みずの日


 ~ 四月三日(日) みずの日 ~

 ※堅忍不抜けんにんふばつ

  何事にも動揺せず堪え忍ぶこと




「ま、魔法みたい……」

「あの人、ほんとに忍術使えるの!?」


 特に理由なんてものはない。

 みんなのスケジュールを縫うように。

 海沿いにルートを取って。


 それなり有名だけど知り合いが行かなそうなところを選んだルートなのに。


 ここ、焼津やいづでもエンカウントした。

 本日のゲストは。


「立哉君! こっち、なんか火が燃えてる!」

「火遁の術!? じゃあこっちに逃げるぞ!」


 『忍んでみた動画』で多数のファンを抱える。

 動画配信者。


「正面の土の中からなにか出てきた気がする……!

「今度は土遁か! それならここの路地に逃げるぞ!」


 たしか、今は住まい探しを兼ねて。

 雛さんと東京に行っていたはずの。


「あ、あたし、読めたんだけど……」

「俺もだ! この通路に誘い込まれてるよな俺たち!」

「しかも、正面に……」

「分かってる! 逆にあそこに突っ込むぞ!」

「ご、ごめんなさい小太郎さん!」

「春にそんな不自然な落ち葉があるか!」

「げふん!」


 最後は、木遁を披露しようとして。

 策に溺れた小太郎さん。


 彼に見つかった時点で、もうアウトなのだが。

 俺たちは慌てふためいてる間に。

 目的がよく分からなくなって。


「殺っちまったか……」

「あ、あたしが顔を蹴とばした気がするけど、立哉君がやったことにしていい?」

「確実にあごにヒットさせてたらそれでいい!」

「……じゃあ、甚だ僭越ではございますが。立哉君、酷い……」

「よくやった!」

「あ、あたしじゃないよ?」

「よくやった!」

「ぴえん」


 後ろを振り返ってる余裕はない。

 でも、秋乃の脚力なら確実にダウンさせているはず。


 あとはこのまま駅に向かって。

 高跳びすれば済むはずなんだが……。


「次の電車まで、微妙に時間があるな」

「だったら、なにか食べてから電車に乗りたい……」


 一見、緊張感のない話に聞こえるかもしれないが。

 ごもっともなことをつぶやくこいつは。


 舞浜まいはま秋乃あきの


 昨日の昼、これでもかという量のウナギを食べて。

 カロリーを気にして夕食を抜いた挙句。


 今日は寝坊したせいで。

 朝も食べずに出発したんだ。


 途中、何度か食い物を買うタイミングはあったが。

 二人揃って、焼津の黒はんぺんを楽しみに我慢して。


 店に入ると、店内から。

 ワンコ・バーガーで何度か耳にしたことのある煙玉の爆発音。


 反射的に煙幕で満たされた店から飛び出して。


 ……そして現在に至るという感じ。


 走って走って。

 体力的にもかなりピンチだが。


 それより深刻なのが。

 秋乃のお腹。


 道すがら、何か買えるものでもあればいいんだが。

 そう思った瞬間。


 燻製の香りが鼻腔をくすぐった。


 その発生源はどこだろうかと。

 二人分の旅行鞄を両肩に担いだ、狭い視界を左右に振ると。


「すでにまっしぐら!?」


 渡りに船と言わんばかり。

 道端に出ていた食い物の屋台に。


 わき目もふらず。

 秋乃が真っすぐ向かっていた。


「お、おじさん! 一つ下さい……」

「こら! 寄り道はギリ許してやるが、せめて二つ頼め!」


 本当は、もうちょっと小太郎さんから離れたところで買い食いしたかったんだが。


 この燻製独特の香りに抗うことなどできやしない。


「焼津名物なまり節か……」


 カツオの燻製、なまり節は。

 そのままショウガ醤油とか、マヨネーズで食べてもよし。

 酢で和えたり、ご飯にまぶすだけでもかなり旨い。


 そんな逸品を、この屋台ではどう提供するのかと思っていたら。


 予想外に過ぎる品が出て来て目を疑った。


「汁物!?」

「い、いただきます……。ずるる」

「何の躊躇もなく食うとは。常識知らずは最強だな」


 とは言え、椀から漂う燻された香りがすきっ腹をわし掴みだ。

 俺もたまらず汁をすすると、圧倒的なカツオのうまみとほのかに感じる醤油味で舌がとろけそうになった。


「うまっ!?」

「お、おいし……」


 そして、椀の中から具を摘まんで取り出すと。

 中から出てきたのがカツオではなく。

 もちもちした練り物で、またもやびっくり。


 この料理は一体なんというのだろう。

 俺は屋台から二歩下がって暖簾を見上げると。


「うはははははははははははは!!! 字が違う!」


 あまりの衝撃に。

 その場にへたり込んでしまったのだ。


「ど、どうしたの……?」

「その親父さんの顔、よく見ろ」

「え? …………こ、小太郎さん!?」

「に、に、忍法、水遁すいとんの術……」

「すいとんは、『水』に『団』の字だ!!!」


 そしてこれほどの料理を。

 小太郎さんが準備できるはずもなく。


「おつかれさん。なんで逃げたんだよお前ら」

「お、お、おかげで僕は楽しかったけど……」

「くそう! いいおもちゃ扱いかよ!」

「か、かくなる上は、煮るなり焼くなり燻すなりしてください……」


 隠れていた雛さんが顔を出して。

 ゲームセットと相成った。



「この屋台とか、どうしてこんなところにいるのかとか、聞きたい事は山ほどあるが」

「う、うん」

「秋乃の蹴りを食らっておきながら、どうやって先回りしたんだ?」

「た、立哉君が蹴った……」

「この際どっちでもいいだろうが!」

「あ、ああ、あれはね? 忍法、変わり身の術だよ?」

「でも、げふって声がしてたけど?」

「だ、だ、だから。変わり身を」

「それは身代わりだっ!!!」


 一体どこのどいつを身代わりにしたんだよ!

 問題になったりしねえだろうな?


 俺は、不幸にも巻き込まれた赤の他人の方へ向けて。

 深々と頭を下げた。


 殺意を込めた蹴りを秋乃が見舞ってすいませんでした!

 じゃなくて、俺が蹴ったりして悪かった!


「おい。質問に答えろよ」

「へ?」


 雛さんがなにやら絡んで来たけど。

 そりゃ、間抜けな返事にもなるさ。


「何か質問されてたっけ?」

「最初に聞いたじゃねえか。なんで逃げたんだよ」

「そりゃ……。見つからないようにと……」

「見つけたから追いかけたんじゃねえか」

「ん?」


 言われてみれば。

 そりゃそうだ。


 ……あれ?


「あああああああ!」

「うわびっくりした。どうした?」

「ここ数日、逃げるのが癖になってたから……」

「は?」

「いや、最初からゲームセットだったって今更気が付いて……。逃げる必要無かった……」

「どういう意味だよ?」


 状況が理解できない雛さんの眉根は寄ったまま。

 でも、改めて説明しようとした俺の袖を。

 秋乃がくいくい引いて来る。


「なんだ?」

「あ、あのね、立哉君。あたしたち、そもそもゲームセットじゃない……」

「え? ……あ、そうか」


 そして秋乃が言う通り。

 この二人に知られたところで。

 情報が誰かに洩れるはずもない。


 つまり。

 結局のところ。


「……逃げ損?」

「あ、あたし、なんで立哉君が逃げてるのかなってよく分からずに走ってた……」

「言えよ!」

「そ、そんなこと言われても……」


 どっと疲れて肩を落とした俺と秋乃の口喧嘩。


 それを、小太郎さんは。

 彼らしい言葉で優しく止めてくれた。


「じゃ、じゃあ、休憩したところで続きしよう? 今度は、立哉君がオニ……」

「うはははははははははははは!!! こうなりゃヤケだ! 絶対捕まえてやる!」


 ほっとして。

 もうどうでもよくなった。


 だから俺は。

 呆れ顔を浮かべる二人の女子を置いて。


 丸一日。

 小太郎さんを追いかけ続けたのであった。


 

「……また明日。頑張りましょう」

「頑張ったところでどうにかなると思う!? あの人、百遁の術とか言ってでかいハンマーで殴りかかって来るんだぞ!?」

「そ、そっちじゃないよ?」


 そっちじゃないって何の話だ?

 もう疲れ果ててなにも考えたくない。


 最後に映った秋乃のふくれっ面を子守歌に。

 俺は、まるで泥のように眠りに落ちた。

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