制裁猶予



 悩んだ挙句にレイナがノーパンになったらしい(脱ぎ捨てた下着でインチキがバレたら最悪だ)という話はさておき。二人の起こす怪奇現象は心理的余裕を削るのに効果覿面であった。屋根を破壊したり、毬を境内に入れたり、家の中を水浸しにしたり。全てを知る側から見ると大胆というか無茶苦茶な瞬間もある。柄杓で手水舎の水を一々掬いに行くのはそういうチキンレースをしているようにしか見えない。が、


「ねえちょっと菊理さん! こ、これ! 水が減ってるよぉ!」


 段階的に水が減っているという怪奇現象が奇しくも生まれてしまった。飽くまで人為的な物だと考えられなくなっている影響か、家の中が水浸しになっている件とは繋がらないようだ。相田君もまた御しやすい部類に入る。



「やややッ。え? 何で手水舎に水が溜まってるの?」



 そんな彼女の大声が、手水舎の周りに全員が集合させた。いよいよ誰も気づかないかと思った矢先にこれは僥倖だ。全員にこの情報が行けば彼にだけ活用される事はない。口先だけで揺らぐ信頼は俺も同じなのだ。言ったもの勝ちの状況で、只一人だけが知る情報は致命的な結果を生んでしまう。


「何、別にここそういう場所でしょ」


「ここは、廃神社である筈だが」


「…………! 速水、滅多な事言わないでよッ」


「滅多も何もそういう場所だぞ。だから肝試しに来たんだろうが」


 三木橋君にも表面上の強気に杭を打ち込まれ、慧ちゃんは苦しそうだ。度重なる怪奇現象に『偶々』全て遭遇してしまったせいで、傍目からでも心にガタが来ているのが分かる。相田君がフォローしないのは分かるが他の人間が助けてやらないのは…………疑っているから?


「柄杓が一個足りませんね」


 本筋から逸れていた話題を引き戻しに掛かる声。明亜君だ。彼もまたその理性的な振る舞いから一定の信頼を受けているようで、ドッペル団とも『正義』側にも与しない人達は全員その発言に注意を向けた。


「気のせいじゃないんすか?」


 誰だってそう思う。主催者でもある大神君でさえ思っているのだから明白だ。肝試しという名の悪ふざけで一々細かく状況を見ている人間は居ない。俺だってついさっき、御神体に首が無い事に気が付いたばかりだ。


 彼は頭を振って三木橋君へ写真を求めた。人であるなら拒否する理由もなく、今一度の珍獣探しが始まる。


「俺、手水舎なんか撮ってないぞ」


「俺も撮ってないすねー」


「そこはどうでもいいんです。鳥居の外から内側を撮ったこの写真に……ほら、見切れてるけど写ってるでしょ? 柄杓の取っ手が三本……一本足りないです。でしょ、草延さん」


「何で俺に聞くのかな」


「皆、もう気付いてると思いますよ。草延さんがちっとも動揺してないの。怪異に詳しいからとか、そういうんじゃない。興味がないくらいだ」


  やりにくいのが正直な感想だ。粗が多いのはアドリブを利かせやすいからだが、ここまで冷静な人が居るなら本気で騙しにかかる必要があるかもしれない。それこそ一旦彼を内通者という事にして発言力を削ぐとか。


 いや、諦めるのはまだ早い。明亜君がどれだけ聡明でも、彼はゲンガーの存在を知らない無知なる側。彼に屈するのはゲンガーに対する敗北も同然だ。せめて大神君を殺すまでは。


「明亜さんはセンパイを疑ってるんですか?」


 どう言い繕うべきか悩んでいると、誰よりも先に千歳が割り込んできた。凛とした瞳を同じチームだった者へ向け、俺を庇おうとしてくれている。


「そういうの良くないと思いますッ。センパイはちょっとおかしいだけで、とても優しい人なんですよ」


「火翠さん。気持ちは分かるけど、その人は不自然なくらい冷静なんだ。皆、それを疑問に感じてる。それを説明してくれない事には、確定と言ってもまだ疑うよ俺は」



「主語がでかいなあッ、君は!」



 続いて割り込んできたのは山羊さんこと菊理。立ち位置が一番外側という事情もあり肉体ごと割り込む真似はしなかったが、彼の背後から声が上がった。その事実が何よりも大切だ。


「皆、じゃなくて君でしょうが。他の人が意見を発信しないから勝手に一まとめにするのはどうなのよ。あたしは匠ちゃんを信じるよッ」


「菊理さんまで……今大事なのはそういう優しさじゃなくて」


「そうやってイジメは起きるんだよ、明亜君や。ああいう行動をするなら仕方ない仕方ない。そうなるのは当然で仕方ない。誰かが言い出した事が常識化して、皆もそう思ってるからって正当化して、あたしは三か月もイジメられたッ。匠ちゃんはそんなあたしを助けてくれたんだよ。理由ってそれで充分じゃん。私からすれば、あの子を虐めてた人みたいに勝手に多数派代表を名乗る君の方が怪しいかんね!」


 理由はどうあれ、二人から好かれている状況に、俺は目を伏せて感謝した。千歳は怪しい箇所が見当たらず、菊理は無根拠に説得力を持った稀有な人間。この二人から擁護されれば、理屈じゃ対応出来ない。明亜君は俺を排斥する流れに持っていきたかったのかもしれないが、善意に敵うものはなし。情けは人の為ならずだ。


 確かに今、大事なのは場面場面の怪しさだが、これは紛れもない現実世界。盤外を軽視すればこうもなる。


「…………まあ、二人共落ち着いて。確かに一本足りないが、何か問題でもあるのか? 誰が書いたか知らないが、カラースプレーで壁に落書きした人もいるだろ。柄杓の一本や二本、悪ふざけの延長で何処かに投げ捨ててもおかしくないよ」


 明亜君は顎に手を当て俺を見定めるように窺い、それから視界に映りようがない背後の人物も含めてじっくりと睨め回した。不安、悲観、諦観、虚無、およそポジティブな感情が一ミリも見えない。果たして同じ感想を抱いたかは分からないが、明亜君が頭を下げると、少なからず場がざわめいた。


「すみませんでした」


「いや、気にしないでくれ。疑うのは自由だよ。それよりも柄杓を探した方がいいと思う。こういう場所は形式が大切だからな。『子』は見つけましたが柄杓が足りなくて形式を満たしてないので帰れませんって事になったら困るだろう」


 そして今度も流れるようにチーム分け。今度は任意なので、知り合い同士が分かれる事になった。当然ドッペル団のメンバーが消えた現状、俺と組むのは『正義』の二人だ。危うい瞬間もあったが、それなりに事態も進展したので中間報告を挟もう。


 家の方へ戻った俺達は、水浸しの畳を避けて縁側に座り込んだ。意図してないが、両側を挟まれた。





「誰が『偽物』だと思う?」





 それはデタラメの方ではなく、ゲンガーの方。これだけ話が動いて、全員が少なくとも発言したのだから二人の意見を聞きたかった。


「その前に匠ちゃん。聞きたい事があったんだけどさ。その『偽物』って見つけたらどうするの?」


「ああ。放っておくと誰かを殺すから、取り敢えず制圧する。アイツ等一晩その場に放っておけば勝手に消えるから」


 そんな訳あるか。二人の前で殺人をしない為の方便だ。申し訳なさはあるが、もしそういう展開になった場合またあの残りの団員に殺害と解体を任せる必要がある。デモンはともかくゴーストは二度目で慣れる性質でもないだろう。心配だ。


「そ、そうなんだ? あたし達は何を戦ってるんだろう……」


「お化け……じゃないですよね。偽物なら今まで居たって事でしょうし」


「その辺りはよく分からん。で、誰だと思う?」



「私、明亜さんが怪しいと思います!」



 多少息巻きながら千歳が両手をぐっと握ってそう言った。


「センパイを疑うの、あの状況だとおかしいです。だって皆の為に仕切ったり提案したり色々してるのにッ」


「あー。千歳、あんまり敵視しないでやってくれ。俺にも色々と発言の不備があるんだ。彼はちょっと冷静なだけ。疑われるような真似をしてる俺が悪いんだ」


「私は何があってもセンパイの味方ですからッ」


 何この良い子。


 『他人事』ながらちょっと騙すのに罪悪感が湧いてきた。慕っている先輩が実は人殺しだと知ったら、どんな顔をするのだろう。ドン引きするのだろうな。優しい後輩は何処までいっても善性に従順だ。悪道を共にしようとは思わない。


「あたしは三木橋君が怪しいと思うなー」


「理由は?」


「ずっと様子見してる感じがするよね。一回澪奈と朱斗君を探してる時に同じグループだったけど、速水君はイマイチ現実を受け止めきれてない感じがする。相田君は偽物がどうというよりも萩澤ちゃんを少し敵視してる感じ。明亜君はあたしもちょっと対立が露骨すぎるとは思うけどシロかなあ。うん、よく分からないや。こんなの役に立つかな?」


「充分だよ。有難う山羊さん」


「あははッ。最初はあれだと思ったけど、結構愛称っぽくなってんじゃん♪」


 さて、二人の意見を聞いた上で俺も考えを表明するなら……三木橋君と慧ちゃんが怪しいと思っている。前者は菊理と同じ。慧はクロすぎてシロと言いたいが、明亜君の言う通りに従っているのが引っかかっている。彼がヘイトを貯めるならその影に隠れているのではないか、と。




 それと、大神君が沈黙を続けているのも気になる。




 激情は有限だ。時間が経てば落ち着くのも分かるが、まだそこまで時間も経っていないし、何より不自然なのはレイナが消えた事への反応だ。忘れがちだが、彼は取り敢えず彼女に告白するくらいには年上の異性として意識している。ではその時の反応は?



『な、内通者? 俺はそんなの知らないっすよ!?』



 気にしていなかった。そればかりか自白までしてしまった。


 よく考えてもみてほしい。話の文脈を。あの時はレイナが消えて、俺が考えの方針を変えたのだ。確かに大神君の方は見たがそれは真正面に居る都合上たまたま視界に入っただけで……一体彼は、何を知らないのか。


 普通に考えれば『噂』の延長線だ。補強するなら『俺はそんな(噂)知らないっすよ!?』となる。だがそれ以前に俺は真の『噂』という奴で当初の話を完全に上書きしている。それも全くのデタラメなので、知らないのは当たり前なのだ。俺だけが噂を知っている前提で話は進んでいて、あの発言。繋がらない。


 もし繋げられるとしたら、こうなる。



『な、内通者? 俺はそんなの(ゲンガーから聞かされていない)知らないっすよ!?』




 あまり時間を掛けてもグダグダになりそうなのでそろそろ大神君にはご退場願いたいが、その前にハッキリと繋げておこう。











 この中に潜伏ゲンガーは居る。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る