第11話 偶然と言ってしまえば必然もまた偶然-⑩
独身男性と独身女性が二人で酒を飲む。
そもそもつまらないと感じたら女性は変えることを優先するし、男性はオオカミとなって静かにその時を待つ。
だが悟はオオカミ……と言うよりは世間知らずな犬や猫と同じだ。こと恋愛に関しては。
そして美海。
「ふぁ~~~~~っ、久しぶりに爆睡した気がするな」
やたらとすっきりした朝に、悟は布団から起き上がるとそのまま窓ガラスの近くまで移動する。
快晴の朝。日課であるはずの筋トレを忘れてしまうほど寝てしまったのか……と、若干反省をしながらも、今日は土曜日。何か約束があるはずもなく、ゆっくりとできる日。
「……ふぅ……ふぅ………」
大きく朝の空気を吸い……と、後ろから聞こえる自分のとは別の息遣いが聞こえてくる。
その瞬間、悟の頭には昨日の出来事が蘇ってきた。
───おかしい。
自分は居酒屋で意識を手放した……はずだ。少なくてもそこからの記憶は一切ない。今までに酒をたしなむ程度にしか飲んでいなかった悟。だからこそ、そんなことはありえないはずなのに。
あれからどうやって自宅へと戻ってきた?
「………なんで裸?」
自分の体へと視線を向ければ、生まれたままの姿。いや、だがキレはいつも通り───と一つ頷く。
さて、では後ろの息遣いは?
そのまま捻るようにして後ろを振り返ると────。
「あ……」
頭が真っ白になる。そんな体験をしたことが現実で何回あるだろうか。
学生時代、教師の意地悪で予期せず登壇させられて校歌を歌わされたことがあったが、それでもいきなりのことで緊張したくらいだ。
だが今、悟の頭の中は文字通り真っ白になっている。
だって今、悟の目のまえに映る光景───頬を赤く染め上げた美海がタオルで口を塞がれ、両手は背中に回された状態で、やはりタオルで縛られている。そしてなぜか、衣服がはだけている。
さて問題が二つ。
テンプレとして存在する『起きたら隣に女性』だが、あれはほとんどが何もない。
意識を失うほど酒に溺れたり体調が悪いのであれば、そんな元気はないからだ。
だがしかし、目の前にいる美海は縛られている。縛られているのだ。
そしてもう一つ。
なぜ頬を染めているのか。そしてしっかりと起きている。
二つのなぜ? から考察を始めるために悟は必死に頭を働かせる……浮かんでくる事実もあるものだ。
「───お互いが望んだ状況……なのかっ?」
今悟の前にいる美海は目を覚ましている訳で、嫌なら逃げようとすれば逃げられるのだ。
そして、両腕を縛られていることもそうだ。一人であの状態は作れない。誰かが縛らないと。
いや───と頭を左右に振る。
自分にはそんな趣味があっただろうか?
欲望は確かにある。それは男なのだから当たり前のことだ。縛りたいなどと考えたことがあるだろうか……と。
もう一度頭を振る悟。
それよりも早く自分が何をしなければいけないのかと言うことに思い至った悟じゃ、すぐに美海へと駆け寄って縛るそれらを取り去り、大丈夫かと声をかける。
だが拘束を解かれたはずの美海は、その場から上半身を起こすだけで動こうとはしなかった。むしろ悟としては、はだけた状態で動かれたので目のやり場に困った状態になるばかりだ。
「なにか………目覚めそうです」
顔を俯かせ、目を潤ませた美海がはだけた服を胸に引き寄せながら言う。
何に? と聞ければどれだけ気が楽になるのだろうか。
だから悟はこう口にするしかなかった。
「い、いい朝だからな?」
「そう……ですね」
胸に引き寄せた服を握る手に力が入ったのを見てしまった悟はその後、口が開けなかったのは言うまでもない。
だけどそんな雰囲気の中で、美海だけが口角を上げている。
それもそうだ。そうでなければ居酒屋で睡眠薬を盛ることなどしない。そして悟が勘違いするように、何度も練習した束縛術。慣れてくれば自分で自分を縛るのもお手の物だった。
「じゃあご飯にしましょう。美海が準備しますね」
にやけ顔のまま飛び起きるようにして、台所へと向かった美海は冷蔵庫から適当に食材を見繕ってフライパンに火を入れる。
もちろん料理をふるまいたいという思いもあったが、何よりも自分の建てた計画が予定通りに進む───そんな充足感と、欲しかったものが手の中に落ちてくるその瞬間がたまらなく気持ちよく思えて、これ以上演技を続けられる自信がなかったからという方が大きかった。
美海が作ったのはもちろん卵焼き。
悟の家で昆布や鰹節があるわけもなく、出汁が取れないので主婦の味方であるめんつゆを使用したのだが、酒を飲んだ日の翌日に食べる優しい卵焼きに味覚を支配されたころ、来客を知らせるインターホンが鳴り響く。
その音に反応した悟だったが、美海の手に制されて止まると笑みを浮かべた美海が玄関へと向かっていく。新妻気分全開である。
玄関を開けるとそこに立っていたのは、黒のドレスにトークハットの女性───凛華だった。
美海と凛華。お互いがお互いの顔を見た瞬間、殺気にも似た気配を匂わした。
「……お邪魔、するわね?」
美海を無視するように、視線をリビングへと向けた凛華が足を進めた先はもちろん、悟の前だった。
「えっ!! なんで凛華さんが!?」
思わず声が出た悟だが、目の前に来た凛華の視線。それは今までに何度も横目に見てきたことがあるものだ。
そしてその眼をした凛華に対し、自分がしなければいけないことを理解する悟・
悟の声に視線で返した凛華。
悟はそれをするのが当たり前のように、それが必然のように正座に座りなおした。なぜだろう。額からは汗が噴き出ているようにも見える。
「………先日、結花から電話があったわ?」
「はいっ」
「なんて言っていたか分かる?」
「いいえっ」
「私から護衛を外すように……よ。その意味がどういうことか分かっている?」
「いいえっ」
考えるよりも早く、口だけは動く悟。
凛華もそれがごく当たり前のように、淡々と言葉を続ける。
「───嫉妬よ。あの子がそれを理解しているのかは分からないけど。だから悟が説得しなさい」
「いいえっ」
「それはなぜ?」
「はいっ、凛華さんには恩があります。そんな方の妹さんは自分にはもったいないからですっ」
「それに、悟は普通の恋愛をしたいものね?」
「はいっ」
悟の言葉を聞き終えた凛華の目が、更に鋭くなると玄関へと向ける。
「それで、あの女を選んだ……ってことかしら?」
「いいえっ」
「じゃあなんでこんな朝早くに悟の家にいるのかしら?」
「自分にも分かりませんっ」
「じゃあ質問を変えるわ。───あの女が好きなのかしら?」
「分かりませんっ」
「………じゃあ、私は?」
分かりませんっ───と、声を上げようとして、流石にためらう。
だがしかし、今の状態で返答が遅れることだけはよくないことだと分かる。
そして走馬灯のように、昔見た光景を思い出した。
あれはある護衛以来の時、凛華の指示で紫と二人凛華の前を歩いていた。場所は倉庫の中。
任務の内容は何があっても凛華を守ること。それ以外は一切聞かされていない。それは無謀などではなく、ただただ戦略などを必要としないという凛華の合図でもあったからだ。
そしてどこからともなく現れた暴漢を悟と紫で取り押さえ、その仲間だろう奴らも取り押さえたとき、まだ仕事に慣れていない悟は鎮圧できたその状況に一安心し、暴漢が取り出したナイフで斬りつけられるということがあった。
自分の失態は自分で取り戻さなければいけない───と、相手の顎を蹴り飛ばして気絶させたのだが、そんな悟の横を凛華が通り過ぎたのだ。
その時に見た凛華の目は、今と同じように不穏さを感じさせる目。
当時は護衛対象が前に出ることに驚いていた悟だったが、その後の光景を見た悟は、一瞬だけ仕事だということを忘れて目と耳を塞いでしまった。
その光景が、暴漢ではなく自分になったような錯覚が悟の脳裏に張り付いたのだ。
「……そ、そう。答えられないのね?」
あれ?
浮かんだ光景とは違う凛華の反応。
「こほん……まあいいわ。結花には何とか言い聞かせるつもりでいるけど、もし悟が近くにいたら守ってあげなさい」
「は、はいっ……?」
笑みを向けた凛華は、玄関へと向かう。
だがそこには凛華をまっすぐに見ている美海。
「あまりにもお痛する様なら………ね?」
「選ぶのは悟さんだよねぇ?」
二人が行違うその瞬間、何故か悟は背中から汗が噴き出ていた。
何事もなかったかのように悟の前に戻ってきた美海。ただ突然の訪問もあったせいで会話が続かず(主に悟)、苦笑いを浮かべながらその日は変えることにした美海だったのだが。
「私は悟さんのことが大好きです」
玄関で振り返りざま、笑顔で言う美海に悟の口からは何も出てこなかった。
それから数日、美海からの音沙汰もなく……結花からもない。そして凛華からも。
一体何だったんだと思わずにいられない悟だったのだが、そんなことも言っていられない日々が続いているのも確かだった。
「おい裏切りもの、今日はどうする?」
「誘うわりに、言い方がひどいだろ」
会社の喫煙所、いつものようにタバコに火をつけた悟と戸梶だったが、戸梶の目はまるで乾いた砂漠の様だった。
居酒屋で先に帰って以来、友を失った……と思っている戸梶は悟の事を名前で呼ばなくなった。
何度も説明してみたのだが、それも藪蛇だったようで。
「いや、俺は自分の目で見たものしか信じられない。むしろ信じない……だって信じたくないからぁーーーーーーーっ!!」
───と、ちょっとウザい。そしてめんどくさい。
だが今までずっと一緒に遊んできた数少ない友人である戸梶。そんな友人を失いたくないと、悟はたまには宅飲みでもしないかと誘ってみることにした。
「しょ、しょうがないんだからね? 寂しいからじゃないんだからねっ?」
「いや、ほんとどうしたらそうなるんだよ………」
金曜日の仕事終わり、着替えを持ってきていた戸梶を連れてスーパーで酒とつまみを購入した二人が悟のアパートへと向かう途中、なぜかツンデレのようになっている戸梶を
悟るのアパートへとたどり着いた二人。
流石に仕事の後で汗もかいているしで、まずは交互にシャワーを浴びる。
それからTシャツ短パンといったラフな格好に着替えると、買ってきたつまみやら缶ビールやらを開けだした。
「さてさて、第一回、悟邸で開催する男だらけの飲み会の始まり始まり~~~~~パフパフ~~~」
「店じゃないんだからもう少しボリューム落としてくれ……」
そういいながら、苦笑いを浮かべた悟は戸梶の持っている缶ビールに自分のを軽く当てる。
「それにしても、随分騒がしい場所なんだな?」
戸梶が飲みながら辺りを見渡すようにして言うと、悟は「あぁ……」と、少しだけ寂しそうな表情を浮かべた。
悟の住むアパートの横には、老夫婦がやっている小さな店がある。値段はびっくりするほど高かったが、メジャーな缶ビールやらちょっとしたつまみが置いてあって、面倒な時には利用していた店だ。
けれど老夫婦も年齢には勝てなかったのか、ついぞ店をたたむことになったらしい。
今はそれの取り壊し作業のせいで、夜の7時前位まではうるさいのが続いているのだ。
更にそれと同時に、お隣さんが引っ越しする様で何度かに分けて引っ越し業者が出入りしている。
最初は周りの音に合わせて必然と大きくなっていた声も、増していく静けさに飲まれるように小さくなっていく。小さくなっていくのは声ばかりじゃなくて、居酒屋で見るような戸梶は既にいない。そこにいるのは、哀愁まみれる独身童貞が二人。必然と話はコイバナ? へと向かっていく。
「───それで、いつも俺の話ばっかり聞いてくるけど、カジは昔どんな恋愛してたんだ?」
「ああ……、無自覚とはなんと無慈悲な……。俺の過去を聞きたいのか?」
ちょっとめんどくさい……と思いながら、話を振った自分を呪いたくなった独身童貞その1。
「俺の初めての恋……それはダチの知り合いでな、男を知らぬ純白が歩いているような女性………いや、女の子だった。遠目に見ただけだけど、可憐な……たぶん少女の着る白のワンピースが風に揺れるその瞬間、俺は恋に落ちた………。だがしかしっ、俺が必死に追いかけようにも彼女が見せるのはその背中だけ。ああぁ………なぜおれに振り向いてくれなかったのか……」
「たぶん、ちょっとウザいからじゃないか?」
「………缶ビールシャワーするぞ?」
「古いうえに汚れるからやめてくれ」
炭酸の入った缶をよく振り、ちょうど蓋の中心にある小さな丸の部分に画びょうを指すと噴水のように溢れ出すことを缶ビールシャワーと言うとか言わないとか……。
続く戸梶の青春話を聞き流しながら、その日は悟の家に泊まることにした戸梶(ただ話が止まらなかっただけ)。
そして翌日、男二人連れションならぬ連れタバコへと向かった。
玄関を開けてすぐ、携帯灰皿を持った二人がタバコに火をつける。
「ふぁぁ~~~~~ぁ……染みるなぁ、ダチよ」
「朝ってタバコうまいよなぁ……」
そんなことを言いながら、二人の視線は隣にあった商店へと向けられる。
土曜日の朝だというのに集まるダンプと職人たち。その活気のある声に惹かれたからだ。
「ああいう仕事の方がモテんのかねぇ……」
朝から白い歯を見せる集団。白いタオルを頭に巻き、隆起する筋肉が服の上からでも分かる。
「ザッ・漢だよな」
「生物としてメスなんだから、ああいう男臭いのって不変の人気があると思うわけよ、戸梶さんは」
「カジは火事で男臭い気がするけどな?」
「なんかイントネーションおかしくなかった?」
「……いや? 気のせいじゃね?」
戸梶は火事のようにしつこく、オスの匂いプンプンだけどな? という意味で言ったのは秘密である。
今度は職人達が一ケ所に集まると、丁寧に頭を下げる姿が二人の視線を引き寄せていた。
解体工事の途中、職人たちが頭を下げるとなれば老夫婦だろう───視線を外した……のは、悟だけだった。
「え……」
視線を外さなかった戸梶から漏れ出る声。
悟はそっぽを向きながらタバコを吸いこんでいるが、戸梶の先にいるその人物はこちらへと足は二人の下へと足を進めていた。
「お久しぶりです」
戸梶ではないその声に、タバコを吸っていた悟もそちらへと視線を向ける。
「えっ?」
「いきなりでしたから聞こえていませんでしたか? お久ぶりです、悟さん」
その視線の先にいたのは、結花と凛華だった。
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