想いが変える世界
詠月
想いが変える世界
号令がかけられた途端、吹き返すようにざわめきを取り戻す教室。帰り支度を始めるクラスメイト達。
それに漏れることなく机の横の鞄へと手を伸ばしたところで、不意に目の前に落ちた影に僕は顔を上げた。
「なあ、晴。今日暇?」
視界に映ったのはスマホ片手に近寄ってくる、気崩した制服に身を包んだ男子生徒。
彼が投げ掛けてきたのは、ホームルームが始まる前、つい数分前まで話していたため挨拶も何もない単刀直入な言葉だった。
今日何かあったっけと素直に脳内でスケジュール帳を開く。今日は、えっと……
「暇だよな。でさ、」
「いやまだ何も言ってないんだけど?」
自分から聞いておいて答えを聞く気がないとか意味がわからない。
「何だよ、予定あんの?」
まあ別にないんだけど。
脳内に広げたままだった空白だらけのスケジュール帳を閉じ僕は肩をすくめた。
「ないけどさ。僕がいつも暇みたいに聞いてくるのは止めてよ、拓斗」
「事実暇だろ。いいじゃん」
「気持ちの問題だよ。なんか複雑になるから止めて」
「あーはいはい。でさ、」
コイツ本当に人の話聞く気がないな。
ドカッと僕の前の席に座り大胆にも足を組み始めた拓斗から視線を外し、僕は机から教科書を取り出す作業を再開させた。
「相談があるんだけどさ」
どうせろくなことじゃない。
「というか頼み?」
絶対面倒くさいやつだ。
「告白の台詞一緒に考えてくんね?」
ほら当たった。やっぱり……って。
「……は?」
思わず僕は手を止めてまじまじと拓斗を見つめてしまった。
「ごめん、もっかい言って」
「だからぁ、何て告白するか一緒に考えてくれって」
「……一体今度は何をやらかしたのさ?」
「失礼だなおい。昔も今も何もやらかしてないし、今後もやらかすつもりないし、つかそっちの告白じゃねぇからな?」
つまり……あの告白?コイツが?
「そうそう、恋の方の」
「……お前どうしたん?」
「だから失礼だな。俺だって恋くらいするぞ?」
意味がわからない。急に告白だとか。
あんなにも恋なんてものとは無縁だった拓斗がそんなこと言い出すなんて……
「めんどくさ……」
「おい晴、聞こえてるんだよ。ひでぇぞ」
思いっきり眉をしかめてそう呟けば拓斗は僕の頭を小突き、だいたい親友の俺が大事な相談持ちかけてるってのに何だその反応は、とぶつぶつ言い出した。いつからお前は僕の親友になったんだよ。
「まあとにかくそんな訳で、一緒に告白の台詞考えてくれよ、な!」
僕は視線を落とし教科書を引き出して一言。
「断る」
「さっき暇だっつったろ!」
帰り支度ほど大切な予定はない。今日は時間割が最悪だったから教科書の量も多い。
つまり僕は今とても忙しい。
「そんなくだらないことに付き合う時間はない」
「くだらないことって……お前冷たいな……」
「自分で考えればいいだけの話でしょ。だいたい何で僕なのさ」
「お前くらいしか頼める人いないんだよ!」
お前の交友関係なんて知るか。
拓斗の縋るような視線を無視して鞄に教科書を突っ込む。ああ、体育あったからジャージも持って帰らないと。面倒だな。課題もしっかり入れて……ってそうだ、コイツにノート貸してたんだった。
「拓斗、さっき貸したノート……」
「晴」
返して、と開きかけた口を咄嗟につぐむ。
「頼む」
その声はいつもの拓斗とは異なって、静かで芯を持った声だったから。
いつものおふざけとはまるで違うものだということが痛いほど伝わってくる声だったから。
「一緒に考えてくれないか」
その真っ直ぐな瞳に何も言えなくなって、グッと僕は言葉を呑み込んだ。
……そんな風に言われたら、断れないじゃん。
真剣に真剣を返さないなんて人として駄目だし。コイツ僕が断れないの絶対わかってるだろ。
なんて思考を振り払い僕はため息をついた。
「わかったよ。考えればいいんでしょ」
「ほんとか!」
パッと顔を輝かせて拓斗が声を大きくし、僕はうるさっと眉をしかめる。
「マジで助かる。サンキュ、晴!」
「助かるって……僕上手いことは言えないからね?」
「それでもいい、全然いい!」
晴が手伝ってくれるなら百人力だー! と僕の手をぶんぶん振り騒ぐ拓斗。その反動で丁度掴んでいた筆箱が落ちる。あ、悪い、なんて言いながら慌てて拾う拓斗にもっと落ち着けと呆れた。
大袈裟すぎでしょ。僕にどれだけ期待してるの、そんな力ないんだけど?
「で、何を悩んでるのさ?」
受け取った筆箱を突っ込んだ鞄を横に掛けてから、とりあえず聞いてみる。
まあ台詞って言ってたし、そんな時間もかからないだろう……
「ああ、えっとな。告白って何だ?」
「……」
ちょっと待って?
「お前何言ってんの……?」
「いやだって、考えてたらよくわからなくなってさ。ほら、よく聞くじゃん。月が綺麗、だっけ?とかさ、やっぱかっこいい台詞の方が受けいいのかなーとか。なんかサプライズした方がいいのかなとか、そもそも場所とか学校じゃ駄目だよなとか……」
コイツ……マジで面倒くさい。
早速引き受けたことを後悔し始める。
何なんだよその思考は。
「余計なことはしなくていいんだよ。変に捻ろうとするな」
「でもさ、やっぱかっこいい方が」
「かっこいいかっこよくないの問題以前に引かれるよ」
「え、引かれんの?」
拓斗がしたいのはあくまで告白な訳で。
サプライズなんてプロポーズ並のパフォーマンスはいらないだろ。かっこつけたがりのナルシストって肩書きを貰うことになるだけだよ絶対。
「普通でいいんだよ」
「普通?」
「そう。変に飾んないで告白だけ。拓斗が言いたいことそのまま言えばいいんじゃないの」
随分前に姉に無理やり読まされた恋愛小説を思い出す。告白シーンはどれも台詞だけだった覚えがある。それがときめくの、なんて言っていたしその方が間違いはない気がする。知らないけど。
普通、普通かーと腕を組みながら繰り返す拓斗。納得がいってないご様子だ。
机に頬杖をついて、はあっと僕は息を吐いた。
「なに、かっこつけたい訳?」
「んー……そういう訳じゃねぇんだけどさ」
「じゃあ何」
言いにくそうに、困ったように拓斗は頬をかいていた。
「このままじゃ俺、フラれるの決定なんだよな」
「は?どういう意味」
「ほら、俺何もないじゃんか。至って平凡の男子高校生」
それがどうしたの、と目で続きを促す。拓斗は心なしか少し落ち込んでいるように見えた。
「釣り合わないんだよな、相手と。俺じゃあさ」
天井を見上げる拓斗。いつの間にか誰もいなくなっていた教室に静かに声が落ちる。
何となく僕は、コイツが迷っている理由を理解した。
相手に釣り合わないからフラれる可能性が高いと。だから告白を張り切っている。空回っているようだけど。
少し意外だった。
いつもヘラヘラ笑って本気になりたがらない拓斗がここまで真剣に悩んでいるのを、初めて見たからなのかもしれない。少なくとも僕が知っている今までのコイツは、そんな切ない表情を見せたことはなかった。
前まで恋の「こ」の字もなかったくせに。
恋するだけで人は、ここまで変わるものなのだろうか。
「……ねえ」
気になったから。
自分には想像できないものだから。
だからそれを口にしたのに深い意味なんてなくて。ただの純粋な好奇心。
「恋ってどんなものなの?」
拓斗は僕の質問に一瞬動きを止め、戸惑うように瞳を揺らした。
「どうって……」
「だって拓斗苦しそうじゃん」
止めれば解決する。
それなのに続けるのは何で?
僕には理解できなかった。
「苦しそう……か」
「うん」
「そっか、晴にはそう見えてんだな」
言葉を探すように、拓斗は宙へと視線を彷徨わせた。
「……確かに、辛いかもな」
でもさと慎重に、ゆっくりと紡いでいく。
「どうしようもねぇんだよ、きっと。一回覚えたら自分からは捨てられない。そういうもんなんだよ」
自分からは捨てられない、どうしようもないもの……
そう言われてもいまいちピンと来ない。
「ほら、初恋とかもそうじゃね? いつの間にか忘れてるもんだろ?」
「知らないけど」
「えっ、お前まだなの? その顔で?」
いやどんな顔だよ。
頬杖をついていた状態から体を起こし僕は肩をすくめた。
「別に興味なかったし」
「マジか……」
意外そうに見てくるのがうざったくて、ご期待に添えなくて悪かったね、と前にある拓斗の足を蹴り飛ばしてやった。いてっ、と声が上がった。
「ひど、蹴んなよ……まあとにかく、時しか解決できねぇんだよ、想いってのはさ。気づいたら生まれてるものだし気づいたら消えてるもの。忘れたくて忘れられるようなもんじゃないし、なかにはすぐ消えるものもあるかもだけど自分の意思には関係ない」
だから苦しむ。辛くもなる。
「恋はそういうもんだって俺は思ったよ」
拓斗の声と、開いていた窓から吹き込んできた風が僕らの間を揺らす。それは静かで、けれども深く染みていって。
聞いたこともない理論だったはずなのに、不思議と違和感なく胸に落ちた。
「だから俺は後悔はしない。それよりもこの想いがあるうちは前を向いてたいんだよ。諦めるより叶えるために何かした方がいいだろ、俺の場合それがまずは告白なんだ」
拓斗がニッと笑う。僕は僅かに目を細めた。
……いいな。
後悔しない、なんて。
前を向いていたい、なんて。
そんなかっこいい言葉を自信を持って言えることが。真っ直ぐな自分の意思を持っていることが。全部僕にはないもので、以前の拓斗にもなかったはずのもの。
……本当に、拓斗は変わったんだな。
いつからかなんてわからない。
出会って数年、今までこんな話題を改まってしたことはなかったから。どうしてそんな風に変われたのかもわからない。実感させられるようなことが何かあったのかもしれない。僕にはわからないことだらけだ。
けれど少なくとも、拓斗に生まれた想いが拓斗自身を変えたのは確かで。
「……変なの」
拓斗が何だか眩しく見えて、それを誤魔化すように僕はふいと目を逸らした。
「恋を語るとか拓斗らしくないじゃん」
「お前なぁ……聞いといてそれかよ。俺けっこう真面目に答えたんだけど!」
「拓斗だって人の話聞かないでしょ。ひとのこと言えないね」
「晴……お前……」
一瞬複雑そうな顔をした後、まあいいやと拓斗は笑った。
「つー訳で協力してくれよな、晴。俺何て告白すればいい?」
それはもうすっかりいつもの拓斗の、少し調子に乗った間抜けな表情。
「さあね」
僕はガタッと音を立てて椅子から立ち上がり、鞄を肩にかけ歩き出した。
「は、えっ?」
「自分で考えたら?」
呆気にとられる拓斗を残し廊下に出る。
ワンテンポ遅れてバタバタと慌てたような音が後ろから派手に上がった。
「おい、待てって、冷たくね?」
「自分の想いそのまま伝えればってちゃんと言ったじゃん」
「嘘だろ……それだけ?」
「十分でしょ」
「なわけあるか!」
なあ晴ー! と追い掛けてくる拓斗の声に振り返ることなく廊下を進む。自分の体から力が抜けていくのがわかって、思わずフッと笑みを溢した。
この方がいい。やっぱり僕らには真面目な話なんて合わない。ちょっとふざけるくらいが丁度いい。
歩みは止めないまま窓の外を眺める。少し低くなった太陽に変わらない青い空。さっきまでは聞こえなかった運動部の声に楽器の音。
……いつか、僕も恋というものをする日が来るのかもしれない。
そうしたらこの日常も変わって見えるのだろうか。輝いたものに、明るいものに見えるのだろうか。前を向こうと思えるような、そんな想いが生まれるのだろうか。
『恋はそういうもんだって俺は思ったよ』
僕でも拓斗のように、変われるのだろうか。
「やっと追い付いた、お前歩くの速すぎだろ……って、晴?」
何見てんだ? と首をかしげる拓斗に何でもないと首を振り、僕はまた歩き出した。
恋なんてずっと興味なかった。
自分には関係ないと見向きもしていなかった。
好きなんて感情に意味なんてないと思っていた。
けれど人間とは不思議なもので。
「帰ろ、拓斗」
自分が持っていない光に憧れたり、もしかしたら悪くないのかもな、なんて正反対な考えに短時間で変わったりもするんだ。
想いが変える世界 詠月 @Yozuki01
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