平穏という名前の異常



 わざわざ生徒及び先生及び関係者を集合させたのはなぜか。それが遊びというものだからだ。逃走者はともかくとして、鬼を放送で一人ずつ決めるのは骨が折れる。それに一旦集合を掛けないと星見祭が始まってからずっと隠れるという事も出来てしまうので、やはり集まらない事には何も始まらない。



 銀造先生は、あの場に居なかった。



 学校には居るらしいが、あの場に居なかったなら彼に参加資格は無い。立ち入り禁止エリアにいるなり、壁役として学校周辺にいるなり、選択肢は幾らでもあるが参加だけは許されない。にも拘らず、鬼として俺達を探しているのは偏に執念か。一緒に携帯を覗いていた菊理が首を傾げる。


「銀造先生、鬼じゃないよね?」


「居なかったからな。しかし何でまた私情を持ち込むんだか」


「私情?」


「休憩した時にちょろっと触れただろ。大神ゲンガーに銀造先生は何か知らんが固執してる。殺したのは確かに俺達だがあんな状況だ。バレるとも思えない」


「うん……そうだよね。匠ちゃんのそれとは無関係にあたし達死にかけたもんね。どうしよっか、わざと見つかりにいって和解するとかある?」


「ない。証拠もないのに突っかかられてるのは事実だからな。その事実を盾にしてどうにか凌いでいきたい。なのでこのまま引き続き隠れます」


「ん。分かった。じゃあこのままだね。勿論一緒にいるよッ……でも、ちょっと寒いね」


「そりゃ夏でもプール入り続けたら寒いわな」


「もうちょっとくっつこっか。冷える冷える」


 あまりよろしくない状況だ。嬉しい状況なのは認めざるを得ないが、具体的に男としての本能がまずい。先程から携帯にばかり視線を集中させている理由についてどうか察してほしい。


 ただでさえ透けていたのに、俺達は遂に水中へ入ってしまった。俺の方は裸体が透けても恥ずかしいものはないが、彼女の方はもろに下着が透けて……考えるのもやめよう。


 静かにしていると鬼と思わしき人間の足音が段々と大きくなっていく。複数、或は単数。更衣室を漁る音や単に通過する音、立ち止まって戦略を話す音も聞こえるが、プールに立ち入ろうとする人間は居ない。


 やはり水中に人が隠れるとは思わないのか。プールサイドは見るからに隠れ場所もないからこんな場所を選ぶくらいなら他に幾らでもあると考えるのか。


「…………やわらか」


「ん?」


「静かに」


 完全に誤魔化した。菊理―――山羊さんは鈍いので気付かなかったが、女性の胸とはこんなにも柔らかく温かいものだったのかと感動している。普段なら努めて気にしないのだが、全身が冷え続けるこの状況下で無視するのは不可能だ。



『ねえちょっと。やばいかも』


『かくRる』



 変換が間に合っていない。更衣室周りは音だけを頼りに判断すればかなり捜索されている。まだ捕まっていないとは驚きだが、彼女がここまで焦るなんて珍しい。それっきり反応は無く、次に連絡してきたのはレイナだった。





『匠悟。銀造先生が見つけた人を殺して回ってる』





 ―――思考が、異常を察知する。


 身体の芯よりも先に、精神が根っこから凍り付いていきそうだ。よりにもよってこのタイミング、


 展開次第では途中リタイアをしてどうにかこうにか場を凌いでいく事も考えられたが、この一言で気が変わった。絶対に最後まで逃げのびなければ。


「……これ、出られなくなった感じだよ、ね」


「そうなる」


「ねえ。あたしだけリタイアして確かめに行ってもいいかい? 匠ちゃんを疑ってるとかじゃないんだけど、こんな簡単に……殺すとか。信じられないよ」


「それは無理もないけど、やめてくれ」


 未来の状況と一致しないので、仮に彼女を自由にさせても死なない可能性は十分にあるが、それもまた可能性の一つだ。マホさん曰く、これは未来の先取り。決してその道筋を確定させるものではないので、下手しなくても考えれば分かるだろう。山羊さんの死期が単純に早まる可能性について。


 この身体の震えは寒いからだ。隣の温もりが消えてしまう事への恐怖ではない。



 山羊さんは決して死なせない。死なせたくない。まして俺の身代わりなんて、クソの役にも立たない真似はやめさせる。



「ゲンガーじゃないって信じてる人間は、本当に少ないんだ。ここでお前を好きにさせたら、仮に戻ってきても今度は信用しかねる」


「……そうかな。そうかも。うん、じゃあ離れないね。かくれんぼが終わったら判明するだろうし、大丈夫だよね」


「それはないな」


 キッパリと言い切って今度は俺から携帯を見せた。



『鬼とは別に殺してる。匠悟はまだ見つかってない? 気を付けて。一階に隠れてた人が二〇人くらい殺されてる』



 ―――レイナは何処に隠れてるんだ?



 そこまで詳細に観察出来る様な場所があっただろうか。考えられるのは敢えて同伴している可能性だが、俺達と最も関わりが深いのは他ならぬ彼女だ。今の先生なら殺しかねない。そのリスクを見過ごす彼女ではないから、多分違う。


「山羊さんはまだ俺の知る普通の感覚みたいだからあれだけど、毎日毎日誤報が続いて、最近じゃ遂に俺の担任までもが死んだ。というかお前も『隠子』の時に違和感感じてたんじゃないのか? 死ぬとかあり得ないって色々言ってただろ」


「……あー。うん。言ってたね。確かに訳わかんない。死ぬのが嘘って……」


「それがゲンガーの影響だよ。ゲンガーに狙われてる奴等は殺されて、なり替わられる。説明しただろ。俺達以外に気付いてる人はほぼいないんだ。だから本物が死んでゲンガーが同じ姿になったらそれはもう死んでないんだよ。ほんで毎日毎日誤報誤報で誰も死んでないのに死んだって言われるもんだから、遂に民衆の意識が変化したって訳だ。こんなに影響してるのはうちの地域くらいだと信じたいがな」


「それってさ。殺された人は全員減ってないって事でいいんだよね」


「減ってないし、何なら現場を見られても不都合はないんじゃないか。死ぬのが嘘って思ってるなら猶更、殺されて平然としてたら『ああやっぱり死ぬとかって嘘なんだ』って考えそうだ……あんまり良い流れじゃないな」


 死に抵抗がなくなれば、交通事故や殺人事件に対する意識も変わってくる。人が気軽に死ぬようになればゲンガーの侵略など息をするよりも簡単だ。そうなった時点で俺達の敗北は決定的。つくづくこの戦いこそが真に理不尽なゲームである。


 かと言ってゲンガーの存在を公表してそれが認められても、人類同士討ちゲームこと第二の魔女狩りが始まるだけなので難しいところだ。



『私のクラスメイト。八人くらい殺されたわ。そっちは大丈夫?』


『まだ誰も捕まってないよ。お前は何処に隠れてるんだ?』


『誰にも気づかれないような場所。熱くて溶けそう』



 何処だよ。


 『熱い』は誤字なのかそれとも本当に熱いのか。さっぱり情報を教えてくれないのは誰かが捕まっても場所が漏れないようにしているのだろう。たまにポンコツだが、今度のレイナは比較的冷静だ。




 ―――そのまま危機は訪れず、一時間が経過した。




 ドッペル団のグループで、レイナからの発信。


『私のクラスメイトは全滅したわ』


『C組は半分くらい死んだわ。生徒会の手で増えた鬼が銀造先生に殺されてって、その鬼も見つけ次第殺してるみたい。生徒会以外は全員ゲンガーって思った方が良いかも』


『暑くて倒れそう』



 単なる全校かくれんぼが殺人かくれんぼに変化するなど誰が想像しただろう。プールの冷たさにも少しずつ身体が慣れてきた。身体がふやけていくのだけはどうしようもないが、あと一時間くらいなら全然耐えられる。



『危なかったよ。私の方は大丈夫。心配した?』


『少しな』


『素直じゃないね』



 山羊さんも見ているので一人称を戻してほしかったが、ここで指摘すればかえって意識させてしまう。人は無意識の記憶を忘れやすいし、こうなってしまったからには朱莉がどれだけ迂闊でも指摘するつもりはない。



 ―――千歳。大丈夫かな。



 今日は彼女も参加している。殺されていなければ良いのだが、チャットで反応を確かめようにも既読以外の反応がなく―――否、それくらいの反応はあるからこそ、かえって不安を煽られている。


「ねえ匠ちゃん。あたし気になる事があるんだけど、ゲンガー……でいいんだよね。それってさ、かくれんぼが終わった後も見つかったら駄目な感じ?」


「いや、それは大丈夫だろうな。あいつらは飽くまで本物になりたいだけの存在だ。なり替わる本物が暴力的じゃないなら平和主義を振りかざす筈。今は遊びのどさくさに紛れて仲間を増やしてるんだろうな」


 疑問なのは、これ程広範囲に渡って状況を把握しているレイナが個人グループでも何でも『ヒトカタ』について教えてくれない事だ。


 彼女は唯一、ゲンガーの基本形態と考えられる影―――『ヒトカタ』というのを見ている。何故、言及してこないのだろう。グループの方は当然としても、俺達は秘密裏に結ばれた協力者なのに。





「匠悟ぉ! 朱斗ぉ! てめえらでてこおおおおおおおおおおい!」




 近くで狂人としか思えない男性の声がして、遠ざかっていく。誰もプールを見に来ないのは奇跡的だ。ここには結界でも張ってあるのだろうか。



『C組は半分くらい死んだわ。生徒会の手で増えた鬼が銀造先生に殺されてって、その鬼も見つけ次第殺してるみたい。生徒会以外は全員ゲンガーって思った方が良いかも』



 何気なく見たつもりのメッセージ。既に過去の情報だが、よくよく考えてみれば妙な情報ではないか。隠れた人間を殺しているだけならまだ分かるが、鬼の役割を与えられた逃走者も殺すのでは筋が通らない。それでは幾ら死が嘘っぱちだとしても鬼ごっこのルールを逸脱しており、彼はまもなく生徒会の手で失格を言い渡される筈だ。


 ゲームを根本から崩しにかかる行為は禁止されている。例えば逃走者側の密告なんかはただでさえ不利な側を理不尽に潰す形になるので、密告された鬼は被密告者を捕まえられないしその情報を誰にも教えてはならない事になっている。


 ゼプトグラム程度の可能性として『死』の概念が虚偽であったとしても、逃走者と鬼の区別なしに相手を殺し続けるのはどちらの役割でもなければ単にゲームを遅延させるだけの害悪行為だ。幾ら教師でもそんな横暴は許されない。嘘とか本当以前の問題で、ただ悪質に生徒の自主性を侵害する行為なのだから。


 それが許されるとすれば…………。


「ねえ匠ちゃん。あたし、気付いた事あるわ」


「何だよ。多分、今、俺も思い至ったけど」







「あり得るかどうかは分からないんだけど。銀造先生って、そのゲンガーっていうのと手組んでない?」

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