第76話 Who it is? What it is?

 Who it is?


I think it is dangerous for him to walk with reading a book. And if there are many "traditional" statues in the school or the street, students can copy it and get injured. It may be responsible for that statues. That is why a sitting statue of ( ) has recently appeared.


 常識というものは変わる。その前に、世の中というものも変わる。世の中の変化なんて、僕みたいな高校生だとなにも興味がないのかもしれない。先生に、ニュースを見ましょうとか、新聞を読みましょうとか言われることがあっても、どれだけの人が実践しているのかは僕にはわからない。僕がこの「無題」でしたいことといえば、「考えること」だ。同時に、読者に「してほしいこと」でもある。自文のなかに、ありきたりな日記のようなもの、考えないとなかなか意図が伝わらない哲学的なもの、もしくは体験したものごとに対するただの感想など、いろいろなものが含まれているだろう。僕はよく、小説家と同一に哲学者も名乗っている。哲学というのは決して、学者だけがする「難しい」ものではない。日常の中を考えることで埋めだしたら、不思議が溢れる、当たり前だったことを見つめ直すことは哲学だ。「日常の中の哲学」というものを僕は体現している。哲学というものは、「世界・人生・事物の究極のあり方や根本原理を理性によって探究する学問。」ということらしい。いやはや、これは小難しいかもしれないが、英語の先生が言っていたように、大事なものは言い換えだ。つまり、「身の回りのものごとの意味を考えること。」こういうことだ。


 人は誰にも、頭の中には宇宙がある。小宇宙なんかではない。地球に限りがあるが、脳には限りがない。宇宙には限りがない。宇宙は、頭の中にあるということだ。だいたい、宇宙の全貌なんてわかっちゃいない。必然的にこうなるよね、と推測していくことでしかわからないこともある。確実なことなんていうのはない世の中だ。平安時代の人々が唱え続けた「無常観」というのが、今の僕たちにも着々と根付いていると考えたら、なんとなく嬉しいことだ。


 では、その宇宙の中でなにを考える。別になにも考えなくてもいいんだけど、人生をそのように過ごすわけにはいかない。「生老病死」という言葉がある。これは仏教用語で、苦しみを4つ並べたということらしい。後ろの3つは、ああそうだろうと納得できるが、1つ目に目を向けてみる。「生」とある。仏教の考え方だと、生きることは苦しいらしい。僕は仏教学者ではないので詳しくは知らないが、「生」は諸悪の根源ということだろうか。生きているから、老いることが、病むことが、死ぬことが苦しいといったところだろうか。理論的に筋は通っている気がしてきた。生きるというのは自分が決めたことではない。まず、「生きている」というのはどうしようもないことだ。それが苦しいという宗教が人を救ってきたのはなかなか考えられない。古典の授業でも、「極楽往生」が最大の喜びらしい。昔の人は、あるはずもない死後の世界を最大の喜びとし、苦しい世の中を生き抜いてきたようだ。馬鹿にしているのでは決してない。現代のような科学も発展していない当時は、占いとかが最先端を行っていたというのは納得できることだ。


 「帯に短し襷に長し。」ということだ。「人生はなにかするには短すぎるし、なにもしないには長すぎる。」といったところか。僕は、人生とは中途半端で役に立たないものだとかは思いたくない。規模が違うのだ、規模は。人生の中に自分は存在している。自分というのは人生に含まれているわけだ。その、自分を取り囲うさらに大きなものに思いを馳せたとき、それが悲観的であってどうすればいいのか。僕は理解に苦しむ。はなから、生きるのは苦しいことだという理論には賛成できない。というより、賛成した時点で、「生きるのは苦しいこと」だとなる。どうにもできない、自分の意思でしか想像できていない人生というものを悲観的にしてなにが起こるのか。いやはや不思議なことだ。


 今になってみると、最初の英文はそこまで意味をなしていない気がしてきた。忘れないように答えを書いておくと、(  )に入るのは「二宮金次郎」だ。英文は僕が考えたものなので、間違いがあると教えてくれると嬉しい。僕は、英語が苦手な高校生なのでね。


 

  What it is?


 わからないことばかりだ。わからいことで埋め尽くされている。それが嬉しいことか、悲しいことか。いいことか、悪いことか。それもわからない。丸投げとかじゃなく、考えた結果がそうなのだから、致し方のないことだ。そのなかで、わからないなりに考えた過程を記していくのがここだ。また、僕みたいな人が増えてくれればいい。ただ、僕と同じクラスの人なんかは僕をひと目見て、「無題」を書いているとはわからないだろうから、僕の周りに似たような人がいてもおかしくないことである。考えない人がいないし、悩まない人もいない。それぞれの人生哲学で埋め尽くされているのは当然のことだ。それぞれの、まだ名付けられてない物語が、見えないところに降り注いでいると考えると、それなりに嬉しい気持ちになるものだ。

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