第六章 発火
第三十一話 クリスマスがやってくる
その日は、朝からちらちらと雪が降っていた。積もるほどではないが、溶けた雪で路面が凍結しているかもしれない。
今日はクリスマス・イブだ。どの家も家族で過ごしたり、教会にお祈りに行ったりと思い思いに過ごしている事だろう。こんな日はデートの予定もないので、久しぶりに一日中みっちりと魔法の研究が出来るとイーサンははりきっていた。新しい魔法薬の研究か、それとも分厚い呪文書を読破しようか。
そんな有意義な休日の過ごし方について思いを巡らせていた彼の耳に、ばたばたと騒がしく階段を駆け上がる足音が聞こえてくる。こんな日に走り回っている奴なんて、きっと碌な事を言いださないぞ。そう思っていると家のインターホンが押され、イーサンが玄関を開けると、そこには必死な形相のウィリアムが両手を合わせて立っていた。
「頼む! ローズを少しだけ預かってくれないか!?」
そらきた。僕の勘は結構当たるんだ。
イーサンは半目になってウィリアムを見返した。
「今日はクリスマス・イブだろう? 家族で過ごすものじゃないの?」
「それは、もちろんそうなんだが……」
「パパってば、おてがみにわたしへのプレゼントはヒツジさんのぬいぐるみにしてくださいってかいちゃったのよ!」
ローズが声を張り上げるので、イーサンは足下に目を向ける。彼女は前に買ってもらった悪魔のツノの付いた帽子を被っていた。どうも気に入っているらしく、四階に上がってくるだけだというのにもわざわざ被ってきたらしい。
「お手紙?」
「サンタさんへのおてがみよ。このままじゃ、まちがえたプレゼントをもってきちゃうの!」
「……なるほど、そういうカラクリか」
なにが?とローズが首を傾げているのは無視した。サンタクロースというのはてっきり魔法使いか何かなのかと思っていたが、実際のところは親達の涙ぐましい努力によって成り立っているものらしい。つまり今日、ウィリアムが家に来た理由は、イーサンにその片棒を担がせようというものだ。
時間稼ぎをしてくれ!とウィリアムの目が訴えている。
「そういうわけで、頼めるよな!?」
「……ローズ、羊さんのぬいぐるみでもいいんじゃないか?」
視界の端で、ウィリアムが小刻みに首を振っている。これは、羊さんもないという事か。
「やだ! ヤギさんのぬいぐるみがいいっておねがいしたんだから!」
「ごめんよ、ローズ。パパ、うっかりしてたんだ」
「どちらも変わらないよ」
「ちがうわ! アクマのツノはヤギのツノなのよ! ヒツジさんじゃないの! それにあかいリボンをつけるから、ヤギさんじゃないとにあわないじゃない!」
せっかくの休日を潰される予感に、イーサンは溜息をつく。
「僕もそんなに暇じゃないんだけど……」
「頼むよ、イーサン!」
な?とほとほと困った父親の顔で頼まれると、イーサンはぐっと息を詰めて押し黙ってしまう。ずるいぞ、その顔は。
「……いいよ」
不承不承頷くと、ウィリアムの顔がぱぁっと華やいだ。イーサンの気が変わらないうちにと思ったのか、彼はがしっとイーサンの手を取った。
「これ、うちの合鍵! 必要なら使ってくれて構わないから!」
そうして、じゃ、頼んだ!と階段を駆け下りていく。
「パパ! ヤギさんのぬいぐるみよ! まちがえないでね!」
階下から、ウィリアムの威勢の良い返事が返ってくる。イーサンは失った休日を名残り惜しみつつ、ローズを連れて家の中へと戻っていった。
ローズが来て一時間ほどすると暇を持て余した彼女が急に、クリスマスツリーに飾るオーナメントを探しましょ!と提案をしてきた。
「オーナメントっていっぱいいるし、すごく高いのよ! だからうちでは色がようしをホシの形にしたり、海でひろったガラスなんかをかざったりするの! きょねんはやさいもつるしたわ!」
このおうちなら、いいオーナメントが見つかりそう! そう言って、ローズは家の中を物色し始めた。
「魔具は駄目だよ。それ以外でね」
そうして仕方なく、イーサンも家の中を歩きまわり、なるべく要らなさそうで、危険がなさそうな物を一緒になって探した。
廊下をあっちへこっちへ往復しているローズをギルバートが見かけ、何をしてるんだ?と尋ねてきた。ローズが事の成り行きを説明すると、彼は乾燥したミモザとカスミソウの花をくれた。
少しして帰宅してきたエリシャが深紅の廊下を歩いていると、自分の部屋の前でこそこそとしているローズの姿を見つけた。そっと扉を開け、中を覗きこんでいるところだった。
「おい、勝手に入るな」
小さな肩がびくりと揺れる。
「は、入ってないわ……!」
そう言って、ローズはきょどった様子でぱたぱたとリビングの方へと逃げていった。やれやれと溜息をつき、エリシャは素材部屋へと向かう。
ここのところ想い玉の採取に加え、深夜まで魔法薬の実験の調整をしているせいで寝不足気味だった。疲弊した息を吐き、重たい瞼を解そうと目頭を揉む。奥の棚からお目当ての材料を見つけると、今来た道を戻っていった。
自室へ戻る途中、リビングの机の上にガラクタを並べているイーサンとローズの姿を見かけた。
「……お前達、何してるんだ?」
「オーナメント探しだよ。ツリーに飾るんだって」
「みてみて! いっぱいあつまったの!」
机の上にあるのは小瓶の蓋、ドライフラワー、ワインのコルクに羽ペン。一体どこから見つけてきたのか、歯車も一つ置かれている。
「パパが帰ってきたらいっしょにかざろう!」
……勝手にしてくれ、とエリシャはぼーっとした頭で考える。そうしてローズの提案には少しの間を置いた後、是とも否とも答えず、興味なさげに自分の部屋へと戻っていった。そんな彼の事など気にも留めず、テンションの上がったローズはもうすでにイーサンと何やらかを談笑し始めている。
研究の邪魔をしないでくれればそれでいい。今日は静かに過ごしてくれる事を願うものだ。思いつつ、エリシャは自室の扉を開けた。
部屋に戻ると、デスクの上が滅茶苦茶になっていた。割れた試験管やビーカーの中身がぶちまけられ、棚に並んだ物は無残にも放り出されて、いくつかは粉々になっていた。
人骨の手も、床に転がってバラバラになっていた。
エリシャは取って返して来た道を戻り、真っすぐリビングへと向かう。浮かれた様子の子どもの首根っこを掴むと、激しくその体を揺さぶった。
「俺の部屋に勝手に入ったな!」
ローズが小さく悲鳴を上げたが、エリシャはその腕を放さなかった。
「棚の物に勝手に触るなと言ったな? お前はどれだけ躾がなっていないんだ!」
ローズが怯えて固まっても放そうとしないので、イーサンが慌ててエリシャの腕を掴んでやめさせた。
「どうしたっていうんだ、エリシャ?」
「こいつのせいで俺の部屋も研究も滅茶苦茶だ! 子どもの面倒を見ると言いだしたのはお前だろう、イーサン! 子どもの面倒くらい、しっかり見ておけ!」
エリシャの結った後ろ髪が、ぶわりと逆立ち膨れている。尖った犬歯が見えるほどに顔を歪めた彼は、常に似合わない大声を張り上げた。
「出ていけ!! 二人ともだ!!!」
彼の今にも噛みついてきそうな勢いと、血潮のように赤く滾った目の色を見てイーサンは危険を感じ、すぐさまローズを外へと連れだした。出がけに引っ掴んできたダウンジャケットをローズに着せ、自分もコートを羽織る。一階まで階段を下り、エントランス扉を抜けた辺りまで来ると、先ほどの恐怖にローズははらはらと涙を零し始めた。二人は手を繋ぎ、とぼとぼと家の周りを歩く。
「オーナメント、すてられたりしないかしら……」
しばらくして落ち着いたローズが、ぽつりとそう零す。あんなに怒り狂うエリシャを見るのは珍しかったので、そんな事はしないだろう、とはイーサンも言い切れなかった。
「……たしか公園でクリスマスマーケットをやっていたんだ。良さげなオーナメントがないか、見てみようか?」
頬を赤くして泣き腫らした顔で、ローズは小さく頷いた。それを見て、イーサンは彼女の手を引くと、いつもよりもゆっくりとした歩調で公園の方へと向かっていった。
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