散歩にゴーの日


 ~ 三月二十五日(金) 散歩にゴーの日 ~

 ※尾生之信びせいのしん

  約束を守ること。




 高校二年生と三年生の狭間。


 進路について、ひとまず保留可能なギリギリのラインであり。

 学校の仲間とかなり仲が良くなっているゴールデンタイム。


 毎日でも友達と遊び惚けていたいと誰しも思うであろう、そんな貴重な二週間を。

 すべて棒に振ったこいつは。


 舞浜まいはま秋乃あきの


 就業日の今日も、誘いを断り。

 俺との約束までも忘れて。


 車窓から遠くの景色を見つめるその瞳には。


 明日からのめくるめく実験生活が映っているのだろうか。

 あるいは、他の何かが見えているのだろうか。


 電車を地元駅で降りた俺たちは。

 秋乃お気に入りの立ち食い蕎麦屋で昼食を済ませて。


 後はまっすぐ帰るだけと思っていたら。

 こいつはどういう訳か、ぴたりと足を止めた。


「どうしたんだよ」


 俺の問いかけに。

 秋乃は何かを言いたげにもじもじし始める。


 本当にどうしたのか。

 まさか、今更……。


「い、行こう……!」

「ええっ!? まさか、りょ」

「散歩に!」


 んなっ!?

 こいつ、フェイントかけて来やがった!


「りょ?」

「えと……」

「あ、分かった」

「いややめて実は俺が行きたかったとかそんな直接言われたら恥ずかしい!」

「漁?」

「…………やっぱりこの時期はさわらだよね」


 からかわれているのか真面目なのか。

 相変わらず、表情では判断できん。


 でも今の感じだと。

 俺が旅行に行きたがっているのを察して、いじられただけな気がする。


「散歩……、いこ?」

「行かねえ」


 だから、俺が断ったのは自然な流れなんだ。

 困った顔されても知らねえよ。


「た、楽しいと思うなあ……、散歩」

「行かねえと言ってるだろうに」

「ほんとに?」

「……今、お前が考えてるもう一つの方なら行きたいが」


 そして渋々白旗をあげて。

 旅行に行きたい気持ちをカミングアウトしてみれば。


 こいつは勝ち誇ったような顔をして。


「そ、そうだよね。きっと楽しいよね?」

「ああそうだよ行きたいよ! りょ」

「スーパー銭湯」

「同性の友達と裸ではしゃぐ不思議空間っ!!!」


 またフェイントかよ!

 というかホント好きなお前、スーパー銭湯!


「りょ?」

「えと……」

「え? まさか……」

「うぐぐぐぐぐ!」

「量子力学!?」

「くそう! ラブコメ並みのじらし展開っ!!!」


 なんでお前と受験に関係ない勉強しなきゃならねえんだ!

 もてあそぶのもいい加減にしろ!


 大騒ぎする俺たちに白い目を向けて来る通りすがりの皆さんも気になるし。

 この場をとっとと逃げ出そう。


 そう思って歩き始めてはみたものの。

 違和感に気付いて立ち止まる。


 目を輝かせてにやにやしているかと思っていた秋乃は。

 悲しそうな顔で俺のことを見つめていた。


「あれ? なんでそんな顔してるんだお前?」

「さ、さっきからふざけてばっかり……。真面目なお話しようとしてるのに……」

「それをお前が言う!?」

「言う……」

「え? ほんとに真面目な話しようとしてたの?」


 そう言われて、今の会話をさかのぼってみれば。

 確かにどちらにも取れるような気がして来た。


「す、済まなかったな」

「酷い……」

「ちゃんと聞くから。何の話だ?」


 軽く頭を下げながら。

 両手を合わせてみた俺に。


 秋乃は、口を小さく開いてすぐに閉じて。

 そしてしばらく、もじもじと体をよじる。


 ……真面目な話。

 そしてこの仕草。


 やっぱりお前。

 旅行に行きたかったのか?


 だとしたら、なぜ断り続けて来た。

 ひょっとして、俺と同時に誘ってくれる人が現れるまで待っていたとか?


「あの……、ね?」

「おお」

「お、思い出になると思うから、あたし……」

「やっぱりそうか! 大丈夫俺も一緒に行くから! そりゃ思い出になるに決まってるよ、りょ」

「呂布」

「なりたいの!? 一生忘れやしないだろうねえそんな大物になれたら!」

「い、今のは冗談……」

「おいいいいいい!」


 やれやれ。

 これはあれだな。

 からかってるんじゃなくて、恥ずかしさを誤魔化してるんだな。


 しょうがねえヤツだ。

 でも、あらかじめ準備しといてよかったぜ。


「…………ほれ」

「なに? この紙……」

「クラスのみんなが、いつ、どこに、どんなメンバーで出かけてるか聞いてリストにしといたんだ。絶対、いい思い出になるから。どれか選べ」


 俺も旅行に行きたい。

 そんな願いを叶えたいためではあるけどさ。


 なんでここまでしてやらなきゃならんのだ。


 せいぜい笑顔で感謝して。

 俺の苦労をねぎらってくれ。


 ……そう思っていたんだが。


 秋乃は。

 泣きそうな顔をして、紙を突っ返して。


 そして。


「た、立哉君はあたしとの約束、守ってくれないの……?」


 意外過ぎることを言い出して。

 俺を困惑させたのだ。


「え?」

「まさか、忘れてた……?」

「いやいや! 約束忘れてたのはお前の方だろ!?」

「立哉君の方……」


 もう、俺たちのやり取りは。

 通行人が足を止めて見ているほどになっているけど。


 そんなの気にしてる場合じゃねえぞこれ!


「一緒に旅行に行こうって話だろ!?」

「あれ? 覚えてた……。正解です」

「なんじゃそりゃ!? だったら何でみんなの誘い断ってたんだよ!」

「…………あ、そういう事、か。なら、不正解です」

「はっきり言え! まったく意味が分からん!」


 完全に矛盾した秋乃の行動。

 さすがに理屈が思いつかねえ。


 そしてさっきからの、そのもじもじは何だ!

 そんなに言いにくい話なの?

 一体なんだってんだ!


「い、言い出しづらくて……、散歩に行って時間稼ぎしたくって……」

「頼むからここで言ってくれ! なんなんだよさっきから!」

「あ、あたしは、約束したから……」

「何を!」


 もう自分でも歯止めが利かない程むきになって。

 噛みつかんばかりの勢いで秋乃に問い詰めると。


 こいつは、視線を逸らして空を見つめながら。

 口の中で、もごもごと呟いた。




「か、彼氏の立哉君と、二人で旅行に行くって……」




 …………え。




 はああああああああああ!?


 そ、そうだったっけ!?

 あれ? ほんとにそうだったっけ!?



 必死に記憶を探ってみたが。

 まったく思い出すことができない。


 でも、そうか。

 この約束をしたのは結構前の事。


 付き合い始めた時にはやたらと意識して。

 恋人っぽいことしようと躍起になっていたけど。


 自然にゆっくり変化して行けばいいかと考えてから。

 こいつの彼氏だという自覚が薄れて行ったせいで。


「二人で、なんてありえないと思って記憶から消えてたんだ……」

「や、やっぱり立哉君が忘れてた……」

「すまん! ほんとにゴメン!」

「じゃあ……。い、行こう……!」

「よし行こう! りょ」

「散歩!」

「うはははははははははははは!!! もう必要ないやろがい!」


 言い辛いことを言えたんだ。

 散歩の必要はなくなった。


 でも。


 いきなり二人きりで旅行なんてハードルが高いから。

 まずは二人で小旅行。


 俺たちは、家までの道を遠回りしして。

 のどかな春のあぜ道を。

 ゆっくり並んで歩いたのだった。




「……りょ?」

「もういじめんでください」

「旅客自動車運送事業?」

「小太郎さんか」


 手押し車で秋乃を運ぶ旅にするわけにはいかない。

 俺は頭の中で、旅の計画を必死に練り続けるのだった。


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