8時8分8秒のヒーロー(月光カレンと聖マリオ8)

せとかぜ染鞠

第1話

 湯煙のわきたつ青緑の温泉からあがりかすりのロングシャツを身にまとって「私だけのヒーロー」と微笑する――金髪美女のクローズアップされる大画面を背景にしながらヒーロー伊予仲いよなかの執務室で事業拡大費を失敬した。

 パリジェンヌで結成されるカリスマソーイングユニットに自らのデザインを縫製させた洋服が人気を博し,ヒーロー伊予仲は巨万の富を築いた。実は市場に出まわるブランド“ヒーロー”はインドの工場できついノルマを課してつくらせた大量生産品なのだが。

 お勤めを終えて伊予仲ビルを滑降していくと,8階の部屋で男の子の泣きじゃくる姿が目に入る。

「貧乏なときのほうがよかった。前のほうが一緒に遊べたし,お友達に悪徳商人の子供なんて言われないで済むし……」

 ボディーラインの浮きあがるタイトなワンピースを着たエイジアンビューティーが大慌てで部屋へ駆けこんでくる。「坊や,晩御飯を食べましょうね!――10分経ったら,ママはお仕事へ戻るわ!」

「何だい! 悪者のママなんて大っ嫌いだ!」男の子が背をむけるなり,その眼前に黒服集団を従えたドレッドロックス頭の,頰に傷ある男が立っている。物流ビジネス界の風雲児―― 義誠ぎじょういのちだ。最近はアパレル業界にも進出し,飛ぶ鳥を落とす勢いという。

「ヒーローブランドのふんどしを売りだすって件だが――今夜は契約書にサインしてもらうぜ」義誠は男の子を抱きあげた。

「やめて!」伊予仲の表情が強張った。「その話は無理だと回答したはずよ!」

「ダイヤを嵌めんのが費用いりなら,ルビーにかえても構わねぇぜ。ただし薔薇形の飾りにしてくれ――いやだとは言わせねぇ」ナイフをちらつかせれば,男の子がわっと声をあげた。

 シャンデリアにぶらさがる俺は義誠だけの視界へ入り,口形で伝えた。「いつになれば俺さまへ辿りつける? 8時8分8秒に目覚めたときに薬味の効いた二枚目から誘われたらば,こちとらだってその気にならないこともないかもしれないだろうに」

 鼻息を荒くする義誠へ指示をくだし,フロアに舞いおりた。

「これは,我が英雄よ……」義誠は男の子を解放し,片膝をついて頭をさげた。

 義誠を危機から救出したことがある。それ以来,彼は月光カレンの熱烈な信奉者なのだ。

「義誠の背後で糸を引いてたのは,あなただったの!? まさか,あんなダサい提案を月光カレンがするなんて!?」

「美しさに疲弊し悪趣味に浸りたい一瞬もある――食べものだってそうだろ。途轍もなく野卑なゲテモノを味わってみたいときもある」俺の言葉に伊予仲は深く頷いた。

 義誠が咳払いする。「それで?――融通のきかねぇ商売相手に思いしらせてやるんですかい?」

 伊予仲が息子を抱きよせた。

「そうだな――」俺は男の子を直視した。「真の悪者の恐ろしさを見るがいい」

 義誠の合図で黒服集団が伊予仲親子へ襲いかかった――だが親子へ攻撃の降りかかる寸前に黒服たちがばったばったと倒れていく。超音速の反撃を俺さまが繰りだしているからだ。あっという間に親子の敵は2人だけになった――

「俺の頰を殴って」伊予仲に耳語すれば,困惑の面持ちが返る。「事業拡大費は頂戴したよ」

 平手打ちをくらった。派手に転倒して気絶した振りをする。

「カレンさま!」義誠が駆けよって俺を抱きあげる。「くっそぉう,美しいお顔によくも! 覚えてやがれ!」

 抱えられて廊下へ出るなり,嘴みたいに尖った唇が接近してくる。「8時8分8秒だがね――」

「午前8時8分8秒がいい」分厚い胸板の弾力性を利用して飛びあがったまま,天井裏へと消えた。

「おら,絶対におめぇさまのお屋敷を見っけてやっからな! おめぇさまがおらを助けてくれた8時8分8秒に結婚を申しこむだで!――おらだけのヒーローになってもらうだよ!」

 偽格闘の起きた部屋を覗けば,親子が抱きあっている。「みんなが悪口を言っても僕だけはママの味方だよ。ママは悪者なんかじゃないもん。だって本当の悪者から僕を守ってくれたんだもん――ママは僕のヒーローだよ!」

「坊やこそママのヒーローよ。気づかせてくれてありがとう……ママ,馬鹿だった。みんなのヒーローなんかにならなくていい。ママは坊やだけのヒーローになれたらよかったのに……」

 伊予仲は会見の場を設け,ヒーローブランドの製造過程を明らかにした。世間からのバッシングは辛辣を極め,売上げも急激に落ちた。伊予仲に対してデザイナー生命の危機も囁かれるなか,インド美女たちに囲まれ,織絣のゆったりとしたジャケットとスラックスを桜吹雪に靡かせながら花弁と花弁の間隙を日本刀でさく若武者風美男の動画がネット上にアップされた。動画は爆発的な拡散を見せつつ,ヒーロー製品の収益を謝罪会見前より遥かに上まわらせた。伊予仲の立ちあげた新レーベル “ 私だけのヒーロー ” も世界市場を席巻し,追随を許さぬファッションブランドの地位を獲得するのだった。

「月光カレンは飛びぬけてるな――」三條さんじょう公瞠こうどう巡査が声を弾ませた。焼き鳥チェーンストア 代表 逮捕の功績が認められ 謹慎を解かれて以来,毎日 教会へ通ってくる。「今度はモデルだってさ」

「あら――三條さんだったのですか?」岩盤にむかい,土筆つくしの袴をとりのぞいていたキヨラコが隣を見あげた。「てっきりマリオさまだと思っていました」

「え?――僕をマリオさまと間違えてたんですか? 何故?」

「何故って? うーん?」小首を傾げる。「……においかしら」頰を染める。「そのようなこと,よいではありませんか――それより三條さんは月光カレンさんをよほどお好きなのですね?」

「ええ!――僕が?――」両掌を左右に滑らせる。「とんでもありません! 僕は警察官として彼の動向に注意してるだけです」

「そうですか?」思慮深げな眼差しを上むけ,何かしら見極めようとする。「まあ,よいのですけれど――私にとってはありがたいことなのです。だって信者の方々が減れば,マリオさまを独占できる時間が増えますから。私だけのマリオさまになっていただければよいのに……」

「キヨラコさん……」

「――ごめんなさい!」我に返ったような表情をしてから,また真っ赤になる。「どうしよう,私ったら――黙っていてください。天罰がくだります――」

 逃げていくキヨラコを見守りながら三條は土筆をかじり顔を顰めた。

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