第8話 無題 2022.3.29

 僕が好きなグループの歌の歌詞に、「変わりたいは、いずれ子守唄になった。」というものがある。歌詞とかを読んで、考察して自分で考えを深めていっている人たちをサイトとかで見たりするのだが、結構すごいと思う。自分なりにこの歌詞について少し考えよう。ちなみに、これは二番の歌詞で、一番は「変わりたいな、でも変わりたくないな。」だ。こっちは素直にそのままの意味なんじゃないかなと思っている。まあ、そりゃ変わるよりか今のままで居たほうが楽だと思う。たぶんというか、絶対、作詞者はもっと深く考えて書いているんだろうとは思うけれども。さてと、話を戻して「変わりたいは、いずれ子守唄になった。」という歌詞。これは、「変わりたい、変わりたい」って言っているだけで安心してしまうということだろう。今のままの地位とか実力で安住しているわけではないと少しでも思いたいせいで「変わりたい」と口先だけで言っている状態。なんの解決にもなるはずがない。こんな偉そうに書いていて、逆に自分はそうじゃないのか、変わるためになにか行動しているのかと言われるとそうじゃないけれども。さっき書いたように、変わらないほうが圧倒的に楽だ。今のまま、自覚している欠点が多く、このままではいけないとは思っている自分が居たとしても、多少不便なままでもその状態のほうが圧倒的に楽だ。大きな失敗というものは、いつもと違うことをしたときに起こるものだと思っている。だから、基本的にはいつものままの自分でいると大きな失敗は起きない。自分を取り繕ったり、媚を売ったりする能力は上達していくんじゃないかな。僕は別に社会を知っているというわけではないと思うけれど、そうやって葛藤を抱えたままで生きている人は多いんじゃないかな。これは何回も言っているけれど、今までの状態、少しはしんどくて不便でも、取り繕ったりしているとなんとか生きていける状態を抜け出して、少しでも好きな自分になれる可能性があるけど、何がおこるかわからない、もしかすると大きな取り返しのつかない失敗をしてしまうかもしれない状態になることは怖すぎる。生きていくためにはその「変化」は不必要なことかもしれない。ただ、その変化が嘘でも思い込みでもいいから必要だと、生きるためには、「楽しく」生きるためには必要だと言うふうにしなければ変われないかな。じゃあ、今の僕はたぶん変われない。「恐怖」というのは次の変化のための原動力にもなるし、今の自分を立ちすくますための要因にもなる。この二面性はどうしようもないよな。中間ていうものが存在しないような気もする。少しでもいい未来のためになにができるのか。それを常に考えておかなければろくな人生にならないだろう。これはまた別の機会に書くことになるかもしれないが、その自分の「人生」を評価するのは多分というか、自分自身なんだろう。自分的に遊んで暮らしているとそのときは楽しいんだろう。嘘をついて、親とか先生を誤魔化しても自分に嘘はつけないと、よく先生が言っていた。本当にその通りだなと今ころ僕は思う。いずれ、自分を裏切ったつけがまわって来るのだろう。本当に、ただ願う。少しでもいい未来を。

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