偶然よ҈、知っていたのか



 もう恐れる事はない。



 これは遊びだ。



 千歳を背中に抱え直してから、俺達は草むらを後にした。三つの条件を満たす場所を探すのは簡単だ。『色鬼』が出るまでその場所で待ってみればいい。幸い、遊びの会場は範囲が狭い。家、本殿、謎の血痕小屋、無限に続く裏道、その脇にあるトイレ。これらを取り囲む草むら。


 思い返せばその編の草っぱらに色がついていた事などない。必ず物と言える場所についていたような……千歳は物扱い? 分からない事はまだまだあるが、捜索に一番手間がかかる草むらを探さなくて良いのは幸運だ。そしてトイレには散々籠った結果そんな色がついていた事など一度もないので外す。


 『遊び』が始まってからは一度も訪れなかった小屋へ行くと、一まとめにされていた筈の藁が散乱しており、その端っこにはボロボロの制服が脱ぎ捨てられていた……というより、破り捨てられていた。参考までに一つ言っておくと、服はそれなりに頑丈に作られており、刃物を通したならまだしも余程の馬鹿力でない限り破り捨てるという事は出来ない。或いは元々破壊寸前だったとも考えられる。


 見た所これは男物の制服、学校指定のワイシャツだ。


「…………朱斗の、だよな?」


「ええ。彼女は。自傷してるから」


 本人が居ないので女扱いはやむなし。それより気になるのは制服の破き方だ。そもそも破く必要なんて全くない。普通の服と違ってワイシャツにはボタンがついている。唐突に朱莉が筋肉自慢をしたくなったとかでもないと、この破き方には説明がつかない。


「んで、アイツの動向は不明と。そう言えばアイツ、お化け怖がってたのによくもまあ動けるもんだな」


「切り替えが。早いんだと。思うわ」


「お前も怖がってたよな、そう言えば。結果的にその危惧は大正解だった訳だが」


「…………今は。怖がってないって。思ってるの?」


「じゃなきゃここまで生き残れないだろ」


 レイナは頭を振って、俺の肩を掴んだ。唇を強く噛んで瞳を潤ませている。涙こそ漏れていないが、それが彼女の精一杯なのだろう。人づてに聞いた様子では大神君襲撃で真っ先に錯乱したのは他ならぬ彼女だったか。自分が殺した筈の人間が湧いて出てきたら誰だって怖い。真っ当な感性の持ち主なら復讐をしに来たのかもと恐れたって無理はない。


「一緒に。死んでも構わないって考えたら。勇気が湧いただけ。一人だったら…………」


「……すまん」


 どうしても制服が気になったので試しに服を広げて俯瞰してみると、一か所だけ不自然な破れ方をした場所を見つけた。ワイシャツの前側……つまりボタンのある場所だ。断面が綺麗すぎる。刃物が通った証拠だ。山本ゲンガーを解体した時は服もろともバラバラのグチャグチャで袋詰めにしたが、あの時の記憶が正しければこのワイシャツには一度真正面から縦に刃物が入っている。


「…………まずいな」


「何が?」


「誰かに襲われた痕跡がある。朱斗を探すぞ!」




「ぼくといっしょ」




 無視。


 レイナには俺の身体を掴んでもらいながら小屋の裏側へ。アカ色の懐中電灯で草むらの方を照らしてみると、殆ど獣道としか言えないような道が細長く続いていた。全く整備はされていない。道と言ったのも、雑草を踏み荒らした痕が結果的にそれっぽく見えているからだ。


「こっちだ」


 『外れ鬼』の時間が終了し、やはり何事もない。道なりに進み続けると、視界の端に理解を拒みたくなる物体が転がっていた。



 ―――三木橋君。



「きゃあああああああああああッ!」


「ああ。殺されてる」


 三木橋将斗は首を切られて殺されていた。それも腕前が非常に悪い。後ろから切られてちぎれかかった首が重力に従って傾き、生気ではなく恐慌に満ちた瞳を向けている。何もかもだらしなく開いた顔はまるで俺達に助けを求めているようだ。誰もが安らかに死ねる訳ではない。これなら『隠子』によって殺された方が……マシなのでは?


「いや、いやああああ…………」


 レイナは俺を目隠しに現実を拒否し、俺もそんな彼女を受け入れる。背中に後輩を背負っているので抱擁は出来ないが、立ち止まるくらいなら何とか。



 ―――何だろうな。



 今は『他人事』と拒絶するつもりはないが、それにしても実感が湧かない。彼はこんな惨い殺され方をされるような人間ではなかっただろうが、俺にとってはどうしても死んでほしくない人間という訳でも無かった。


 そういう考えだから、レイナに寄り添う事も出来ないのだろうか。


「……行くぞ」


 せめてもの共感で敢えて言葉を溜めてから言うと、すすり泣き交じりに「うん」と返って来たので一安心。




 更に道を進んでいくと、また小屋を見つけた。



 境内にあった小屋と違い、今度は本当に小さなものだ。部屋があったとしても入ってすぐに寝室が一つあるくらい。十中八九物置小屋だろう。仮設住宅よりも仮設感漂うおんぼろな建造物だが扉が僅かに開いており、奥の暗闇で何かがもぞもぞと動いている気がする。ライトを切って近づくと、声も聞こえてきた。




「やめてッ! 何すんだよ、離せよ!」


「うるさい! 僕が死んでもいいっていうのか!? ひ、ひひ。萩澤も良い事言うよな。僕にだけ助かる方法教えるとか!」


「ね、ねえ待ってよ! 落ち着こうよ、一旦さ!? は、萩沢慧が君を騙してる可能性だって」


「このままじゃどうせ全員死ぬだろうがぁ! だからぼ、僕だけでも生き残るんだぁ。死ね、死ねよおおおお!」


「ぐッガ。あ、あ、ア、あ……強。君、や……」




「レイナ。後輩任せるぞ」


「ん」


 様子見など必要ない。勢いよく扉を開けて中央にライトを向けてやると、床に押し倒した朱莉を縄で絞殺せんとする相田寿の姿を目撃した。突然の来訪者に彼は絞首の力を緩めると、即座にホールドアップをして壁まで後ずさった。


「く、草延先輩……ぶ、無事だったんですね。よ、良かったです」


「相田君。今、君は何をしてた」


「え。何って」


「朱斗に、何してた?」


 足元では意識を失いかけていた朱莉が何度も激しく咳込んで呼吸を整えている。俺の存在には気付いているだろうが、それどころではないようだ。助けを求める暇もなければ俺の名前を呼ぶ合間もなく、解放された咽頭に未だ縄を幻視して気管を詰まらせている。


 男装を極めた結果ワイシャツの下はタンクトップで、その肌着もショルダー部分が一つ切れて胸が見え懸かっている。この場で彼女が男性か否かという事はどうでも良いが、性別を知られたようだ。


 既に言い訳の余地がない事など明らかだったが、何を考えているのだろう。彼は俺に近寄ると、忌々しげに彼女を見てから耳元で囁き出した。


「く、草延先輩! あ、アイツを殺せば脱出出来ますよ」


「へえ。誰情報だ?」


「は、萩澤ですよ。あ、アイツが『僕だけに』って特別に教えてくれたんです。ど、どうですか。二人でやれば早いですよ。明木先輩を殺して裏手にある井戸に捨てれば、助かるんですって」


「彼女は『内通者』だった筈だが」


「そ、それは…………草延先輩が間違ってたんですよ」


「そうか」


 反対側の壁に置いてあった木の棒を手に取ると、振り返って躊躇なく彼の側頭部に一発。不意の一撃に相田君はその場で昏倒。口の中に先端を突っ込んで追撃を加えようとした所で朱莉の手が棒先を掴んだ。


「ま、待って…………殺す必要は、ないよ」


「お前の性別を知られただろ」


「……ゲンガーじゃないんだ。殺したら、私達は大義名分を失う。大丈夫だから。大丈夫、だから……」


 首に違和感を覚えるようで、朱莉は度々己の首を親指と人差し指の間で軽く圧迫し正常化を図っている。それでは全く大丈夫そうに見えないし幾ら発育が貧しくても女の子に変わりはない。棒を手放した俺はワイシャツを脱ぎ捨てると、それを乱雑に彼女の頭へ被せた。


 不意に白い布に沈められた朱莉は何とか戸惑いつつも顔を出し、ワイシャツを手に取る。


「……え? なにこれ」


「まさか女ものの下着も着てないとは思わなかった。それやるからさっさと着てくれ。目に悪い」


「そ、そういう君だって下着をつけてないじゃないか!」


「今、夏だって思ってる話ちょっと前にしただろ。クソ熱いから下着なんか着ないよ。別にみられて恥ずかしい身体でもないんだから」


 女のお前と違って。


 そう言いかけたが、レイナにはバレていないという事になっている。表向きにでも控えないと今度は朱莉の方も俺を疑うようになってしまう。それは『他人事』から見ればフェアなのだが、『俺』はズルいと思う。


「…………彼シャツ」


「アホな事言ってないでさっさと着ろ。レイナも外に居るしな」


 もしかすると加齢シャツと言っていた可能性もある。その証拠に朱莉は臭いを深く吸い込んでから着用した。そこまで臭くない……筈。与えたはいいが朱莉には少し大きすぎた。ブカブカでボタンを上から二つ止めるだけでもまるでちゃんとワイシャツを着ているかのようだ。


「生存者は?」


「確認した限り俺、お前、レイナ、千歳、菊理、明亜君、慧ちゃん、大神君。人づてに確認したものも含む」


「……二人は澪奈が殺したんじゃなかった?」


「あの時の状況的にもその筈だ。そっちは聞き忘れたけど、來原君から聞いた話じゃ大神君を見てお前達は警戒したそうじゃないか」


「ああーそれはね。レイナが『殺したんだけど』って言ってたのを聞いたからおかしく思ったんだ。どうして生きてるのかな。ゲンガーに蘇生機能なんてないんだけど」


 蘇生機能が無い。


 あっても今までは問題ないだろう。死体をバラバラに解体しているのだから復活しようがない。


「俺と別れてる間に何があった?」


「―――碌な目には遭ってないね」


 話はレイナ、來原君と別れてから。小屋に戻って来た朱莉はそこで相田君と合流。暫くは小屋の中で全ての遊びを回避していた(外れ鬼は何となく避けていたらしい)が、來原君の叫び声が聞こえた辺りで殺されたはずの萩澤慧が薪割り斧を片手に小屋を来訪。最初は『隠子』に襲われている被害者の様に振舞っていたが、相田君と内緒話をしたと思ったら二人で襲われ今に至るらしい。ワイシャツは逃げてる最中に掴まれ無理やり破ったのだとか。


「君以外の人に裸を見せるなんて……強姦された気分だよ」


「俺も見た覚えがない」


「今ここで見せようか?」


「やめろ」


 少し心が落ち着いた。確かに相田君を殺すのはおかしい気がする。俺も頭に血が上ってしまったという訳か。今は『他人事』として何かを考えられない状況だ。


「彼を、どうしようか」




「ダイダイ色どーこだ」



 秒数が始まった。


「俺が何とかしてくるからお前はレイナと合流しろ。早く行け!」








 残り七秒。   

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