ゴート・ナイトメア
その日の夜も菊理を対象に夢を見たが何も変わらなかった。無関係という事で片づけても良いのか、それとも俺の判断が間違っていたのかは分からない。もしくは事態が複雑化していて一つ二つの判断では変化のしようも無かったか。
何度見ても、彼女は俺を庇って死んでいるし、その事を少しも後悔していなかった。
―――いっそ本人に聞いてみるのはありなんだけどな。
問題は、素直に教えてくれるかどうかだ。俺にだって隠し事の一つや二つはあって、きっとそれは誰にでもあって。教えないなら友達の癖に薄情な奴だと問い詰めるのは筋違い。どんな理由があっても無暗に人の秘密へ立ち入らんとする俺の方が礼儀を欠いている。
大体、家の事なんて大神君は何一つとして教えてはくれなかった。弟が変わってしまった原因について尋ねられた際に教えてくれればよかったものを、結局俺が自分の手でそれを知るまで彼は黙秘した。途中から発狂した人間に無茶を言っている自覚はあるが、それにしても血脈の話なんてしたくはないだろう。特にそれが、縁起でも無いなら。
俺だって中学以前の話を人に語りたくない。座敷牢に閉じ込められてた頃なんて思い出すだけで不愉快だ。つまり、そういう事。言い逃れ出来ない、隠している場合ではない状況でもないと彼女だって話すつもりはないと見ていい。
「姉ちゃん」
星見祭を控えた、その前日。千歳の就寝を確認すると、リビングで横になる姉貴に声を掛けた。
「んー。何さ」
「夜に山羊って書く苗字に心当たりとかある?」
心姫はソファから落下すると、地面に激突するまでの間に体勢を整えて立ち上がった。その曲芸はオカルトライターの必須技能では……なさそうだ。首を痛めたらしい。
「あーいたた。私案件?」
「良く分からない。ただ、由緒ある名前とかってあるだろ。俺の後輩に大神君って事が居たんだけど、その子の家は『獣』に呪われてたんだ」
「あーそーいうねー。弟君の出会いは最近奇妙だねえ。私よりずっとオカルトライター向いてるんじゃない?」
「勘弁してくれ。もう訳の分からない奴の相手は御免だ」
アイツが無害な方とか、冗談は程々にして欲しい。俺達は危うく全員死にかけた。オカルトライターなんて大金を積まれても就職したくない。命がいくらあっても足りないとはこの事だ。姉貴は揶揄うような微笑みを浮かべていた。
「訳が分からないのは認めるよ。それで、夜に山羊だっけ? 不思議な苗字だよね。読み方は?」
「ややぎ」
「……なんか安直。本当の読み方がありそうね」
因みに苗字についてネットで検索しても引っかからなかった。これは大神君の時も調べたが、日本神話とかゲームが出てきてとてもとても情報として役立った試しがない。ネットはゴミだ。姉貴を頼ったのは藁にも縋る想いというか、彼女なら知っているのではないかという信頼があって……当ては外れてしまったようだ。
「分かった。有難う姉ちゃん」
これ以上聞き出せる事もないだろうと身を翻すと同時に、姉貴が声で静止を求めた。
「ちょい待ちーや、せっかちな弟君。私はその名前について詳しく知らないけど、字の合わせ方が単純すぎるから、ひねくれた解釈は必要ないと思う。その大神という家に倣うなら、山羊には悪魔の謂れがある。聖書の話だけど」
「悪魔?」
「バフォメットとか有名じゃない? まあこのイメージはキリストの公教……っと、こっちはいいか。山羊と言えば悪魔、悪魔と言えば山羊。弟君ならゲームとかで想像出来ない?ネクロマンサーとか呪術師とかそういうタイプの敵って山羊の仮面被ってたりしない?」
「……あー。そう言えば」
「安直って言われてもお姉ちゃんは知らないぞー。大神って家に『獣』の呪いがあるのも大分安直だからね」
そんな事は言わないが。悪魔?
山羊さんが悪魔?
遂に答えは得られないまま、星見祭の当日。
今日も山羊さんの夢を見て、何も変わらない犠牲を見た。未来の出来事とはいえ、何度も何度も俺の為に死ぬ彼女を見ると、次第に苛立ちが募っていく。
―――何が本懐だよ。
死ぬ事が望みだって、そんなバカげた話があってたまるか。そんなのゲンガーだって望まない。馬鹿げた願いだなんて本人も分かっている筈だ。運命なんて大嫌いだ。どうして彼女を死なせてしまうのだろう。どうして罪もない善人を地獄送りにしてしまうのだろう。殺すなら俺を殺せ、地獄に送るなら俺を送れ。
そんな不平等が許されるなら、俺にだって考えがある。こんなの認めない。何が何でも変えて見せる。マホさんがこれをくれなければ変わらなかった未来だ。どうせワンチャンスしかないならそこに全てを賭けようか。
どうか悪く思わないでほしい、山羊さんよ。
『他人事』とは言わないが、俺は心底から自分の事が本当にどうでも良くて、友達に死なれるくらいなら自分が先に死ぬ。何かよく分からない理由で身代わりになろうとするなら、それよりも先に死んでやる。
『もしもし』
『おー、ボッチのレイナ。朝早い所悪いんだけど手伝ってほしい事がある』
『煽られたから。嫌』
『ごめんなさい』
『許すわ。何を。手伝えばいいの?』
『俺を殺してくれ』
直後に音が消えて、果たして通話が切れたのかとも思ったが、マイクをオフにされただけだった。突然の自殺願望にレイナは驚きを隠せない。携帯を耳元で保持出来ないくらいには取り乱している。
『な。何を言い出してるの! あなた。なにをいってるか。わかってらっしゃいます!?』
『何でカタコトだよ。本気で殺せとは言ってない。ただその、取り敢えず殺す準備だけしておいてくれよ』
『嫌! ……な人を。殺したくないわ!』
音割れのせいで一部分が聞き取れなかった。携帯の音量を下げてどうにかなる問題とも思えないので引き続き会話を繋げようとすると、今度の声は震えて滲んでいた。
『……ゲンガー。なの?』
『いや、ゲンガーはゲンガーですって言わないぞ。本物だけど、準備だけでもしといてくれ』
『何で!?』
『隠子の時に協力してくれた山羊さんって人が、星見祭の夜に死ぬ。助けたい』
未来で見たから知ってるとまで付け加えると、涙にくぐもっていた声の調子が少しずつ戻っていくのを電話越しにも感じ取った。ただし目を擦る音は聞こえる。
『匠悟が死ぬ必要なんて。無いわ』
『おうさ。でもどの道俺にも危機が訪れるっぽいからな。その身代わりになって死ぬらしいから、いっそお前にも俺を狙ってもらって搔き乱そうと思ってる。簡単に言えばサクラをやってもらいたいんだな。だから殺す気がないのは結構だが、ちゃんと殺せる準備だけはしてくれ。リアリティがない』
暫くの逡巡を経て、沈黙を破るように『分かったわ』と承諾の声が聞こえた。そう言ってくれなければ何も始まらないが、もう少し詮索してくるかと思っていたので意外だ。
『納得するのが早いな』
『どうせ。匠悟は止まらないから。一緒に地獄へ落ちる前に。悪い事しないと』
『…………無茶言ってごめんな。霊坂部長」
「今更。そんな呼び方しないで。ミオとかレイナとか。フランクに」
懇願するように言い残して、通話が切られた。
「弟君~。起きるのあんまり遅いから朝ごはん食べてたら絶対に遅刻しちゃうぞー」
よし、学校へ行こう。
話は午前中の授業を終えてからだ。
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