性欲


俺を見ないでください

そんな目で俺を見ないでください

誰も俺を目に映さないでください


斜め下から俺をのぞき込むように見上げる貴女。

俺はそのしぐさだけで簡単にどぎまぎしてしまってもう夜の間中じたばたベッドでもがいてしまうから。

こんなに単純だと自分では思っていなかった。愕然として、またベッドの上で「こんなはずじゃない」ともがいてしまう。


これは断じて性欲じゃない。お母さん、ニコニコ顔を向けないで。苦しくなるだろ。

性欲なんかじゃない。そんなものに支配されてたまるか。


それでも毎日、すれ違う女性にも男性にもドキドキしてしまう。


 こんなに人って距離が近くていいんだ。


 不快にならない程度、というのを心得つつもさりげなく触れてくる手。


 なんでそんな熱の籠ったような真摯な目で俺を見るんだ。

 そんな綺麗な目を向けていい相手じゃない。


 過度に俺に触れないようにと気遣うそのそぶりにも、「俺はそんなに大切にされる  べきではない」という苦しさと同時に甘い気持ちがせりあがってくる。


 ふんわりとした髪を上下に跳ねさせながら歩いて、俺に気づいてから満面の笑みで   こちらを振り返り声をかけるのをやめてくれ。



普通の、他人に慣れた人間はこれが普通なのか。

その火照った、無垢にも妖艶にも見える顔を色々な人に本当に見せているのか。


なぜ俺は夜になるとその日出会った人一人一人に愛しい感情と共に嫉妬と、耐え難い性欲が燃え上がるのだろう。


 俺に会うたびことあるごとに話かけてくる、くたびれた瞳の大学職員のおばさん。

 俺を何故かねめつけてくる司書のおじさん。

 自信に満ち溢れている姿を印象づけようと大股で歩く、おそらく心理学を専攻している女子大生。

 やけに気だるげに振る舞う女子大生。

 やたら大きな声で笑う男子大学生。

 バイト先の、のっぺりとした化粧のおばさん。


その実存が俺を狂わせる。存在するその容(かたち)が、彼らを形作る細胞が、胎動する腑が、生きているんだと思うと畏怖の念とともに堪えがたい歓喜が襲ってくる。


それでいて俺のこの醜さは俺自信を酷く苛む。


俺のこの身体が生きているんだと思うと空恐ろしい。寒気が襲ってくる。


更に心まで醜くなってしまったら。


性欲という醜い欲を抱いてしまっていたら。


ああ違う。これは性欲なんかじゃない。

俺が人に対して抱いてしまうこの鬱屈し酩酊し後ろめたくも、甘酸っぱい匂いの漂うようなこの念は、

性欲なんかじゃ言い表せない、もっと濁った醜い澱であるだろう。


それがずっと俺の心の底に沈殿し、堆積し溢れて滲みだしたものがとうとう俺の身体に纏わりついて離れない。

擦っても落ちない悪臭となって表皮に染みつき、きっと傍からみても俺はおぞましい怪物に違いない。臓腑から立ち上る青い悪臭が俺を形成していく。


こんな俺を見ないでくれ



 





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