたのだった。
志海は気分転換に図書館に足を運んだ。
本来なら実力不足を訓練で取り返すべきだが、この日はいまいち気分が乗らない。
所属会社に自由時間の許可をもらうと、志海は何の気もなく書架の間を行ったり来たりしていたが、そこで彼女は意外な人を見かけた。
「あら……
「……!!?? 鶴崎さん!? えっと……」
学校で右隣の席にいる男子、
真広は志海の隣の席にいるだけの何の特徴もない男子だが、珍しくエルマナ・マーレに関心がないのか全く話しかけてくることなく、クラスメイト達が志海の周りに集まると、さっさとどっかに行ってしまう。
そして今回も、真広は気まずいと思ったのか慌ててその場を立ち去ろうとしたが……
(そうだ……明日香君には普段から迷惑かけてるから、謝っておかないと)
真広が自発的にやっているとはいえ、休み時間の度に席を追いだしてしまっていることを志海は以前から気にかけていた。
なので、立ち去ろうとする真広を止め、その場で深々と頭を下げる。
「あのっ、いつも迷惑かけてごめんなさい! 私なんかが、隣にいるせいで……」
「ま、まったまった、そんなの気にしなくても大丈夫だよ! 僕が勝手にやってることだしっ! それより、志海さんはよく
「それほど頻繁には来ないかな。今日来たのもなんとなくだし……」
ここで志海は、ふと真広が持っている本を見て、ついで書架の案内板を見た。
真広が持っているのは、なんと「哲学」の本。それも、ニーチェとかデカルトなど学生にはやや難解なものだ。
「明日香君は、哲学なんて読んでるんだ」
「周回遅れの中二病だよ……あはは」
「どんな本なのか、私も気になってきたかも」
今までほとんど話したことがなかった二人だが、一度話し始めると意外なほどウマが合った。
図書館で長時間立ち話をしていたが、足が疲れて喉も乾いたので、二人は一旦近くの喫茶店に移動する。その喫茶店も、真広が案内した知る人ぞ知る隠れ家的な店であり、チェーン店などではすぐに目立ってしまう志海も安心できた。
「えー、それじゃあ真広君も私たちのファンだったんだ!」
「まあね……でもほら、僕はアイドルと直接交流するより、ちょうどいい距離から眺めていたいタイプのオタクだから。こーゆーお店ならともかく、チェーン店とかで顔を覚えられるのが嫌で……」
「その気持ち、私もわかるわ。人気商売だから、有名税なんだけど、過剰に気を使われると逆に申し訳なくなっちゃう」
「人気者はつらいよねぇ。うかつに弱音吐けないし、ファンの手前、つらくても突っ張らなきゃいけないことも多いし」
「うん……私もね、この前の「アクション」のとき――」
真広と話していると不思議と安心するのか、志海は今まで誰にも話さなかった自らの弱音を吐露し始めた。
志海は昔から頭がよく、人から相談されることは多かったが、逆に人に頼ることが苦手でいろいろと一人で抱え込みがちだった。
「まあ、僕たちみたいなへーへーぼんぼんから見たら、いつも100点満点とってる人が90点取って悩む気持ちはわからないよね。でも、分からないからと言って悩みがなくなるわけじゃないし、聞くことだけなら僕程度にもできる。『ホロウクリアーレ』は心をすり減らす競技だって聞くから、偶には余分な気持ちを発散するのもいいと思うよ」
「真広君……」
結局その日は店の閉店時間まで真広を突き合わせてしまったが、色々話してサッパリしたのか、志海の心は幾分か軽くなっていた。
「ごめんなさい、図書館で呼び止めただけじゃなくて、こんな遅くまでつき合わせちゃって」
「うん、僕もいろいろ知れたから楽しかったけど……クラスのみんなには内緒にしてね、さもないと嫉妬でイジメられちゃうからね」
「そ、それは困るわ……ただでさえいつも迷惑かけてるのに、これ以上は……」
「あー……でも、それ以外の時空いてれば、緒が切れない堪忍袋みたいに使ってくれればいいから。……SNSアカウント交換する?」
「いいの? じゃあ、おねがいしようかな」
こうして、志海と真広は秘密の友人同士となった。
仕事用と個人用の二つのスマホのうち、志海は個人用で家族くらいしか書かれていない連絡帳に真広のアドレスを登録した。
そのことが、志海にはなぜかとてもうれしかった。
次の日からも、学校での二人の立場は相変わらずで、志海がファンの生徒たちに囲まれる一方で真広は相変わらずとっとと席を離れて行ってしまう。
けれども、空いた時間にこっそりとSNSでやり取りをしたり、時には隠れ家の喫茶店で「密会ごっこ」もしていた。
(芸能人がゴシップになるリスクを負っても、秘密の恋愛に走る気持ちが、今ならわかる。これは……夜中に食べるケーキみたいな毒なのでしょう)
アイドルとしてばれたらまずい秘密を抱えるのはリスクでしかないことは、志海もわかっている。
それでも……こっそりとした息抜きという名の密会をやめられなかった。
「マールって、最近恋とかしてるの?」
「いいえ、してないわ。どうしてそう思うのかしらレイナ?」
「なんか……最近雰囲気が変わったっていうか、この前まですごく落ち込んでたのが、今では前より明るくなったような気がするし、戦いにも凄みが出てきた気がするわ」
エルマナクエスのリーダー、エルマナ・レイナはそんなエルマナ・マールの些細な変化に気が付いていた。
女性特有の鋭い感で、マールにいつの間にか好きな人ができたのではないかと勘繰ったが、彼女は平然と否定した。
(真広君のいい意味での図太さ、さっそく役に立ったわ♪)
真広と話しているうちに、志海は自然と「いい意味で手を抜く」こと、そして心に余裕を持つことの大切さを知った。
常に限界まで自分を追い込んで、いろいろと細かいことまで余計に考えれば、いざというときに力が出し切れない。
志海の心に余裕が生まれたことで、より広い目ですべてを見渡せるようになり、彼女のアクションはよりどっしりとした
「しいて言えば、最近は哲学の本にハマってるの。ほら、プラトンとか哲学入門にお勧めよ」
「うっ……分厚い本、文字がびっしり……あたしはちょっと」
「あらあらもう、リーダーがそんなんでそうするのよ~。っと、そろそろ試合の準備をする時間ね」
志海は今日も、エルマナ・マーレとして電脳世界での試合に臨む。
中継のチャットは既にエルマナクエスを応援する言葉が激流のように飛び交い、仕事用のSNSにもクラスメイトからのメッセージがたくさん届いていた。
けれども、個人用スマホがチラッと光り……開くと短いメッセージが入っていた。
『見てるよ』
志海の顔が少しだけ緩んだのを、レイナは見逃さなかった。
「あーっ、やっぱり恋人いるんでしょー!」
「ちがいます~、私のお母さんからでした~」
(やれやれ、少しは表情筋も鍛えなきゃ。意外と私、顔に出やすいのかも…………ふふっ、ちゃんと見ててね)
そんなことを思いつつも、今度の密会で自慢話ができるように頑張ろうと意気込む志海だった。
私の止まり木 南木 @sanbousoutyou-ju88
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