【1-13】

「いいのかって……、何が?」


 てっきり、カミュの言う通りに今から此処で食事をして大丈夫なのかという意味かと思いきや、ジルはもっと深い考えから発言したようだった。まだ器の中にミルク粥が残っているけれど、ジルはそっとスプーンを置く。


「カミュは、この城での食事係としてお前を召喚した。俺はお前を支配したいとは思っていないし、この城を訪れる者も殆どいないが、お前は魔王に隷属していると見做され、世の人々から憎悪を向けられる対象となり得る。そもそも、食事係なのだから、毎日毎日料理をしなければならない。凝ったものを作る必要は無いし、こちらから無茶な要望を出すつもりも無いが、面倒なのは確かだろう。──だが、お前が嫌がったからといって、元の世界へ返してやれるわけじゃない。お前は元の場所では死に、消滅しかけていた魂をカミュが呼び寄せて転生させたんだからな」

「うん、……そうだね」

「己の意志とは関係なく勝手に役割を与えられ、見知らぬ土地へ連れて来られる理不尽さは、俺にも痛いほど分かる。……申し訳ない限りだが、こうなってしまった以上、どうしようもない。願わくば、ミカの嫌悪感や抵抗感が少しでも低いことを祈る」


 一気に言葉を紡いで疲れたのか、気分が優れないのか、魔王は憂鬱な溜息を吐き出した。

 ジルの瞳は、とても昏い。黒い色のせいでも、室内が薄暗いからでもない。彼はずっと何かに苦しみ、哀しみ、憂いている。──それは、彼が「魔王」だからなのかもしれない。


「……ジルは、魔王になりたくなかったんだね」

「……ああ、そうだ」

「僕はまだ、この世界のことをよく分かっていないんだけど……、魔王って、誰かがならなきゃいけないものなの? 辞めちゃいけないのかな?」

「辞めるわけにはいかない。この世界においての必要悪だというのもあるが……、なりたくてなれるものでも、辞めたくて辞められるものでもない。……それでも、魔王は必要なんだ。災厄の元凶であり諸悪の根源であると糾弾できる相手が、ある意味では平和を生み出している。皮肉な世の中だ」


 そこでジルは唇を閉ざす。それ以上を語る気は無いらしい。疲れてしまったのかもしれないし、今はまだ僕にそこまで心を開いてくれていないような気もする。それはお互い様だし、仕方ないだろう。

 でも、まだ出会ったばかりだというのにこちらを気遣ってくれる心優しい魔王の憂いを、少しでも減らしてあげたいと思った。


「……僕も、魔王の食事係になるなんて思わなかったよ。なりたいと思ったこともないし、正直、夢でも見ているんじゃないかと今でも思ってる」

「……ああ、無理もない」

「でも、夢だったとしても、悪夢じゃないよ。むしろ、僕が望んでいるものが与えられている、良い夢なんじゃないかな」


 僕の言葉が意外だったのか、ジルはわずかに目を瞠り、戸惑ったように瞬きする。


「お前は……、魔王の従僕になりたかったのか?」

「ううん、そうじゃない。僕は、ずっと一人だったから。共同生活の経験はそれなりに長かったけど、そこは誰かとの繋がりを得られる場所じゃなくて、生きるために最低限必要な物を規定通りに与えられていただけ。それが無ければ生きることは出来なかったから感謝はしているけど、僕はいつも孤独だった。……だから、ぼんやりと憧れていたんだ。誰かのためにごはんを作って、一緒に食卓を囲うような、そんな時間をずっと夢見てた」

「誰かのための、食事を……?」

「うん。だから、自分の置かれている状況はよく分からないけど、全然嫌じゃないよ。色々と勝手は違うし、知らないことも多い場所だけど、君たちのためにごはんを作る日々が待ち受けてるんだって思うと、なんだかわくわくする」


 その気持ちは嘘じゃない。

 カミュもジルも、出会ったばかりだけれど、優しい人たちだって分かる。頭から角が生えている魔王でも、背中に羽がある悪魔でも、彼らが僕を温かく迎え入れようとしてくれている事実は変わらない。

 そして、その事実は、どこに行っても疎まれたり距離を置かれたりする僕にとって、とても嬉しいものだった。


「お前が嫌じゃないなら幸いだが……、俺は魔王で、カミュは悪魔だ。皆から疎まれる立場の仲間だと思われても、平気なのか?」

「うん、平気。変な目で見られたり、悪口言われたり、苛められたり……、そういうのには慣れてるから」

「……お前は、変な奴だな」


 ジルは、困っているようだった。僕をどう扱っていいものか、悩ませてしまったのかもしれない。やっぱり僕は、どこの世界に行っても誰かと関係を築くのが下手なんだな。それでも、ここの魔王と悪魔は僕を見捨てたりはしないんだろうと思えるし、その予感が心強い。


 なんともいえない沈黙が続き始めたとき、鼻歌まじりにカミュが戻ってきた。大きな黒い翼で軽快に飛んできた彼は、ジルに食事を運んできたときよりも大きなトレーを手にしている。そこには、ミルク粥が詰められた小ぶりな鉄鍋と、器とスプーンが二つずつ載っていた。

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