第8話 ダイラとモガミの舞い踊り

1988年 ダイラ公園でタイヤをつけたダイラの快進撃が始まった。


1989年 ダライ・ラマ14世がノーベル平和賞を受賞したことは関係ないが、日本では新興宗教ブームが巻き起こっていた。


大学内ではダイラ教の導火線に火が着火された。


一休宗純いっきゅうそうじゅん画によく似た、美大教授モガミ氏 は「ヒラメノマイオドリ」を横浜彫刻展で受賞した。


作品の講評会で、ダイラのに一泡付加された、深層心理から生まれた作品?それは考え過ぎか。ただ、石の表面から細い棒がニョキニョキと出ている作風は、ダイラのプラネタリアを彷彿してしまうのも仕方がないだろう。


教授だって人間だもの、目の前にいる若きスターから影響を受けたっていいじゃないか。


その後、モガミ教授は、横浜みなとみらいに、 を設置した。モガミアートを世間に広めた逸品。モノ派以降の巨匠として、インテリジェンスで野性的、キッチュでコミカルな、後世に残る巨大モニュメントを作った。ダイラの強烈な才能に感化され、となった天才彫刻家!かもしれない・・。


モガミ教授は、熱量はあるが、意味不明な作品を講評会に提出していたダイラの変身ぶりに目を細めていた。


入学した当時は、ただの変人学生と見くびっていた自分を反省した。


「鉄板から光が漏れる?それは、感覚的で面白いが、美術史から考えると、どうなんじゃ?彫刻にタイヤをつけるなんて、安易じゃ!もっと彫刻を知る努力をしなさい!」


モノ派以降の表現者として、もしかしたら、こいつの表現は爆発するんじゃないか。


数十年に一人現れる逸材かもしれない・・・。


学生を育てる位置にいながらも、美術史を塗り替える存在のダイラがらしかった。


教授陣は、講評会では、ダイラを徹底的に潰しにかかった。


ことは、作家として生き残っている教授陣たちは身に染みて分かっている。


垂木たるき(角材)の裏から五寸釘が刺さっていることを知らず、サンダルで踏み込み、酷い目に遭ったときの痛みを、その後教授陣は感じることになる。


ダイラは、有志で始めた小平公園彫刻野外展では、ドームのないプラネタリア、プラネタリア、マジカルミキサーを制作し展示した。


一見、錆びた鉄の物体だったが、夕暮れ時になると、細かく開けられた穴から光がこぼれ出す。見る者を魅了し、別世界に連れて行く。


ダイラの兄は、映像プロデューサーだった。


未知との遭遇(スピルバーグ)やぼくらの七日間戦争(カドカワ)で表現されていた、未知なるものとの不安と期待が入り混じった出会いやセンチメンタルな感性を、1988年の空気感と共に、秀逸に演出した。


ダイラの作品ビデオは瞬く間に、美術界に知れ渡ることになる。













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