第8話 偶然と言ってしまえば必然もまた偶然-⑦


 時は少し遡り、悟と美海の初デートの日の早朝。

 美海は嬉々とした表情で自分の家である、最上階の部屋から1階へと向かうエレベーターの中にいた。


 彼のことを初めて知ったのは、どこからか流出した動画がきっかけだった。

 闘技上の様な場所で、同い年くらいの人たちに圧勝していく姿。初めは『こんな世界もあるんだ~』くらいの気持ちで見ていると、彼の勝利に激怒した観客が銃を向け、危なげながらも避けた彼が取り押さえた動画。

 当時は顔もぼやけて映っていたし、一瞬の内に動画は抹消された。だが執念とも呼べる努力で動画の内容が『ダーカーズ』とか言う裏の人たちの娯楽で、とある会社が関係していること、そして彼の名前。これだけはなんとか調べ上げたのだ。


 ただそれだけでは彼の居場所なども分からず、日々名前を心の中で呼ぶくらいしか出来ずにいた。だから思い切って関連会社の店で働き、彼に関する情報が少しでも掴めないかと画策したのだ。


 だけどそんなにうまい具合にはいかず、ボーイなどが会話する場所に隠しカメラや盗聴器を仕掛けても、すぐに回収される。余程隠し事があるだろうことは分かっても肝心の彼のことは何も分からなかった。


 そうして諦め半分ながらも希望を捨てずに情報収集に日々奔走していたある日、運命の日が来る。

 ──────彼が店に来店したのだ。


 このチャンスだけは逃してはいけない。たとえどんな手段を用いたとしても。


 時刻は8時。今から向かえば9時過ぎには待ち合わせ場所へと辿り着く。そして彼が来るのを待つ予定だ。その待っている時間が胸の高鳴りを高め、そして彼が来た時、その高鳴りは頂点に達するだろう。


 この時点で美海自身の準備は完了する。


 次に持参している弁当だ。

 炊き込みご飯の出汁に媚薬、揚げ物のソースもバレない程度に媚薬を混ぜ合わせてある。もちろん栄養バランスを考慮して作ったサラダにかけたドレッシングにも、だ。


 そして待ち合わせ場所。

 これはそこまでのこだわりは無い。ただ弁当を広げて違和感のない場所であり、できることなら『あ~ん』とかもできる場所として、あまり人気がない、けれどゆっくりとできる場所。その候補に入った場所を待ち合わせ場所にしただけだ。


 だがしかし、にやけ顔の止まらない美海は浮足立ったままマンションを出たところで、おもむろに表情を崩すことになった。


 「愛城 美海………ですね?」


 マンションの入り口から一歩足を出すと、着物を着た若い女性が立って美海を真っすぐに見ていた。うっすらと開かれた細い目が、美海の足を後ずらせる。


 「………人違いでは?」


 目の前にいる女性は知っている。

 ────蓮川 結花。今年20歳になるその女は、お見合いで知り合っただけの金魚の糞だ。もちろん、美海は彼に近づいた全てを把握するため、結花のことも調べてある。

 資産家の両親を持ち、その両親の意向か男性に触れることなく生きてきた女。

 男性経験は無いものの、女性の花園で育った可憐な花。そして両親から受け継いだ事業で、一生遊んで暮らすことも可能な程の金持ち。美海が勝てるのは、いかに彼の好みに合わせられるかと、彼を想うk持ちの強さ。だがその二つだけなら確実に勝つ自信がある美海は、結花を前にしても堂々とした態度で結花を睨みつける。


 だが、結花の後ろに止まっている黒塗りの車から、スーツ姿でサングラス姿の女性たちが4人。降りてきて美海を取り囲んだ。


 「嘘は感心しません。嘘は心を曇らせる物ですから。───とりあえずこちらへ来て頂けますか?」


 来て頂けますか? などと尋ねてくる割には逃がすつもりは無いようで、美海を取り囲んだ女性の内、一人が美海の背後に寄って来ると、両腕を後ろに回し、背中を車の方へと押してくる。


 なかば無理矢理車の中へと押し込まれた美海は、それでも対面に座る結花を睨みつける。


 「なんであんたが美海の家を知ってるのよ」


 美海は何度もモニター越しに見たことのある着物の女性へと向けて質問を投げかけるが、結花は何も答えずに車は進みだした。


 車の向かった先は路地裏にある縦長のビルの様で、看板も何も設置されていないのに小奇麗なビルだった。今度はそのビルの中へと連れ込まれる美海。


 最上階の部屋まで行くと、そこには中央に木製の椅子が一つ。それを取り囲む様にソファーが置かれていて、ミミは椅子へと座らせられ、結花はその正面のソファーへと座り、美海の周りはスーツ姿の女性が取り囲む。


 「さて、愛城 美海。私を知らないとは言いませんよね?」

 「知ってたらなんだっていうのよ?」


 静かな視線で威圧する結花に対し、今もまだ睨みつける美海。先に動いたのは結花だった。


 「あなたが私を ”知っている理由” に用があるのです」


 そう言うと、結花は美海を取り囲んでいるスーツ姿の女性へと目配せをし、それを受けた女性が部屋を出ていくと、すぐに小さなきんちゃく袋を手に持って美海の足元へと置いた。


 結花が「中身を」と美海に言うと、美海はそのきんちゃく袋を手に取り、中を確認する。


 「───っ!? なんであんたがこれを持ってるのよ!?」


 小さなきんちゃく袋に入っていたのは、小さな板状の基盤の様な物だったり、小指の爪くらいのサイズのカメラである。それは悟と初めて会った日、悟が玄関で寝ている隙に美海が取り付けた盗撮・盗聴セットだった。


 「悟様の部屋に仕掛けられていた物はそれで全部ですか?」


 美海はもう一度巾着袋の中身を確認する。

 盗聴器の数、小型カメラの数。ご丁寧にお風呂場に仕掛けた防水用の物まで。彼の私生活上、必ず通るであろう動線に仕掛けた全てが袋に納められていた。


 静かに結花を睨みつける美海。

 その表情を見て、結花は一度溜息を吐き出した。


 「その様子では全部の様ですね」


 美海の一番近くにいるスーツ姿の女性へと目配をし、その女性は美海の手から巾着袋と中身を奪うと、結花もそれを確認してから立ち上がる。


「これはこちらで処分させていただきます。────これに懲りたら悟様に近付かないで頂けると。これを犯罪の証拠として警察に提出することもできるのですから」


 捨て台詞を吐いた結花がスーツ姿の女性たちを部屋を後にした。

 その背中を睨みつけていた美海。

 ─────だが。

 結花の姿が部屋から消えると、美海は笑いがこみあげてくる。


「………ふふふ。私が ” 蓮川 ” のことを何も知らないと思ってるの? それに ” 仕掛けた ” のはそれで全部な訳ないじゃないっ。やっぱり世間知らずのお馬鹿さんなのかなぁ? ハハハッ」


 高笑いを決めた美海はスマホを取り出すと、画面に表示されている時間を確認する。


愛おしそうにスマホ抱きしめると、今度は目を閉じて呟くように口を開く。


「………悟、ごめんね。この埋め合わせは今度いっぱいするからね?」



 ◇◆◇◆◇



 一方、美海を部屋へと残し車へと乗りこんだ結花は、小さく震える手にスマホを持ち、まるで特別な何かのようにスマホを持った手を胸にあてて包み込むようにしていた。その横には、ジッパー付きの袋があり、中には男性物のTシャツが綺麗に折りたたまれている。


「紫、これが恋………なのでしょうか?」

「私は恋をしたことがありませんので………。ただ、今のお嬢様は恋をしているように見えます」

「そう………ですね」


 結花は手に持っていたスマホを一段と強く握りしめて息を整える。

 その姿を呆れた視線で見ているのは、結花の質問に答えた紫と呼ばれたスーツ姿の女性だった。


 紫が所属している会社リビルトガードは、結花の姉である凛華が所有している子飼いの警護会社だ。


 リビルトガード設立当初から在籍していたメンバーであり、鉄火場においては凛華の右腕として働いてきた紫。

 だがしかし………。


「この想いはどう伝えればよいのでしょうか………?」

「………好き、または愛してるとでも言えば良いのではないでしょうか? 私恋愛したことないんで知りませんけど」

「もしっ……もし拒絶されてしまったら………」


 思えば、結花の護衛へと就いてから護衛と呼べるほどの仕事はしていない。

 当初はまだどっかの企業の社長だとかその息子だとかから守る程度の仕事だった。だが最近は、顔も知らぬ他人の家に忍び込んで盗聴器やらを盗んできたり、その部屋の下着や服を下調べして同じ物を用意して交換したりと………。


 紫は自分が好感してきたTシャツへを一瞥する。

 結花は女性の紫から見ても顔立ちも整っているし、体躯の線の細さは人によるところがあるのかもしれないが、今までの経験則で言えばこういった女性は男受けがいいと記憶している。

 それにも関わらず色恋沙汰に疎かった結花が異性を気にしだしたきっかけが体臭という事実に、若干引き気味だったりする。


「噂によれば、想いを告げた後に相手のことを意識することが多いらしいので、一度は断られるくらいの気概を持った方がいいらしいですよ?」

「そうなのですかっ!? ………いえ、確かにそうですね。私も初めて会ったときはこんな気持ちにはなりませんでしたから………」


 結花は言いながらに悟と出会ったときの事を思い出しながら続けた。


「時間とが大事なのですね」

「そのようですね」

「……悟様の匂い嗅ぐのは私一人で充分です」


 結花は決意を新たに視線を前に向け、そんな結花にぐったりとする紫だった。




  

 

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