夢二夜 早桜
――泣いていた。
静かに藍色に呑まれていく、蜜柑色。夕焼の名残りだ。
藍色に染められて、さわさわと揺れる薄は、穂が開いている。
ぐるりと辺りを見渡した早桜は、薄の海に、凪いでいる部分を見つけた。小首を傾げ、つま先をそちらに向ける。
竜巻でも其処から巻き起こったように、放射円状に倒れ伏した薄。その中央に、抱えた膝に額をすりつけるようにして、少年が一人座っている。
首の後ろで一つにくくった漆黒の髪。膝丈の、裾を括ったズボン(袴)、たっぷりとした袖の上着(着物)。その染め色は、とても優しい感じで印象に残る。
ふいに、勢いよく少年が顔を上げた。視線がぶつかる。驚いたように目を見開いた少年の瞳にも、同じように目を見張った自分が映っているだろう。
十三、四か。頬のあたりに幼さがなごるが、きりりとした眉と、切れ長の瞳に意志の強さが窺える。見慣れないのは、刺青、なのだろうか。顔や首、剥き出しになっている二の腕から拳にかけて、幾何学的な模様が幾筋も、少年の肌に浮き出している。
彼を……見たことがあると思った。
「……あんたは……」
変声期直前のかすれたような声。それとも泣きすぎたせい?
「泣いてるの?」
おぼろな光に、うっすらと頬に残る筋を認めて、早桜の唇からそんな言葉が滑り出た。
一瞬、虚を突かれたような表情をした少年は、ぐいと袖口で頬を拭うと、早桜を睨みつけた。
「泣いてたのはあんただろッ、」
言われて、あ、と思う。
夢が途切れる寸前(場面が変わる前)、声をかけてきたのはこの少年だったと判った。
「いじめられたの?」
「馬鹿を言うな」
むっとした表情でぶっきらぼうに答え、少年は立ち上がった。早桜の肩口に目線が来る。顔を顰めて、やがてぽそり、と、
「――姉上が、嫁ぐ。」
「それは……寂しいわね。」
なるほど、大好きな姉が自分から離れて行くのが、許せない訳か。年の離れた姉弟なのか、と予想する。きつそうな子だけれど、結構可愛いところもあるかも、などと、思わず微笑んでしまったのだが、
「違うッ、」
早桜を睨みつけ少年が怒鳴った瞬間、彼から八方へ向かって、薄野が大きく波打った。
「なんで、あのような輩のところに、姉上を嫁がせなきゃなんないんだッ」
成程、大事な姉を盗っていくという訳か。
「そんなこと言ったら、お姉さんの方が気の毒だと思う。お姉さんが選んだ方なんだから、」
「姉上が選ぶ!?」
しかし、軽蔑したような声が返る。
「多賀城が押しつけてきた婚姻だ! 木っ端役人風情に、
薄野にまた大きな波が起こる。彼方へと渡る風を目で追って、早桜は少年を振り返った。
「……あなた、」
これは、この少年の……≪力≫?
「ンだよ?」
「ちゃんと……制御して。強い感情が、そのまま力になるのは危険なことだわ。」
と、いつかなにかで読んだ言葉を言ってみる。
言われなくても分かっていると言いたげな少年のむっとした顔に、ここで見事に使って見せたらばっちりなのに、と、イメージした通りに、刹那、ふわり、と小さな風が巻き起こって、少年の前髪を跳ね上げる。
さすが夢……と、手を動かすように、「風」を動かす術を、この「夢」の自分は知っていることに気づいて、そして、
「……風は心を聴くのよ……心を届けられるから、応えてくれる。でも剥き出しのそれじゃ駄目。ひと同士だって、そんな心のぶつけあいをしたら苦しいでしょう? そう……ぶつけるんじゃないの。話すの。」
するり、と口から滑り出した言葉。舞台の台詞のようだと、早桜は苦笑いを浮かべた。
しかし、瞠目した少年は息をつめるようにして早桜を凝視した。
「……
畏怖のこもった呟きを洩らす少年が、ぶわり、と二重に揺らいだ。
なに、と問い返す暇はなかった。
――ああ、醒めるな、と思う。
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