第9話 偶然と言ってしまえば必然もまた偶然-⑧

 結花の到着を持ち、心を落ち着けようと必死に心を働かせた悟は、今目の前に結花がテーブル越しとはいえ、自分のアパートに来た初の女性だとしても、悟りを開けていた。


 そうだ。ただ女性が内に上がるだけ。そこに他意はなく、どちらかと言えば前回話した通りに、自身の気持ちと向き合うための試練───なのだと。

 試練とは、学校の期末テスト、ダーカーズ時代の試合、クラス対抗試合のように、どれもが真剣な楽しみの中にあり、それらはすべてが未来へとつながっている。だからこそ、今目の試練に対しても真剣に取り組まなければいけないのだとも。


「それで結花さん、今日は急にどうしたんですか?」

「会いたいと、そう思ってはいけなかったでしょうか?」

「いっ、いや、そんなことは無いけど!!」


 着物の袖で口元を覆った結花の頬は赤く染まっている。

 つられるように頬が熱くなった悟は両手を顔の前で振るった。


「それならよかったです。でも、もし私が迷惑ならば早めに伝えてくださいね? 悟様の邪魔をしたくはないですから」

「邪魔だなんて……。ただ俺がこういうのに慣れていないだけですから」


 事実、慣れていない。

 だけど、それを否定するかのように結花の表情が曇っていた。


「……それではなぜ、初めてお会いした時よりも口調が堅いのでしょうか?」

「そうです……かね?」

「はい、語尾はもっと砕けていましたよ?」

 悟としてはそこまで細かいことは覚えていないけれど、結花の言うことが本当であれば原因は容易に想像できた。


「あー、俺もあんまり意識しているつもりはなかったんっすけど、たぶん結花さんが凛華さんの妹だって知っちゃったから……っすかね?」

「……えっ、お姉さまをご存じなのですか?」


 初めて見る表情だった。

 さっきと同じように袖で口元を隠しているけど、目をまん丸くしてぱちくりと。


「知ってるというか、凛華さんにはかなりお世話になっていて、今の俺があるのは凛華さんのおかげなんっすよ」


 固まっている結花。

 言葉を続ける悟。


「だから……なんて言葉にするのが正しいか分かんないんすけど、結花さんは俺にとって恩人の妹さんな訳で、無下にしたくないっていうか……頭が上がらないというか……」


 まともな事とはいいがたいけど、それでも学生時代にはいろいろなこと教えてもらい、この間は一緒にお酒を飲むこともできた。凛華の下で働いていた時はまだ未成年で、親と一緒に酒を飲んだようなあの日は感慨深いものがあった。


「………悟様、少し電話をしてきても?」


 すると突然、結花は悟の返事を待つことなく立ち上がると、そのまま玄関へと向かって歩き始めた。


 首を傾けながらそれを見送った悟だが、すぐにタバコをもって縁側へと向かった。

 資産家であれば悟が想像しているよりも遥かに忙しいだろうし、戻ってくるまで何もしないというのも暇だったから。


 縁側に出ると腰を落とし、クシャっとなったタバコを口に咥えると火をつけた。


 一息、すぐに悟の意識はクシャっとなったタバコへと向けられる。


 悟がタバコを吸い始めて実感したことだけど、クシャっとなるとフィルターとタバコの部分が少しだけ切れたりして、そこから空気が入るせいで煙が口の中へと入ってこないことがあった。だから買うタバコはいつもBOX形状のものを購入している。それにもちろん扱いなんかも普段から気を付けているのだ。

 悟はそんなことにも気が回らないくらい、平常心を保っていられなかったことになる。


「……自分が思ったより、期待してたんだな」


 本来だったら美海とデートをしていて、その時の流れもあるだろうけど、夕飯とかもどこかに食べに行っていたかもしれない。

 女性の友人として遊ぶことが無かったから? それとも美海のことを異性として意識していなかったから? 

 ただどちらにしろ、胸が痛む。


「ったく、純情男児を弄ぶんじゃねーての」


 吐き出した愚痴を吸い込むように煙を大きく吸い込む……と、ふとアパートの隅っこを見た。


「………えっ? もしかして紫さん?」


 スーツ姿の女性がYシャツと首の隙間に指を入れて舌打ちをしている姿が見えた。

 その女性は正面ではなく、玄関口の来た道を振り返るように歩きながらも悟へと近づいてくる。

 急いでタバコを携帯灰皿に放り込んだ悟は立ち上がった。


「紫さん、お久しぶりです」


 その声に悟へと視線を移した女性は、足を止めて固まっている。

 凛華の護衛を務めている時、紫が在籍するリビルドガードには何度か足を運んだことがある。その中でも紫は、警護主任を務めていたこともあって悟ともよく話をしていた。


「さとる………さん?」


 久しぶりの再会に笑みを浮かべた悟とは別に、紫は悟が立っている場所の見ては、次にアパート全体を見渡し、そして頬を赤く染めた。


「もしかして結花さんの護衛っすか?」

「え、ええ。まあ。………それより、一つ聞きたいことがあります」

「俺で答えられる範囲なら」

「結花お嬢様とお見合いをした人物……というのは?」

「あーそれは俺のことっすね。」

「そ、そうですか……」

「はい。俺も結花さんが凛華さんの妹だって知ったのは最近で……。まさか紫さんにまで会えるとは思ってませんでしたけど」

「私にまで……、つまり他の方にも会われたのですか?」

「ええ、最近凛華さんから呼び出しがありまして……。凛華さんが良くいくホテルのBARで一緒に飲ませてもらいました」

「凛華お嬢様壮健でしたか?」

「ええ、いつも通りでしたよ。相変わらず忙しそうっすけど」

「そうですか……。最近は凛華お嬢様にお会いできていなくて少し心配だったのですが……。どうやら心配は必要なさそうですね」

「まあ、あの凛華さんですから」

「ふふ……、そうですね。───そちらに失礼しても?」


 紫は幼い頃、凛華に海外で拾われて日本にいる。

 あまりに幼かったので海外での記憶はないらしいが、そのせいか凛華には忠実であり、誰よりも信頼している。

 そのことを知ってる悟も、紫の笑みを見てどこか安心した。


 紫が悟の横にある縁側を見ながら訪ねると、悟は「こんなところでよければ」と、縁側の誇りを手で払う。その姿にクスリと笑った紫は「失礼しますね」と言い、煉と並ぶようにして縁側に腰を落とす。


「………悟さん、もしかしてタバコを吸うようになったのですか?」

「分かっちゃいます?」

「……まあ、あなたは護衛を辞めた身ですからね。タバコに関して私が何か言うのも筋違いでしょ。それと、私自身は吸いませんが、隣で吸われる分には気にしないので吸っても構いませんよ?」

「それじゃお言葉に甘えて1本失礼します」


 相手の好意を無下にするな。というのも、紫が悟に教えた言葉の一つだ。


 唐突だが、タバコとは体に百害あって一利なし。

 ニコチンは血管を細くし、結果として血流を悪くする。タールは灰にたまる泥だ。取り込む酸素量はニコチンと相まって著しく悪くなる。それだけにならず、タバコの煙には約5000以上の有害物質が含まれているとされている。正確に分からないのは、タバコを作る際のレシピはその企業の努力の結晶だから、簡単に公表できる物でもないからだ。

 ただそれでも吸う人がいるように、味わいや気分がスッとするということでする訳で、悟も多少なりとも良さも理解している。


「そのタバコはどこか葉巻に似た香りがしますね?」

「あー、近くにタバコの専門店があって、そこの葉巻好きのご主人が選んだから……ですかね?」


 実際、悟の吸っているタバコの箱には必ず記載されているはずのニコチンやタールの値が記載されていない。それは法律上、紙巻きたばこではなく、葉巻の分類になるからなのだが、そこまで気にしていない悟はそれを知らないで吸っているのだ。


 そして葉巻と言う分類にされるだけあって、吸いごたえは普通の紙巻きたばこなどに比べたら強く、連続で吸うとリラックスを通り越して体が重だるくなったりする。


「んんぅぅぅぅう~~~~~っ」


 例に習って重だるさを感じた悟は、それを跳ねのけるよう両手を上に思いっきり上げて体を伸ばす。


「……今日は黒のボクサーパンツなのですね? ────っ!!」

「ん? え? もしかして見えちゃいましたか?」


 伸びをしたせいで、ベルトとジーパンで隠れていたパンツのゴム部分が顔を覗かせてしまったらしく、紫が悟の下腹部を見ていた。


「あれ、紫さん、今日は? ってどういうことですか?」

「いっ、いや、気にしないでくださいっ。以前にもこういったことがあっただけですから。男性に対して失言でしたね」

「あ~緒に訓練した時ですかね……? いや、なんかこちらこそなんかすいません。つまらないものをお見せしちゃって」

「い、いえ、まったく気にしないでください」

「?????」


 紫がここまで動揺するなど珍しいなぁ~。

 そう思いながらも首を傾けていた悟だが、そんなことを思っていると後ろから窓が音が聞こえてくる。


「あっ、結花さん。電話は終わりましたか?」


 スマホを片手に、窓を開けた結花が悟と紫を見下ろしていた。特に紫を。

 紫はその姿に視線を逸らしている。


「…………悟様、紫とはお知り合い……ですか?」

「ええ、凛華さんにお世話になっていた時に紫さんには何度かお会いしていて……昔は紫さんに稽古とかもつけてもらっていたので、俺の師匠みたいなものですかね?」

「悟さん、師匠はさすがに言いすぎです。それに、凛華さんが傍に置いたのは悟さんですし」

「それは紫さんが凛華さんの信頼を全面的に勝ち取っていたからじゃないっすか」


 信頼しているからこそ任せるわけで、それこそ信頼できずにいたからこそ雇い主の目から離れることはなかった悟。

 それは当たり前のことだ。誰が未成年を特別に雇っていながら目を離すだろうか。

 普通の会社であれば、そんな面倒は絶対にごめんだと思われるだろう。けれど、それでも凛華や紫、他の人とたちとに囲まれていた幸せを改めて感じた。


 ────バキッ。


 すぐ近くから聞こえてきた何かが割れる音。

 悟と紫は自然とその音がした方へと目を向けると、結花の手の中でスマホが縦に折り畳まれていた。


「そ、そういえば結花お嬢様、先ほど連絡があって急遽仕事が一つ入ってしまいました。今日はこれでおいとましましょうっ!」

「えっ、せっかく紫さんと会えたのに……。まあ仕事じゃしょうがないか……」


 ────メキメキッ。


「じゃ、じゃあ悟さん、また機会がありましたらその時はゆっくり!!」

「はい、その時はゆっくり」


 結花の手を引っ張るように走り出した紫を見送りながら、手に持っていたタバコを一吸。


「はぁ~。わるいことばっかりじゃないな。紫さんも元気そうだったし。───また明日から仕事だし、さっさと準備してゆっくりするかぁ~」





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