第二十七話 愛の子

 あぁ、まただ。本当にいい加減にしてくれ。ランチ後のちょっとした微睡みに浸っていただけなのに、あの魔女ときたら油断も隙もない。昼寝をしている暇があるならもっと働け、とでも言いたいのだろうか?


「おじさん、僕を雇ってよ」


 黒髪の少年がそう言うと、その店主は嫌そうに眉を寄せ、目の端で見下ろしてきた。


「……ダブルの子どもに何が出来る?」

「僕、魔法使いだよ。そんじょそこらの奴らより体は元気だし、よっぽどに立つよ」


 しかし店主の目つきはさらに嫌そうに歪められた。


「魔法使いならもっと良い職を探せ。こんな小さな町の飯屋なんかじゃなくな。それにうちは客商売だ。言葉も碌に喋れねぇ奴はいらねぇ」


 そう言うと、ぴしゃりと扉を閉められてしまった。向かいの飲食店も、肉屋も、宿屋も、その次の店もその次も、どこの店もその少年の姿を見るや迷惑そうな顔をして、話もそこそこに切り上げられ追い払われてしまう。それもその筈で、あの時の僕は先生に反発して家出して、着のみ着のまま歩き回っている内に新しく買い与えられた服も薄汚れ、浮浪者の有り様に逆戻りしていたからだ。おかしな言葉遣いだったし、それがおかしいという事にも当時は気づいていなかった。

 果物屋にも同じように断られてむしゃくしゃした僕は、店頭に並んだ品を一つ二つ引っ掴んで衣服の中に放りこむと、そこから一目散に走りさった。その後、路地に逃げこんで誰も追ってきていない事を確認すると、懐から取りだした梨に齧りつく。


「所詮、あなた一人じゃコソ泥程度にしかなれないわよ。私の所に戻ってらっしゃいな」


 驚いて後ろを振り返ると、黒いフードを被った黄緑色の目を持つ魔女が路地の入口から僕を見ていた。考えれば簡単な話だ。先生が一度決めた弟子を逃がすなんてヘマする筈がなかった。家出が成功したのだってわざとだったし、僕は常に見張られていたんだ。

 僕は魔女を睨み返すと、それまで溜めていた不満をぶちまけた。


「お前があの時、僕を連れていかなきゃ母さんが迎えにきたんだ! なのにお前が僕をさらったから……! 全部、お前のせいだ!!」

「なら会ってみたら? 教えてあげるわよ、あなたの母さんの居場所。本当に待ってれば迎えに来てくれたか、本人に聞いてみなさいな」


 僕がずっと恐ろしくてしなかった事を、先生はいとも簡単に口にした。この記憶は彼女のお気に入りだ。まったく、本当に嫌になる。

 先生の言ったとおり、あの人の行方はすぐに分かった。歓楽街の端にある通りで、いつもあの人はその日泊めてくれる男を探していたから。昔から、相も変わらずだ。

 久しぶりに見たあの人は、髪が少し伸びて、化粧っけが増しているような気がした。僕は数十メートル後ろからあの人に気づかれないよう付いて歩き、そのくせ声をかけるタイミングをずっと図れないでいた。そうこうしている内に、ふいにあの人が足を止めて振り返ったものだから、ボクもそこで足を止めた。

 あの人の茶色い目が通りを彷徨って、僕の所でぴたりと止まる。僕はどうすればいいのか分からなくて、顔が熱くて、そのくせどんどん体は冷たくなっていく気がした。足が固まって、一歩も動けなかった。

 僕は必死に頭の中であの人にかける言葉を探していたように思う。あの日、本当は待ってるつもりだったんだ。魔女が来なければ。あの時、魔女に連れ去られてしまったから。全部、あいつのせいなんだ。だから気にしなくていい。僕は気にしてないから。母さんのせいじゃないよ。そう言おうとした。でも、口を開こうとして。

 あの人は、僕を見なかったふりをして、行ってしまった。多分、僕を見てた。誰か分かっていたと思う。それでも、一度だって振り返りやしなかった。

 先生がどんな顔をして僕を出迎えるか、考えるだけで吐き気がした。おめおめと家に帰ってきた僕に向かって、魔女が言う。


「可哀想なイーサン」

「うるさい! 黙れ! 黙れ!!」


 あぁ、本当にうるさい。もういい、黙れ。

 僕はすぐに物置に走っていって、一人、影に隠れて泣いた。


「僕は可哀想なんかじゃない……! 僕は何でも手に入れられるんだ! 他の誰もが欲しがるようなものを……!」


 そうだ、全部僕のものになった。金も、女も、欲しいと思ったものは全部手に入れてきた。見てるんだろう? この夢だって。性悪な魔女め。

 ……全部奪ってやる。


 お前が持ってるもの全部、僕が奪ってやる。


「――ねぇ、イーサンったら!」


 間近で呼ばれた声に驚いて目を開けると、目の前にどアップのローズの顔があった。小さな腕が僕の腕を掴んでいる。ローズは怪訝そうな顔をして、僕の顔を覗きこんできた。


「こわい夢だったのね? あなた、すごいしかめっ面してたわ」

「……あぁ、起こしてくれてナイスだったよ、ローズ」


 そう言ってやると、ローズは誇らしげに笑った。

 どうやら書斎のデスクでうたた寝していたらしい。ギルとエリシャも、何か参考文献を探して本を漁っている。部屋の中央には僕がローズにあげた本が転がっていて、またあの子は床で本を読んでいたらしい。

 僕が背凭れに身を預けて乱れた前髪を直していると、ねぇねぇ!とローズが袖を引っ張ってきた。


「大好き!」


 言われて、びっくりする。言葉の意味にもだったが、その言葉は僕に聞き馴染みのある方のものだったからだ。僕が色んな女の子に口にするような、流暢で軽いI Love Youとは違って聞こえて、咄嗟に上手く言葉を返せなかった。僕が固まっている間に、ローズはさっさとギルの下へ行ってしまい、その後はエリシャの所にも行って、二人に同じ言葉を叫んでいる姿をただ見つめていた。


「……安い愛の告白だな」


 自分はあんなに丁寧に言ってやったのに、と少々の不満を感じずにはいられない。そうしてまた、僕の所に戻ってくる。ちゃんと通じた?と嬉しそうに尋ねてくる彼女に、僕は無言の眼差しを向けた。彼女の軽薄さを非難してみたつもりだったが、ローズは僕の顔を覗きこみ、こてんと首を傾げている。


「そんなにイヤな夢だったの?」


 そんな事を深刻な顔で尋ねられ、完全に毒気を抜かれた僕はそのまましばらくローズを見つめた後、手を伸ばしてぶにっと彼女のほっぺを両側から挟んでみた。


「……シュークリームみたいだな」


 そう言ってみたらぷくっと頬を膨らませるので、僕は堪えきれずに声を漏らして笑った。僕のそんな反応に満足したのか、それを見た彼女も、つられてきゃらきゃらと笑い声を上げるのだった。

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