第7話 偶然と言ってしまえば必然もまた偶然-⑥


 ゆうかと別れた悟はアパートの扉を開けてすぐ、椅子に腰を落とした。悟の視界には窓から覗く景色が映っている。普段なら落ち着く景色だが、今はその景色を視界に入れてもまだ、悟は呆けたままだった。


 「なんでまた………」


 意識せずとも漏れ出る言葉。ゆかりから聞いたミミの話が頭から離れない。

 ミミは素敵な人だと素直に思える。容姿が多少幼いが、接客で得たであろう礼節と明るさ。そこまで多く言葉を交わしてはいないが、それでも自分の方が子供っぽく思えたくらいだった。


 そんな自問自答の後には、もう一人の女性の顔が頭をよぎる。


 その女性も優しが滲み出る様な女性で、一緒にいれば心安らぐのだろうことが想像ついた。そんなミミとは違った女性らしさを持っている結花も、何が良くて悟に会いに来たのか、連絡先を交換した。好きなのかどうかを確認したいと言う言葉と共に。


 二人の女性が悟へと投げかけてきた言葉を思い出せば、今も胸が高鳴るのが自分でも分かる。だから悟は考えてしまう。


 「どっちが……好きなんだろうな? そもそも、好き……なのか?」


 ミミの笑顔と結花の手の温もりをもう一度思い出してみる。すぐに胸が弾んだような感覚が訪れるが、それが恋なのか……やはり悟には分からなかった。


 「そもそも女子と会話したこと自体が少ないんだもんな……。明日ミミちゃんと会ったらそういうとこを気にして話しをしてみるか……」


 一旦は迷いを横に置いておき、その日はまったりと過ごすことにした。


 そして翌日。

 新しく買ったばかりの服に袖を通し、悟は一番近くの駅から電車に乗り込む。


 待ち合わせの場所は悟のアパートから電車で約30分。そこから市営のバスに乗って5分ほど丘に向かった場所にある小さな動物園だ。


 その一応は動物園と名が付いてはいるが、敷地の半分は公園になっていて、少ないながらも食事がとれるようにと小さな屋台が二つある場所だ。そう言った場所のせいか、土日ともなると子連れの家族や学生たちで賑わう場所でもある。


 朝の十時からその公園にあるベンチで待ち合わせで、どうにも落ち着かない悟は待ち合わせ時間の30分前にはベンチに腰を降ろしていた。


 「さて、意識して話しないとな」


 時刻よりも早く来ていたのだからミミはいない。その間に、どんな話をしようか、ミミの何を知りたいのか、悟なりに頭の中で整理していく。

 それは初めて悟が真剣に女性と向き合った瞬間だったのかもしれない………といっても、今までそんなことを考えたことが無いのだから、自分の独り暮らしの生活に”ミミがいたら”という仮定の物語を作っていく位だ。


 朝飯を一緒に食べるとしたら、朝からドタバタしたくないからミミは起きれるのだろうか。

 仕事が終わり疲れ切った体を引き摺りながら帰って来た時、汗臭いとか汚いとか言われないだろうか。

 休日に行う筋トレの時、迷惑をかけないだろうか。でも可能なら続けたい日課だ。そう言えば……ミミの趣味は何だろうか。やはり女性だとすればゆかりの様にファッションなど気にしながら生活するのだろうか。もしもそれならば朝からの筋トレは美容の為にはいいはずだし、嫌がられる事も無いだろう。


「(いや、これじゃ同居したらって感じじゃね? そうじゃなくて付き合うってことは………ん?)」


 などと、悟の頭の中の妄想はどんどんと捗ったのだが、それと同時に時間も過ぎたようで、悟はふと気づいた時に腕時計へと視線を向ける。


 「あれ? もう11時?」


 念の為にとスマホの画面も覗いてみるが、やはり11時を過ぎていた。

 すぐに辺りを見渡して見るが、ミミの姿は見えない。

 もう一度視線を腕時計へと向ける。やはり時間は11時。

 もう一度、スマホに視線を向ける。メールや電話などが来た訳ではない。


 「(もともと夜の仕事だったんだから寝坊くらいはするよな……。一応メールだけは送っとくか)」


 悟はミミに《寝坊?》とだけメールを送り、再び妄想の海へと飛び込んだ。


 さっきまでの妄想から、どんな所なら自分は我慢できるのだろうか。それとどんなことなら許せないのだろうか。そんな事を考えながら時間は過ぎて行き、妄想が途切れたら視線を腕時計へと持っていく。


 そんな時間を繰り返し、現在の時刻は14時となっていた。ここまで来ると、腹の虫も機嫌を損ねるようで、悟は二回ほどお腹を擦り、溜息を一つ吐き出した。


 「……そろそろ帰るか」


 ベンチから立ち上がり、悟は来た道を戻っていく。

 来た時と同じだけ時間が掛かる訳で、家へと辿り着いた時には15時になる手前だった。


 玄関を開け、足を振る様にして靴を転がす悟。


 「……人生初、弄ばれたというやつですな」


 ふと、ゆかりの言葉が頭をよぎると、深いため息が出てきた。


 「職場の人に嘘まで言うほど徹底的にやることか? これ」


 玄関からリビングへと向かう間、悟の口から漏れ出る言葉。その言葉を吐き出したからなのか、胸がチクっと痛む。


 「────カラン……」


 その時だった。小さく高い音が静かな部屋に響き渡った。その音がしたのは悟のすぐ後ろからで、振り向いた悟の視界には小さな四角い物が目に留まる。


 「……なんだこれ?」


 それを手に取ってみるが何かの機械だという事しか分からずに、近くのテーブルへと置いた。

何より、なんだかんだで気合が入っていた約束をすっぽかされた後で、無気力に支配された体は気だるさに満ちていた。

立っているのも面倒だと、今度は自分の体をソファーへと投げる。


「事故とかって訳じゃ………いや、それなら電話した時に誰かしら出るだろ」


例えば救急車の中にいる場合、本人が電話に出れなければ緊急隊員が電話に出ることがある。身元引受人が必要だし、手術などが必要な場合に可能であれば同意書が欲しいからだ。

逆にそういった状態でなければ、本人の意識がはっきりしている場合が殆ど。だからと言って決めつけるのは早計だが、入っていた気合の分だけ考えが偏っていく。


『──♪~♪~~』


ソファーに寝転がったまま、ズボンのポケットをもぞもぞとさせ、そのままスマホを耳にあてる。どうせ戸梶だろう……と。


「もしもし?」

「さっ、悟様………で、よろしいでしょうか?」

「ん? 結花さん?」

「はい。じ、実はこれから悟様とお話できればと思いまして………急ですが悟様の家に伺ってもよろしいでしょうか?」

「は、えっ? こ、これから?」

「はっ、はい。ダメ………でしょうか?」

「いやっ!? ダメってことは無いけど……」

「ありがとうございますっ。それではこれから向かいますので………20分程もあれば着けると思います」

「あ、ああ……」


スマホを耳からゆっくりと離し、気付けば体を起こしていた悟。さっきまでの無気力はどこに行ったのか、せわしなく部屋の掃除を始めていた。





 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る