第318話 還暦ダイラのプールサイドの教訓
還暦を迎えたダイラは、人生の新しい節目を祝うために市民プールへと向かった。若い頃から大好きだった水泳を久しぶりに楽しむことを心待ちにしていたのだ。プールに着くと、彼は飛び込み台に向かい、昔の感覚を思い出しながら特異な飛び込みを披露した。そして、25メートルの潜水をキメた後、クロールで一気に500メートルを泳ぎ切った。
「ふう…」と、水面から顔を上げると、監視員の若い女性が彼を睨んでいた。
「すみませんが、飛び込みも潜水も禁止ですが。」
プールサイドを見ると、「飛び込み、潜水禁止」と書かれた張り紙が目に入った。ダイラは肩を落としながらプールを後にした。久しぶりの水泳で、一番のカッコよさを見せる飛び込みと潜水が禁止されているなんて、絶望的な気持ちになった。
帰宅し、アトリエのテレビをつけると、アメリカ大統領選挙の渦中に候補者がテロに遭ったという報道が流れていた。ダイラはふと、数十年前に見たシンプソンズのアニメを思い出した。あのシンプソンズの予言はやたらと当たる。今回もまた、その予言が当たったのかもしれないと考えると、薄ら寒いものを感じた。
その時、ドアがノックされ、クワヤマダくんが顔を出した。
「ダイラ、ちょっと話していい?」
「もちろんさ、クワヤマダくん。どうしたんだい?」
二人はアトリエのソファに腰を下ろした。クワヤマダくんはシンプソンズの話題に触れた。
「ダイラ、シンプソンズの予言って本当に不思議だよね。今日のニュースを見て、また思い出しちゃったよ。」
「確かにね、クワヤマダくん。あのアニメは未来を見通す力でも持っているのかもしれない。でも、あのシンプソンズの予言は多くが捏造らしいよ。」
クワヤマダくんは笑いながら、あるエピソードを話し始めた。
「そういえば、昔のシンプソンズのエピソードで、ロサンゼルスの中古屋に行った老夫婦が、中子という値札を発見する話があったのを覚えてる?その中子が何かと店主に聞くと、中年の子供らしいんだ。」
ダイラは笑いながら頷いた。
「ああ、覚えてるよ。中年になっても子供のような言動をする中子が世界中に増えて、それを商品化したって話だね。あれも捏造のにおいがするけどね。」
クワヤマダくんはさらに続けた。
「最近、それが現実になっているような気がするんだ。大人になっても責任感がなく、自己中心的な言動をする人が増えている気がしてさ。」
ダイラは少し考え込んだ。
「確かに、昔は大人になることが一つの目標であり、責任感を持つことが当たり前だったけど、今はそういう価値観が薄れてきているのかもしれないね。」
クワヤマダくんは思案顔で言った。「でもさ、ダイラ、それってナッジの効果も関係しているんじゃないかな?例えば、飛び込み禁止の張り紙もそうだけど、細かなルールや規則で僕たちの行動が自然と制御されている。」
ダイラは興味深そうに聞き入った。「ナッジって、選択を無理強いせずに自然と望ましい行動に導くっていう「行動経済学の効果」だよね。でも、それが人々の責任感や大人としての行動にどう影響するんだろう?」
クワヤマダくんは頷きながら続けた。「例えば、スーパーで健康的な食品を買ってもらうために、目立つ場所に野菜や果物を置くことがナッジだよね。強制じゃなくて、自然と良い選択を促すんだ。」
ダイラは納得した様子で頷いた。「なるほど。でも、ナッジが多すぎると、自分で考えたり、リスクを取る力が失われることもあるのかもしれないね。」
クワヤマダくんはさらに続けた。「最近の社会は、あらゆる場面でナッジが活用されているよね。例えば、節約を促すために電力使用量を見える化したり、環境に優しい選択を促すためにゴミの分別を細かくしたり。でも、それが逆に自分の考えを持たない大人を増やしているとしたら、皮肉な話だよね。」
ダイラはしばらく考え込んだ。「規則やナッジが多すぎると、人間は自分で判断する力を失う可能性があるんだな。だから、中子のように大人になりきれない人が増えているのかもしれない。」
クワヤマダくんはさらに深い話を続けた。「今回の大統領選挙のテロ事件だって、もしかしたらそういう影響があるのかもしれないよ。社会が規制やナッジで行動を制御するあまり、特殊な考えを持つ人たちが自分の意見を話せなくなってしまった。その結果、彼らは行き場を失い、最終的に暴力に訴えることになったのかもしれない。」
ダイラは驚いた表情を見せた。「確かに、民主主義は言葉での闘争であり、凶器で人を脅すことではない。(核や軍事力で威嚇しているが…)言葉で意見を戦わせることができない社会は危険だよね。」
クワヤマダくんは頷きながら言った。「そうなんだ。ナッジを使って社会の望ましい行動を促すのは良いことだけど、それが行き過ぎると人々の自由な意見や自己判断の力を奪ってしまう。結果として、社会の中で居場所を失った人たちが過激な行動に出ることになる。」
ダイラは深く息をついて、目を細めた。「確かに、その通りだね。私たちももっと柔軟に考えて、時代の変化を受け入れることが大切だ。でも、同時に自分の判断力を育てることも忘れてはいけない。ナッジに頼りすぎず、自分で考え、自分で行動する力を持つことが重要だね。飛込と潜水が禁止になる理由が分からん!」
クワヤマダくんは笑顔で答えた。「そうだね、ダイラ。これからも一緒に、いろんなことを考えていこう。ナッジを理解し、それを上手に活用しながら、自分の考えや判断力を持つことが大切なんだ。」
二人はしばらく沈黙を共有した後、ダイラは静かに言った。
「クワヤマダくん、今日のプールでの出来事を考えると、まだまだ学ぶことがたくさんあるね。」
「そうだね、ダイラ。人生は常に学びの連続だよ。」
ダイラは自分の還暦を迎えた新たな節目に、これまで以上に柔軟で理解のある心を持とうと決意した。これからもクワヤマダくんと共に、ナッジの影響を受けながらも、互いに支え合い、自分の判断力を持ち続けることを誓ったのだ。
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