心霊ビデオ制作委員会回顧録
八岐ロードショー
ヒデオとビデオ
心霊ビデオという言葉は、人によってはあまり聞き覚えがないかもしれない。
世間はもはや、VHSというよりも、ブルーレイディスクの時代だ。その時代も、殆どが動画ファイルに変わりつつある。心霊ビデオならぬ、心霊MP4が主流になっている。
そうするとビデオという言葉は、もしかしたら死語なのだろうか。
「それがまあ、辛い仕事なんだ」
秀夫は、ため息混じりに言ってみた。動画編集を終えてファイルを閉じる。真っ青なデスクトップのスクリーンが、秀夫の長時間勤務の目を焼くように映し出された。
ふと横を見ると、新入りの新田がこちらを横目で様子見していた。おかっぱ頭の色白で、いつもゴスロリファッションを着てオフィスにやってくる。
服装自由とはいえ、ここまで自由にされると自由の定義を問いたくなる。とはいえ、女性の社員が少ない心霊ビデオ制作委員会、通称"心作"には有難い存在だ。目の保養にもなる。それ以外にも、性別が違うだけで、あらゆることが違う。
まず、臭わないこと。心作メンバーは先にも述べたように、男だらけのオフィスだ。オフィス内禁煙の約束が守られたことはなく、天井は日に日に黄ばんでいる。
そして、謎のプライドで風呂に入らない数人のメンバーの残り香が、オフィスの椅子やカーテンに染み付いているらしく、オフィス全体が、やけに男くさく臭う。
社長の意向で、女性社員を徹底的に募集する流れがあった。
かつては10人以上も女性社員がいた時代もあったが、彼女たちの多くは2日ともたず、今や新田と、心作発足時からいる古株、
深作なんていうのは、女性とは名ばかりの、勤務日以外はパチンコに興じるパチンカスババアだ。段々、加齢臭によって男くささも混じり出している。
「ヒデさん。私そろそろシーフードにしますけど、どうします?」
秀夫は掛け時計のある方へ振り向く。いつの間に、時刻は3時半だった。もちろん、深夜だ。
常にオフィスのカーテンは締め切っていて、時間の流れが無い。カーテンを開いたとしても、すぐ眼前に高層ビルの壁が迫っているので試みも虚しい。
「俺もそろそろシーフードで」と秀夫は返した。
シーフードとは、カップラーメンの味の話だ。何をどう取って、"
そして、この"そろそろ"というのもまたカップラーメンの味の話だ。
このオフィスには終始、金銭的余裕が無い。そのため"食事付き"というのはカップラーメン(お湯付き)の誤謬だ。
心作のメンバーはなるべく飽きるまで一つの味を食し、飽きる一歩手前を見極めて別の味に転向することが長丁場を生き残る知恵だ。
そして、その、そろそろがやってきた。そういう話だ。
「新田は、何が楽しくてこの職場にいる?」
ズルズル、と秀夫は麺を啜った。
新田はというと、彼女は湯を吸いきった、伸びた麺が好きな変わり者のため、まだ閉じたカップ麺のフタとにらめっこしている。
「何をしても楽しくないから、ここにいますね」
新田は冷徹に、そう言った。
髪型はおかっぱ頭という、キャラクター性を意識する女芸人のような格好だが、顔立ちは割かし整っていた。たぬき顔の愛嬌ある顔は、秀夫が高校時代に大失恋をした相手を彷彿とさせる。
だから、秀夫は新田と仕事をする時間が少しだけ特別だった。
「今いくつだっけ」
「24です」
「……悲しいな」
秀夫はスープを飲んで、口を休めた。「恋人でも作ってさ、養ってもらえよ。なんかそういう、養ってもらえる雰囲気あるし。ここに来てなけりゃ、秋葉原でメイドでもやってそうだし」
「秋葉原のメイドは次の候補です。よく分かりましたね」
そりゃ、分かるよ。ゴスロリが私服なんて。その"ケ"がある人間しか、そんなファッションやらないだろ。
「それから現在進行形で養ってもらってますよ」
「マジで?」秀夫は思わず慌ててしまい、舌を火傷した。
「この職場に来てから、二人変わってます。今三人目ですね」
「それは……頑張ってるんだな」秀夫は苦笑いした。
「こういう生き方しか出来なくなったら、もう終わりですね。自分で働いて飯食うとか、馬鹿げてるって思っちゃいますから」
秀夫は大きく息を吸った。新田の考えていることが、何一つ理解出来ない。その心の闇の深さも想像出来ない。
「よし。いただきまーす」
新田はカップ麺のフタを開けながら、嬉しそうに手を合わせる。その目の前に置かれているのは、豪勢な食事でもない、伸びたカップ麺だ。
「考え方ひとつだな」と、秀夫はカップ麺の残った汁を飲み干す。それから小一時間ほど、仮眠休憩に入った。
秀夫は、居心地の悪い椅子の上で夢を見た。
夢の主人公は、年端もいかない女性。
女性は、誰もいない散らかった部屋の中央で、何もせずに項垂れている。
締め切られたカーテンによって、部屋には光が届かず、食べ物のゴミや空のペットボトルで埋め尽くされたテーブルに面したまま、女性は動かない。
誰かが先程までいた気配だけが残る部屋で、女性は何かを待っていた。
秀夫はその女性の顔を覗こうとした。その時、けたたましいアラーム音が脳の中にまで響いた。
飛び起きた秀夫は仕事の仕上げ作業をするべく、目を開いた。新田はその隣で、黙々と作業を続けていた。
「これ、見てください」
言われて秀夫は、新田のデスクに寄る。
「なに。どしたの」
「これ、マジなやつですかね。悪戯ですかね」
秀夫は、新田のパソコンに向かった。画面には、再生開始ボタンが映されている。無心でマウスに手をかけ、クリックした。
動画が始まると、場所は樹海だった。時刻は夕刻で、日が暮れかけている森の中を撮影者が歩いている、というものだ。
「問題の箇所はどこ?」
「このすぐ後です。ほら、ここ」
秀夫が手繰っているマウスの上から、新田が手を出す。動画は止まり、鬱蒼とした木々が並ぶシーンで停止された。
「どこ?」
「ここです。木の上に、誰かが上ってますよ」
「……え?」
秀夫は、よく目を凝らして新田が指さす箇所を見つめた。その箇所、木の幹と幹の間に、何かがまとわりついていた。黒っぽい塊が、無機物的ではない絡まり方で木に付着していた。
「……ゴミ袋か何かじゃないか」
「でも、これ手ですよね」
新田が指す方向には、確かに人間の腕が木にしがみついている風に、あるいは必死に幹へ掴まっているかのような形になっていた。
「……人っぽいな」
「え、こんな高い木の上に? ですか」
「一応、隠しとけよ」
秀夫が言うと、新田は顔を顰めた。
「えぇ……。これ、ホンモノってことですか」
秀夫は新田を見る。そして、すぐに目を逸らした。
「そのファイル、そのまま俺の方に送ってくれ」
秀夫が突っぱねるので、新田はさらに表情を固くした。
「最悪です……。まさか、引くなんて」
「一応、アッチの方にも連絡しとくわ」
「アッチって、お祓いの?」
新田はみるみるうちに、顔が真っ青になってくる。
「そうだね。ホンモノ引いた奴、大体ガチるから」
秀夫は頭を掻きながら、新田に笑いかける。ガチる、とは業界用語で、"ガチで呪われる"という意味だった。
女性は特別、霊障と引き合いやすい。これも、社長が女性社員を増やしたがる大きい理由だった。
気づかなければ、霊障ではない。誰もが見落とすような霊障を拾い上げてしまえば、それは本当の呪いのビデオになってしまうのだ。
だから、その歯止めが必要であり、それが社員の仕事である。
たまに、ごく稀に、ホンモノが現れる。
そのホンモノを、そのまま世に送り出さないために、我々心作メンバーは目を凝らし、偽物にすり替える。この辛さは、実際にやった人間にしか分からない。
「あとのことはまかせて。新田は先に帰れ」
はあ最悪、マジで無いわ。そんな口の汚いことを言いながら、新田は荷物をまとめた。それから新田に、塩の入った袋と御札を持たせ、神棚に祀られていたお守りも手渡す。念には念を、だ。
「ヒデさんは、どうして大丈夫なんですか」
「え? 俺は体質で大丈夫なんだよ。だから発足メンバー」
「はぁ……」新田は秀夫の顔を、尊敬とも敬遠ともいえない苦い顔をして微笑んだ。
「まぁ、これが心霊ビデオ制作委員会よ。一つ学んだな」
新田は冷や汗をかきながら、魔除けグッズを握りしめてオフィスの出口へ向かった。秀夫は、新田の後ろ姿を見つめる。無事に、家に着くことを祈るしかない。
「……ヒデさん」新田が、振り返る。
「どうした?」秀夫は、新田の青い顔を可哀想に思いながら言った。
「お疲れ様でした」
新田は、そう挨拶を言うなり元気の無い足取りでオフィスの扉を開く。
「おつかれ、さん」
お疲れ、という言葉は心霊ビデオ制作委員会の中では、禁句とされている。おつかれ、というのは、お憑かれ、に繋がる言葉であるから。
ただ、こういった場合は使うようになっている。憑かれた者は、憑かれたことから目を逸らしてはいけないという、暗黙のルールがあるからだ。
新田の背中に、びっしりと張り付いた無数の腕を睨みながら、ただ秀夫は、彼女の身に何も起こらないことを祈るばかりだ。
秀夫の仕事は、ビデオ制作だ。
これが、案外辛い仕事なのだという。
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