夢色の小瓶~彩編夢十夜~

清見こうじ

家路にて

 それは、いつもの帰り道とは違う道。


 毎日通っている道が、この日は事故だか工事だか、何らかの理由で通行止めになっていたため、一本隣のつじれたのでした。


  


 あいまいな言い方なのは、その時の記憶が何だかぼんやりしているためです。


  


 人間というものは、行動には何かしらの意味を持たせないと不安になるものなのでしょう、この日、この道を選んだのが何故なのか、実はよく分からないのです。


  


 結論から言えば、見慣れぬこの道に入り込み、どこか異国にでも迷い込んだような心持ちで歩いていたのでした。


 今時珍しい、半透明のすりガラスのはまった引き戸から、半ば見える薄暗い店内。

 奥まった帳場ちょうばに半分眠ったような老婆が、猫を膝にしているのが見えたり。


 あるいは、どこまでが店内でどこまでが店外か分からないほど、商品がうず高く積み上げられた軒先で、はたきを腰に差した初老の店主が用もなく出たり入ったりを繰り返していたり。


 私が普段通る道も、よく言えば趣のある、正直に言えば時代に取り残されたような閑散かんさんとした店が並ぶ商店街でしたが、こちらはさらに古色蒼然こしょくそうぜんとした街並みなのでした。


 ふと、目を引かれて私は立ち止まりました。


 黒ずんだ木製の引き戸の上半分には、透明ですが厚さが不均一で、どこかゆがんで見える飴細工のようなガラスがはまっていました。


 きっちりと閉められていましたが、軒先には『春夏冬中』と墨で書かれた看板がぶら下がっていました。


 春夏秋冬、の秋がないので『あきない』という言葉遊びだと、どこかで聞いたことがありましたので、『あきない中』つまりは『営業中』ということでしょう。


 覗き込むと、ゆがんだガラスの向こうには、古めかしい店構えにはあまり似つかわしくない、様々な色の光が見えていました。


 目を凝らすと、それは色水をいれた小瓶のようでした。


 ゆらゆらとしたガラスの向こうで、色とりどりの小瓶が薄暗い店内に並ぶさまは、まるで魔女がこしらえた薬でもあきなっているかのようでした。


 素見ひやかしに入るには何とも決まりが悪く、けれど気になって一歩通り過ぎようとしては戻ってみたりを繰り返していると、戸が開きました。


  


「いらっしゃまし」


  


 思いのほか若々しい声が響き、中から細い銀縁の眼鏡をかけた店主が顔を出しました。


 本当に店主かは、定かではありません。


 店構えのわりに、ずいぶん年若い気がしました。けれど、その若さに似合わない落ち着きが、店の雰囲気に妙にぴったりしていて、私はこの方が店主なのだと、ごく自然に納得しました。


 男性、というには線が細く、女性、というには曲線に欠ける中性的な面立ちに加え、ゆったりとした作務衣さむえ半纏はんてんをまとっていて、ますます性別が分かりかねました。


「どうぞ、お入りください」


 低いような高いような、けれど落ち着いた声音。


 にっこりと微笑む端正な顔立ちに、くせのない長い黒髪を無造作に後ろで束ねていましたが、今時は男性の長髪も珍しくはありませんから、決め手にはなりません。


「どうぞ」


「いえ、あの……」


 ためらっていると「見るだけでかまいませんよ」と言って、戸を開けたまま店主は店の奥に入りました。


 そのまま立ち去るもの悪い気がして、私は店内に入りました。


 店内のカウンターや、壁に作りつけた棚には丸みを帯びた手のひらに収まるほどのサイズの小瓶が並んでいました。


 色とりどりの水が入ったそれぞれに、同じ硝子ガラスの栓がはまっており、よく見るとうっすら模様が彫り込まれていて、それも各々微妙にカッティングが違いました。


 ガラス戸越しにはゆがんで妖しく見えた色彩も、直接目にするとキラキラと窓から差し込む光を孕んで、棚板に華やかな影を映していました。


  


 桜色、桃色、萌黄もえぎ色、はなだ色、藍色……他にはどんな色があるでしょうか。


  


 紅葉もみじのような鮮やかなあかに葡萄酒のような艶めいた赤。


 若葉のような淡いみどりに常緑樹の深い緑。


 凍てつく氷のような冴えたあおに、深海のようなくらい青。


 ……『春夏冬中』と店の軒先の看板に掲げられた言葉に反して、そこには『秋』を含めたあらゆる季節の、とりどりの場所の、様々な色彩が、所狭しと並べられていました。


「これは……」


「こちらは、お客様から買い取らせていただきました、『夢』でございます」


「ゆ、め……?」


「はい。お客様がお持ちいただいた『夢』と引き換えに、これらの『夢』をお譲りしております」


「夢、と引き換え……では、普通に買うことはできないのですか?」


「はい。お代は、すべて『夢』、で。と言っても、初見のお客様には無理な注文ですので、最初のひとつはサービスとさせていただいております。よろしければ、試しにひとつ、お持ちになりますか?」


「いえ、あの、でも、自分の夢なんて、どうやって……」


 店主の言葉に心を動かされましたが、ここに並ぶような美しい色彩の『夢』をどのようにお返ししたらいいのか、分かりません。


「難しいことではないですよ。『夢』をお使いになった後の空の瓶を、こうやって……」


 そう言いながら、店主は人差し指で眼鏡をくいっと持ち上げ視線を逸らすと、カウンターに並ぶ小瓶の中からひとつを手に取り、私に向き直りました。


「こう、瓶を握りしめながら、ほんのちょっとの時間、夢を思い返してみてください。それほど詳しくなくて構いません。瓶の中が染まったら、完了です。ああ、『夢』をお使いになる時も、同じように握って。夢を見たいと思いながら。夢を見た後は、色が消えています。それが空になった証拠です。栓は開けなくて構いません」


  


 一通り説明を聞いて、私は店主が手にしていた、銀杏の葉のような少しくすんだ黄色の小瓶を受け取りました。


  


  


 気が付くと、私はいつもの帰り道を歩いていました。


 いつの間にか、元の道に戻っていたようです。


 ぼんやりした記憶を反芻はんすうしながら、手の中でカサリ、と音を立てたうぐいす色の紙袋を見つめました。


 今時めったに見ない、薄い緑のわら半紙越しに、確かな物体の感触を確認し。


  


 私は、大切にそれを抱きしめて、足早に家路についたのでした。


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