オオカミ少年の叫び



 この学校に体罰は無い。ただし暴力行為がないかと言われたら否定しがたい。教師が生徒に拳骨をする事は間々あるが、それは双方合意の上で行われる行為だ。例えば平常点欲しさに授業を頑張るも、どうしても部活や生来の気質で起きられないような生徒があらかじめ頼んであったとか。


 それを体罰と言うならそうなるが、平常点が欲しい生徒の願いに応えているだけで、罰とは言い難い。物は言い様だ。モンスターペアレントと呼ばれる存在はこの基準が極端に偏っており、自分にとってそうであればそれが真実なのだと、簡単に言ってしまえば厄介な連中だが。


「今すぐに、知ってる事ぉ、全部話せぇ!」


「ひっ……」


「銀造先生。教師として脅しはどうなんですかね。朱斗はこう見えても怖がりなんです。やめてください」


 こういう時にはそんな厄介な連中も欲しくなる。本当に彼は田舎の爺ちゃんそっくりだ。高圧的で強面で、何より暴力に対する抵抗がない。まだ手は出して来ないが、答えによっては俺か朱莉のどちらかが殴られる事になる。


「大体、何で俺達が大神君について知ってると思うんですか? 部員について知ってるならレイナの方が知ってるんじゃ?」


「俺ぁ、鼻が効く。てめえらが関わってるのは間違いねえ」


 話にならない無茶苦茶な理屈だが、あながち間違っている訳ではないので反論しづらい。ただし全く返す余地もないという訳ではなく、朱莉の切り替えが終わるまで何とか繋いでおこう。


「そんなの証拠になる訳ないでしょ。そんなんで疑うとか信じられませんね。まず、どうしてそう思ったのか。感覚的な理屈じゃない方で説明してください」


「てめえら、最近ニュース見てるか?」


「まあ」


「どうも俺達ぁ、勘違いしてたようだ。死ぬなんて現象、実際はデマだった」


 そんな訳ないだろうと。人の歴史は繰り返す。誤報が始まってからはともかく。それが始まったのは記事から逆算して二年前からだ。たった二年の実績で『死』という概念が覆されてたまるものか。どんな人間にも共通する絶対のラインであるというのに。


 まさか彼の様な男がデマに踊らされているとは思いもしなかったが、今の所疑っているのはゲンガーの存在を知る俺達しかいない。


「…………で?」


「俺ん所に電話が来たのよ。アイツが家に帰って来ねえとよ。そんで、てめえらが連れ回してる情報が出た」


「それは嘘ですね」


「証拠はぁ!」


「証拠もないのに疑うのはありで、反論すれば証拠出せはちょっと都合が良いですよね」


「屁理屈言うんじゃねえ!」



「―――屁理屈言ってるのは先生だよね」



 銀造先生の圧力に押されていた筈の朱斗が、反撃。予期せぬ所からの口撃はその人の性質に拘らず怯ませる。最低限の敬語すら失くして相対する彼女からは、敬う気なと更々ないように思えた。


「大体、いっ君を特別視してる理由は何で? 平等に接しろとは言わないけど、全面的に言い分の見過ぎでしょ。テレビはまあいいや」


「…………てめえらには関係ねえ。知ってる事があるなら教えろ」


「僕らは何も知らない。ねえ匠君」


「ああ、何も知らない」


「……じゃあ何で、大神の野郎は死んでんだ! てめえらが殺したとは俺だって思わねえ! だが本当に死ぬとも思えねえ……誤報が出る筈だろうが。てめえらの担任にも出ただろうが」


「知らないって」


「ああ、知らん」 


 話は水掛け論に持ち込まれる。俺達が嘘を吐いているなんて分かるのは『隠子』から逃げ延びた者達だけだ。最初のやり取りで分かった通りレイナには本当に信用があるようで、巻き込もうとしたら失敗してしまった。千歳や菊理の事なんて彼は知らないだろうから……知っていても、五〇歳は超えているであろう男性が二十歳にも満たぬ女子高生を追い詰める絵面は犯罪の臭いしかしない。精神的暴力につき余裕で犯罪だろう。罪状はよく分からないが。


「家に帰ってないのは家出じゃないんですか?」


「じゃあその理由を教えろ! てめえらなら知ってんだろ!」


「知りません」


「じゃあどうして家出なんて言えたんだ!? 確証もねえのに勝手な事言ってんじゃねえ!」


 話にならない、と俺は朱斗と目配せで感情を共有した。確証もないのに勝手な物言いをしているのはどちらだ。それは正しいが、同時に正しくない。警察にしても裁判所にしてもどうして証拠を集めているのかが分からないのか。言うだけならタダだからだ。その物言いが実際は正しかったとしても、果たしてそれを証明してくれる何らかの情報が無い限り同時に虚偽でもある訳で。


 どうにも妙だ。元々こういう先生なのは認めるが、あまりにも大神君に固執し過ぎている。



 ―――他の生徒からの助けは期待出来ないな。



 休み時間は終わって、とっくに授業が始まっている。その中で俺達はこの的外れな怒号を受けているのだ。今の銀造先生は俺達が関与していると頷くまで帰すつもりも無さそうで大嫌い。いっそ認めてしまおうか?


「………………ああ。俺達は何も知りませんが、風の噂で聞いた事があります。大神君はドッペル団という凶悪な集団に誘拐されたって」


「あん!? 誰情報だ!」


「風の噂。またの名をネットです。俺達はそれくらいしか知りません。ああ、勿論ドッペル団というのも寡聞にして知りませんよ。もう帰っていいですか?」


「待てェ! まだ知ってんだろ!」


「帰るぞ朱斗」


「うん」


「待てって―――言ってんだろうが!」


 力はそれ自体が非常に明確な物なので、人は力に正義を与えられない。


 そんな倫理の初歩の様なハードルも超えて、踊り場を立ち去らんとする俺達に向け銀造先生の鉄拳が炸裂―――





「ええっとー。取り敢えず。それ以上やったら駄目っすよ先生」





 寸前で、止まった。声だけで暴力を押しとどめた男の声とは、他ならぬアクア君であった。


「―――てめえ! 授業はどうした!」


 無関係な生徒の介入に銀造先生は教職に基づき怒りを露わにする。朱斗でさえその助けは予想外だったとばかりに固まっていた。俺も何故彼がここに居るのかは分からないが、俺に対する義理か何かで助けてくれたのだとは思う。関係性を悟られない為にも今度は強引に朱斗を連れて立ち去った。


「さぼってまーす。ここ、絶好のサボリスポットなんで。良かったすね、動画で一部始終撮ってるんで殴ったらチクろうかなって思ってたんですけど」


「―――なぐりゃしねえ!」


「本当ですかね。別に今の未遂もチクったって俺はいいすよ」


 背中から遠ざかる声に、失笑を隠せない。


 激昂の矛先はとっくに向きを変えているが、アクア君は凪の心で受け止め、淡々と反撃を続けている。この状況を笑わずして何を笑えと言うのだろう。






















「何で先生は僕達を疑ったんだろう」


「大神君の事を気にし過ぎだよな」


「何が。あったの」


 昼休み。屋上を会議に使おうと思ったら名も知らぬ恋人同士がいちゃついていたので、仕方なく部室を使っている。季節も季節で、ここにはエアコンが無い。窓を開けて最低限の換気を済ませると、レイナが家庭科室を借りて冷やしていた麦茶を紙コップに注いで俺達の前に注いでいく。学生クオリティのお茶会は傍から見れば滑稽でも、当事者からすればそうでもない。


「銀造先生が疑ってきたんだ。僕達がいっ君の死について何か知ってるって」


「あれ色々滅茶苦茶だよ。死は嘘っぱちという癖に誤報が無くて家にも帰ってないから死んだとしか思えない。家出じゃねえのって可能性を出したら何か知ってる前提で話されて、同じ理屈で反論したら正論で切り返してきて。正気じゃない。ゲンガーよりヤバイぞあれ」


 ゲンガーは『本物らしさ』を追求するあまりその理屈は道理が通っている場合が多い。不自然な発言はそれだけで偽物感を醸し出してしまう。例えば、山本ゲンガーやレイナゲンガーのように。


「……ごめん。茶化すべきじゃないかなと思って黙ってたんだけど、銀造先生といっ君ってもしかしてデキてる?」


「ないわ」


「レイナはBL否定派か」


「そういう訳では。ないのだけれど。大神君は。私にも告白してきたから。無いと思うの」


「あーあの流れを真面目に受け取るか」


 まずBLの流れが不真面目だというツッコミは誰もしなかった。本人も茶化しと前置きするくらいなので、言うまでもない。あの場でそんなふざけた事を言えばどうなっていたかなんて火を見るよりも明らかだ。


「でも実際、恋愛関係くらいじゃないとそこまで執着しないと思うんだよね」


「生粋の恋愛脳を差し置いてそれを言うか。俺には大神君に死んでもらったら困るみたいな感じにも見えたな。レイナは何か知らないか?」


「………………先生に。興味とか。無いから」


 それもそうか。


「しかし匠君よ。あの嘘はどうかと思うね。ドッペル団の話がネットに上がってるなんて調べればすぐに分かる嘘をなんで言ったのさ」


 俺とレイナは顔を見合わせて、唸った。


「……知らないのか」


「え?」


「いや、まあまあまあ。弁当でも食いながら携帯弄ってくれ。それこそ調べればすぐに分かるから」



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