第2話

 突然消えた女の子のモノだと思われる「ワタシ ヲ ミツケテ」という耳元で囁かれた声に反応して私は素っ頓狂な悲鳴を静寂に包まれていた中間考査中の教室に解き放った。


 無事に戻れた事の安堵感と女の子への恐怖心が残っていたが恥ずかしいという気持ちに押しつぶされ顔が熱くなる。


 皆笑い声が噴き出さない様に耐えているのだろう。誰かが笑い声を解き放てば緊張に包まれた教室が爆笑に包まれるだろう。


「お前ら静かにしろよ?」


 試験官の先生から間接的に注意され私は顔が熱くなるのを感じて顔を手で覆い隠した。


 しかし同時に安堵もした。


 黒板の前に設置されている教壇にはあの女の子は存在せず、女の子が教室にいるなら試験官の先生が異常に気がつく筈だからだ。


 未だに笑い声が燻る教室から逃げ出したくなり黒板の上にある時計を確認するとあと数分の辛抱のようだ。


 カチカチと秒針が進む音が聞こえる。


 机と紙と筆記具が織りなす不規則な音は意識を失う前より確実に減っている。


 誰かの健やかな寝息も聞こえてくる。


 私の答案は無事だろうか?


 ふと不安が押し寄せてくる。


 あんな現実味のある夢を見ていた私の記憶などあてにならないとゆっくりと裏返して丁寧に確認すると回答部分は無事に埋めてあった。


 しかし名前の欄だけが空白になっていた。


 何度か確認した筈だが何かの拍子に消してしまったのだろう。未だに残る女の子への恐怖心と教室に素っ頓狂な悲鳴を放った羞恥心で荒れる心を制御しながら丁寧に空欄を『井川 紬』という私の名前で埋める。


 名無しの権兵衛にならずに済んだと安堵し顔を上げた時に中間考査終了を告げる音がスピーカーから流れる。


 ギリギリ間に合った様だ。


「はいやめ! 答案用紙を裏返して一番後の席から集めて!」


 答案用紙が試験官を務める先生の元に集められている間、教室の所々から噴き出す笑い声に居た堪れなくなり私は目線を上げないように机を離れる許可が出るまで身を縮めていた。


 それぞれの列の最後尾の級友達がそれぞれの列の答案用紙を重ねながら試験官の先生の元へ向かっている音が聞こえる。


 私の席の隣にたどり着いた級友に顔を見られない様に俯きながら答案用紙を手渡した。


 顔が上げられない。早く終われと願いながら号令を待った。


「起立! 気を付け! 礼!」


 試験官の先生が教室から立ち去る事で緊張が解かれ所々で噴き出す笑い声や椅子が木目調の床を擦る騒々しい音が時計の秒針の音や風が窓を揺らす音をかき消しながら教室に満ち溢れる。

 

 教室に級友が存在している事を認識できた私はあの異質な夢から帰って来たと強く安堵した。


 恐怖を振り払う為に教室を見渡してもあの名前も知らぬ女の子はいない。誰かの後にも隠れていないだろう。


 最後に窓から景色を眺めるが雲ひとつ存在していない晴天の空と緑で覆われた校庭には誰も存在していない。


「紬どうしたの?」


 校庭を見る為に背を向けていた教室側から急に肩に手を置かれ悲鳴を上げかける。


 恐る恐る振り返ると心配そうな顔をした長身痩躯の幼馴染『渡辺 結衣』が立っていた。


 私達の席は遠く離れていたがわざわざ気になって声を掛けに近寄ってきたのだろう。


「顔真っ青だよ? どうしたの?」


 振り返った私の顔を身を屈めながらジッと観察する幼馴染。


「怖かった……」


「ん?」


 顔を見られない様に俯きながら発した私の言葉は幼馴染には届かず教室の木目調の床に消えていく。


 私の状況を理解しようと幼馴染がもう一度私が状況を話す事を促す。


「怖い夢を見たの!」


 自分がどういう感情でいるのか上手く把握できず制御を失った声は私の想像を超えて大きな物となってしまった。


 周りの空気が一瞬だけ緊張を帯びたが直ぐに生暖かい視線が私に降り注ぐ事になった。


 近くにいる級友に聞かれた恥ずかしさを誤魔化すために心配そうな顔から笑いを堪える顔に変わる幼馴染に抱きつく為に腕を軽く開く。


 幼馴染は私を受け止める為に背を伸ばしたのを確認して私の全体重を乗せた体当たりをお見舞いする。


 暖かくて先程まで確かに存在していた恐怖心と羞恥心が和らぎ涙腺が緩む。


 体当たりを微動だにせず受け止めた幼馴染の笑い声が頭上から聞こえる。


「紬可愛いねー」


 掃除の時間になり音楽が流れ始めた。


 抗議の為に幼馴染の背中を殴るが彼女は私を抱えたまま動かない。


「……後で話を聞くから取り敢えず教室からは避難しようか?」


 私が泣いている事に気がついているのかわからないが幼馴染は私に囁く。


 私は幼馴染に頭を抱かれたまま肯定の意思を伝える為に頷いた。


 幼馴染が私をあやす様に背中を軽く叩きながら「あとよろしく!」という雑な依頼を教室にいる級友達に投げつける。


 級友達は渋々請け負う様な声を出すが私達を非難する声は聞こえてこない。


 掃除の為に机や椅子を動かしている教室を誰にも私の泣き顔を見せない様に私を抱えながら掻い潜る幼馴染に私は感謝の言葉を発した。


「……ありがと結衣」


 涙で揺れる声が地面に消えていかないか不安だったが幼馴染はすぐに返事をくれた。


「どういたしまして」

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