しあわせ写真の日



 ぱしゃり



 ずっと前から。

 不思議に思っていること。


 それは。

 色の仕組みだ。


 人間が見る風景は。

 つまるところ、物体に当たった光が反射して目に届いて。

 その光の色を対象の色と認識しているに過ぎない。


 これをカメラの仕組みに置き換えると。

 レンズを通った光が撮像素子に当たって。


 それを電子に変換した後にデジタル信号化させて。

 物体の色を人間の見る色と同じものに戻すことができるわけだ。


 そんな理屈は理解している。

 もちろん分かっている。



 でも。


 

 ぱしゃり



 光が反射して、誰の目にも青く見えるこの海が。

 曇り空の下では黒く見えるように。


 人は、物体そのものではなく。

 光の色を感じ取っているわけだから。


 実際には、その物体に。

 色は無いのではなかろうか。


 色のない、黒い物体に。

 光が当たって。

 青い色だけを反射している。


 それを、青い物体と呼ぶのは。

 正しいのや否や。



 だとすれば。

 ひょっとすると。


 真実の、色のない世界を映すことができるカメラが。


 どこかに存在するのかもしれない。




 ~ 四月二日(土) しあわせ写真の日 ~

 ※天地玄黄てんちげんこう

  天と地の正しい色。

  天は黒。地は黄色。




「青の波長の光を反射をする物体なんだから、それは青色」

「言い切るなあ」


 分かっていた。

 ああ、もちろん分かっていたんだけど。


 この哲学にも似た命題に。

 四角四面な答えを返して来る理系女子。


 舞浜まいはま秋乃あきの


 普段の会話は、基本的に俺主導なんだけど。

 理系分野については俺の方が舌を巻く。


 そんな俺たちの会話は。

 こういった、非科学的なジャンルにおいて。


 双方譲らぬ、楽しい議論となることが多い。


 

 ぱしゃり



「……なぜ撮ります、雛さん」

「いや、珍しいと思ってな」

「何がです?」

「堂々としゃべる舞浜も、言いよどむお前も」

「そうですか?」


 思わず眉根を寄せたものの。

 言われてみれば、ワンコ・バーガーでこんな会話をしたことなんて無いからな。


 結構いつもやっている議論。

 そんな俺たちの姿を。

 知ってる人なんて少ないのかも。


 だとすると。

 その携帯には。


 俺たちの本当の姿が映っているのかもしれない。



 ……臆病で、自分の意見を口にするのがほんとは苦手な俺と。

 自分に自信があって、堂々としている秋乃の姿が。



 二人旅という秘密もバレちまったし。

 この人たちには全部を晒してもいいのかもしれんな。


「小太郎さんから見ても珍しかったですか? 結構俺たち、こっちの方が普段通りなんですけど」

「え? そ、そ、そうだね。難しくて、途中から聞くのやめちゃった」

「あはは。どこから聞いていなかったんですか?」

「それじゃおやすみなさい、からかな?」

「うはははははははははははは!!! だからおはようって挨拶したのにスルーされたのか!」


 驚異の天然、小太郎さんに。

 昨日から笑いっ放し。


 でも、雛さんは苦笑いを浮かべるばかりで。

 秋乃に至っては。


 不機嫌というか。

 不安げな表情を見せるようになっていた。


「どうしたんだよ。朝はあれだけはしゃいでいたのに」

「う、うん……。何でもないよ?」

「四人で観光するの、ほんとは嫌だった?」

「全然そんなこと無い! ……あたし、ジュース買って来るね?」

「ああ」


 今の様子を見ても。

 なんでもなくはないと思うんだが。


 逃げられるでは仕方ない。


 そんな秋乃に、小太郎さんもついて行ったので。

 俺は、雛さんと肩をすくめながら話し始めた。


「なんで焼津にいるんです?」

「そのセリフ、そっくりそのまま返してやる」

「ここには花沢の里と天文科学館があるんで。どっちも秋乃が好きそうだから」

「そんなのどこにでもありそうなもんだろうが。正直に言え」


 さすがは雛さん。

 するどくていらっしゃる。


 でも、バレバレとは言えお忍び二人旅って明言するには恥ずかしいし。

 秋乃たちも自販機から戻ってくるところだから。


 誤魔化し続けてタイムアップを狙ってやる。


「ほんとは、ここにしかない観光スポットがありまして……」

「ほう? 聞かせろよ」

「どこに連れて行ってもいい感じにならなかったら、小泉八雲記念館に連れて行って怖がらせてしがみつかせるという作戦を考えてました」

「呆れたやつ! どうなってるんだお前の頭の中身は!」

「ピンク色?」


 そんなセリフに雛さんが頭を抱えているところに。

 秋乃と小太郎さんが帰ってきたんだが。


 この人。

 それに気付かず話を続けて来た。


「九十パーセント以上の確率で行きたがらないだろ? 無理だ」

「いや残り数パーセントに賭けて、俺は誘う!」

「バカだな」

「そんなことねえぞ? 秋乃、行きたいよな?」


 話の流れを把握してない秋乃への無茶ぶり。

 あとは、こいつがわたわたしてる様子を見て笑えばゲームセット。


 そう思っていたんだが。


「行きたい!」

「そうだよな。場所も聞かずに答えが出るわけな行きたいの!?」


 雛さんとの会話。

 聞こえててそう言ったのだとしたら。


 数パーセントが百パーセント。


 そんな手ごたえを感じた俺に。

 秋乃は満々の笑みを向けながら。


「久しぶり……、スーパー銭湯……」

「うはははははははははははは!!! 数パーセントって言ったんだ!」


 さすがの雛さんも。

 これには大笑い。


 それにしてもお前。

 どんだけ好きなのさ、スーパー銭湯。




 ~´∀`~♨~´∀`~




 散々遊んで。

 いよいよ雛さんたちが帰る時刻になった。


 俺たちも、雛さんと同じ電車で行こうかという話になり。


 四人で駅の改札を潜る。


「……そう言えば、俺たちが何でここに来たのか聞いてたけどさ」

「ん? ああ、小泉八雲記念館の話しか?」

「雛さんたちは?」

「あたしたちの住んでるところと東京の、ちょうど中間あたりだから」


 まったく意味を成さないようで。

 深い意味を持っていそうな、そんな言葉をよどみなく返してきた雛さん。


 これから小太郎さんと会うような時にはここにしよう。

 そんな思いで焼津に来たのだろうか。


 一日中、くすんだ色で横たわっていた空が。

 いよいよ雨を降らせるつもりだろうか。

 一層その姿を暗い色に変える。


 天地玄黄てんちげんこう

 本当の空の色。


 ……本当の、二人の気持ちはどうなんだろう。


 俺は、いつまでも自分が向かうべき反対のホームへ行こうとしない小太郎さんを見つめていると。


 彼は意を決したような表情で。

 雛さんに向けて、驚くようなことを切り出した。



「ほ、ほ、ほんとにもう、連絡を取っちゃいけないの?」



 え?



 連絡を取らない?

 どういうこと?


 にわかには理解できずにいた俺の目に。

 秋乃の、不安そうな表情が写る。


 今日、ずっと気にしていたお前の感情。

 このことについて気付いていたのか?


「……そうよ。コタローが東京に行くって決めた、あの秋の日に言ったはずよ?」

「うん……。で、でも、ご飯の作り方とか、聞きたいな……」

「ふふっ。一人でやっていくためには、なんでも自分でできるようにならないと」

「ヒ、ヒナちゃんがそう言うなら、そうなんだろうね……」


 俺は知っている。

 お互いの存在なしでは生きていられないのは。


 むしろ雛さんの方。


 そんな雛さんが。

 小太郎さんとの関係を。


 ここで終わりにしようとしているのか。


「わかってくれた?」

「は、はい。……で、でも、いつになったら連絡していいのか、教えて?」

「今、連絡してもいいんだってコタローが分かるまでは、ダメ」

「む、難しいよ……」


 雛さんの表情は。

 あくまでも柔らかく。


 ぐずる子供を。

 大きな愛情を込めて旅立たせる。


 そんな母親のような優しさを感じずにはいられない。


「そうよ? 難しいの。でも、難しくて答えが分からないうちは、ダメって事」

「ヒナちゃんが言う事、信じるね? あ、でも、その約束を忘れたくないから……、写真撮っていい?」

「………………うん」


 手に取るように伝わって来た。

 雛さんの感情。


 答えあぐねていた、一瞬の間に。

 どれほど心が揺れたのだろう。


 俺は、携帯を預かって。

 胸を詰まらせながらシャッターを切ると。


 そこには、いつもの屈託のない笑顔を浮かべる小太郎さんと。

 いつも通り、小太郎さんに向ける優しい目をした雛さんがいた。


「じゃ、じゃ、じゃあ。電車、来るから」

「うん。……いってらっしゃい」


 小太郎さんが、旅行鞄の取っ手も出さず。

 持ちづらそうに体を傾けながら引っ張って、反対側のホームへ向かう。


 いつも小太郎さんに優しくしていた雛さんは。

 かけようとした声をぐっと飲み込みながら。

 その姿をずっと見つめて立ち尽くす。


 そして上りと下り。

 同時に電車がホームへ滑り込むと。


 二人とも、急ぎ足で電車へ駈け込んで。

 窓と窓を隔てて、一番近くでお互いを見つめ合っていた。


 発車までの、ほんの一分くらいの時間。

 小太郎さんには分かっていないだろうけれど。

 おそらく雛さんにとっては、永遠にこのまま時が止まればいいと思っているはずの。


 最後の時間が。



 響き渡る発車のベルによって終わりを迎えた。



 ……かつて俺は。

 これほどまで、電車が発車する時の揺れに胸を締め付けられたことがあったろうか。


 きっと小太郎さんは、雛さんと同じように。

 窓に手を添えて。

 いつまでも最愛の人を見つめ続けているのだろう。


 そしておそらく。

 雛さんの方が先に動いて。


 最寄りのボックス席に。

 力なく座り込む。


 そして秋乃が、どうしたらいいか分からぬまま。

 雛さんの隣に腰かけたから。


 俺も、それが正解なのかどうなのか悩みながらも。

 正面に座った。


「……お前達がいてくれて良かったよ。あたし一人じゃ、どうしたらいいか分からなかったから」


 泣くでもなく、無理に笑うでもない。

 ただ、淡々と雛さんの口から洩れた言葉を耳にして。


 秋乃は静かに。

 涙を零した。



 ……最後の二人の写真。

 俺の目には、今まで通りの二人が写っているように見えたけど。


 ひょっとしたら、二人の目には。


 お互いの真実の姿が写っているように見えるのかもしれない。

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