第11話 新正栄丸
三月の終わりの曇り空、太陽も無用の月も雲に隠れ、鳶がそれを探すように鳴きながら飛んでいた。
男は昼過ぎに白灯台に向かい、何かを待つように外海を見遣っていた。
すると、あの年老いた漁師の正栄丸が「ポコポコ」とエンジンを鳴らし港に戻って来た。
男は最近になって毎日のように正栄丸を迎え、そして、年老いた漁師とたわいのない話をするのが日課となっていた。
「よぉ!どうや!昨夜は釣れたか?」と正栄丸が小舟から降りるなり男に声を掛ける。
「まずまずでした。でも、数は釣れませんでした。」
「もう、四月やさかい、イカも終わりや!」
「そうですね。」
「正栄さん、釣れましたか?」
「あかんわ!マグロをワンチャンス期待して船を出してみたさかい、駄目やったわ!」
「当たりはありました?」
「それがなぁ、あったんよ!ウキがスッと消し込んだんよ!
合わせきらんかったわ…」
今日も2人は防波堤の階段に腰掛け、煙草を吹かせながら、お互いの釣果について話すのであった。
正栄丸が何気にこう聞いた。
「あの女の子は変わらず来なはってんの?」
「ええ!毎日来てますよ!」
「ヘェ~、感心なもんやなぁ。若い女の子がこんな所になぁ~」
「海が好きなんですよ。」
「そうか!そりゃ、あんたと一緒やな!」
「正栄さんも海が好きでしょ?」
男がこう問うたところ、急に正栄丸は口を閉じ、沖を薄目で見遣った。
そして、こう答えた。
「漁師はなぁ、嫌いでも海に出らんといかんのや。
しゃぁないわぁ~」と
男は正栄丸のぼやきを聞き、以前、漁協の高齢の職員が言っていた事を思い浮かべた。
【コ○ナ禍の影響で卸値が下がり、加えて旅館も魚を買わなくなり、漁師の生活は苦しくなってる。】
男が何も言わないので、正栄丸は自分の話を続けた。
「ワシは海が嫌いとは言わん!そやさかい、今は好きとも言わん!
魚釣っても生活でけへん!
海に八つ当たりしても仕方ないが…
ワシみたいな老いぼれは、かまへんのや。
どうせ、この先長くない。
生活かて、年金貰ってるさかい、そんなに無理して漁をせんでも何とかなる。
あかんのは若いもん達が居なくなることや。
漁師じゃ飯が食えぬさかい、皆んな、この村離れて、遠くに行きよる。
あんたも分かったやろ!
ゴーストタウンやわ!」と言い、皺だらけの顔を作り笑いでくしゃくしゃにした。
男は何も言わず、外海を見ながら煙草を蒸していた。
正栄丸はこう問うた。
「あんたみたいな変人が沢山居ったらええんやけどなぁ。
しかし、あんた、ほんま、ここに居着くんかいな?」と
男は煙草を指で弾きながら、背伸びをし、こう答えた。
「こんな良い所、もう二度と探せませんわ!
申し訳ないが、ずっとここに居らせて貰います。」と
「そ、そっか!良かったわぁ!、そっか、そっか…」と言いながら、
正栄丸も腰を上げ、船に戻ろうとした。
その時、正栄丸は前々から男に聞いてみたいことがあり、それを今言うべき否か迷い立ち止まった。
正栄丸は振り返り、男を見遣り、真顔でこう問うた。
「あんた、ワシと一緒に船のらんか?」と
「えっ!」と男は驚いて正栄丸の小舟を見遣った。
正栄丸は男の見る視線が小舟であることに気付き、慌てて、言い足し、
「あっ、これやないで?あれや、あれ!」と船泊りの立派な船を指差した。
その船の横腹には「新正栄丸」と記されていた。
男は急な展開に言葉を失って、じっと船を見遣っていた。
正栄丸は男の驚きように手応えを感じ、
「ほれ、ほれ、こっちえ来てみ?」と男を立派な船の方に誘った。
男は急いで杖を持ち、「新正栄丸」に近づいた。
新しい船であった。
勿論、操舵室も完備され、船首には生簀が2箇所もあり、船尾にはベンチシートも備えていた。
男は操舵室のドアに「10人乗り」と書かれた表示を見て、正栄丸にこう問うてみた。
「遊漁船ですか?」と
正栄丸は先に言われたかと一瞬、肩を落としたが、
「そうや。遊漁船や。息子と一緒にやっていたんやけんど、息子が逃げてしもうたわ。
あんた、海好きやろ?
一瞬に乗らんかなぁー、って思うてな。」と笑いながらこう答えた。
男は言った。
「是非、お願いします!」と
正栄丸は男の即答に目をまん丸にし、仰天し、
「そっか!えんやな!そっか!」と男の手を一生懸命握った。
男は笑いながらも、こう問うた。
「俺でよければ、何でもします。脚が悪く、免許も持っていません。
何故、俺なんですか?」
正栄丸はプルプルと顔を振りながら、
「あんたやないとあかんのや!
あんたみたいな海好きの変人やないとあかんのや!
遊漁船やさかい、釣るのは客や!
脚が悪くてもかまへん。
船の免許は次期に取ればええ!
ワシが面倒見たるわ!」と
男は納得した。
正栄丸は喜び、今から漁協に助手の手続きをしてくるからと軽トラに急いで向かって行った。
男は慌てて、
「正栄さん?俺の名前知ってるの?」と叫んだ。
正栄丸は振り向きもせず、大声で叫んだ。
「あんたは有名人やさかい!
皆んな知っとるわい!
『福永さん』やろ!」と
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