悪と涜神
死が、あり得ない?
非常に悲しい事だが、今回の肝試しは確実に死人が出る。噂では危険性の低い怪異だ。笑い声とか足音が聞こえる程度のほぼ無害の噂。嘘でも本当でも、さして変化がない様に見える。実態は違う。俺はその『かくりこ』の噂が嘘でも本当でも大神君を殺す気でいる。もし本当なら利用して、もし偽物なら恐ろしい存在にでっちあげる。噂を勝手に改造して、本当の噂という名目で上書きして、ゲンガーを殺す。
そこに罪悪感など微塵もない。噂は所詮噂だ。人々は過激な方の噂を信じようとするだろう。過激じゃない都市伝説に何の面白みがある。姉貴だっていつも危険な方にばかり流れるのだ。きっと人間には命知らずな性質があるのだと『他人事』ながらに俺は知っている。
「なんか、凄く不安だよ」
「どうして?」
「そりゃあ怖……トラウマだよね。あれは。生きた心地がしなかった。今生きてるのは多分奇蹟だと思ってる」
そこだけは今も分からない。俺達は確かに死んでいた筈だ。火事の影響で山道の周囲は随分貧相な印象を受ける。山ではあるが、まるで干上がってしまったようだ。千歳と菊理の混じった列はそれをネタにわいわいと盛り上がっている。
―――大神君の目的が分からないな。
議題には出なかったが疑問点はまだある。ゲンガー確定とされる人間を追い詰めても、最後まで偽物と自白しない点だ。かつてマホさんに正式名称を尋ねたのは、そうやってゲンガーを騙ればあちらも教えてくれるのではと思っていたから。多分その思惑は、今の段階では失敗する。
誰よりも自分が偽物であるとゲンガー達は分かっている筈だ。死にたくないなら、『本物』らしく居たいなら命惜しさに自分が偽物であるとぶちまけて、ついでに他のゲンガーの事もぶちまけてくれればいいのに、誰一人やろうとしない。サンプルがまだ少ないだろうという意見は分かるが、ただでさえ未熟なやり方をしてくれた山本ゲンガーがそういう態度を貫いたのだ。他のゲンガーにも同じ方針が採用されていると考えてもいい。大神幸人ゲンガーだって追い詰められている間に自白しなかった。
拷問さえ出来れば何か分かるかもしれないが、それは朱莉に対する疑念を表明している様なものだ。事は慎重に行いたい。
「気になる事。あるんだけど」
「何だ?」
「都市伝説って事なら。お姉さん呼んでも。良かったんじゃない?」
俺達に協力する事とこの場で専門家として控えるのはまた別の話だ。レイナの言い分も分かる。この場に居る誰もオカルト方面に詳しくないのだ。ゲンガーはまた別の現象として扱ってきたので例外。
「姉ちゃんは怪我してるから無理させられない」
「大丈夫なの?」
「まあ軽い方だよ。心配ない。多分」
燃えカスになった山の中を通る体験は初めてだ。誰も気にしないが立ち入り禁止になっている場所に入ったというのに罪悪感が無い。赤信号を皆で渡る理屈はこんなにもあっさりと浸透するものか。
「……えーと。手を離しても良いか。手の汗が気持ち悪くなってきた」
「夏だからじゃない?」
「じゃあ猶更手を離せ」
「断るッ。僕はお化け屋敷にも入った事がない人間なんだぞ、何でわざわざこわ……リスクのある思いをしなきゃいけないんだ!」
頑として朱莉は恋人繋ぎを譲らない。こんな奴が躊躇いなくゲンガーを殺せるらしい。世の中は分からないものだ。大してレイナはそれ程怖がっておらず、あんなに殺人に対して忌避を持っていた女性とは思えない落ち着きぶりである。
「レイナは怖くないのか?」
「……まだ何も。出てないし。聞こえないし」
「そりゃそうだな。何も出てないのに怖がり過ぎてて段々嘘くさい奴が一人居るけど」
「何だよ何だようるさいなあ! 男だって怖いもんは怖いのさ。澪奈の方がおかしい!」
「火事より。怖いの」
「怖い!」
それはおかしい。
百人中百人が果たして首を傾げるのではないか。周囲に火の手が回って今にも死にそうな状況と何かお化けっぽいのが居るかもしれないだけの状況。仮にそういうのが苦手だとしても、危険信号の度合いが違う。
パキッ。
小枝を踏んだだけだが、やけに大きく響いた。前方は賑やかだが、ここは数多の死者が眠る暗闇の権威。聖域と呼ばれ恐れられていた事もある(山岳信仰と言う)ような場所だ。些細な物音も聞き逃すまい。
単純にはぐれるのが一番恐ろしいのでレイナに前を診てもらいつつ足元を照らすと、やはり枝を踏み潰していた。良く見ると一本をたまたま潰したというよりは何本かによって組まれた枝を崩した形だ。踏みつけた枝の周りに無傷の枝が散乱している。
「枝が、どうかした?」
「ん。何でもない。何か怖いモノが見つかればと思っただけだ」
「ヘンな事言わないでよ」
遅れを取り戻すように小走りで列に追いつく。菊理が心配そうにこちらを見ていたがそれはハイリスクなのでやめてほしい。指文字でやめろと知らせると、彼女は慌てて周りに紛れた。世話焼きたがりも考え物だ。
―――ん?
枝を見ていた時、妙な色を見た気がするが。
悪戯に怖がらせるのはやめようか。朱莉が泣くのは本意じゃない。入り乱れる光源のお蔭で視界不良による事故は防げるが、それにしても光の当たらない場所は暗く、影絵の世界に迷い込んだかのようだ。実際、山の殆どは燃えカス気味なので猶更その暗黒に磨きがかかっている。目的の場所に辿り着くまでほんの少し警戒してみたが、何も起こらなかった。
変化と言えば進む度にレイナの顔が薄暗闇でもハッキリと分かるくらい青ざめていくくらいで、それも大袈裟に恐がる朱莉の前では些末な事。
「うおおおおおお! マジだ! こんな所に神社があるのか!」
先頭列の喧騒で以て、俺達はようやく殺害予定現場に到着したのだった。
オカルト方面に予備知識も何もないので、この神社の名前は分からない。噂を拾ったとは言ったが、それは言うなればネットで単語を検索するようなもので、正直に言って上辺だけ拾ったようなものだ。
「ここはね 鎮沼しずぬま神社って言うらしいっすよ! 何でも神社で遊ぶのが大好きだった子供が、特にかくれんぼが好きで―――」
知識が浅い。名前を知っている点を除けばほぼ同じなので、大神君はオカルトマニアではないと分かる。やはり肝試しはフェイクで何か別の目的があるのは明らかだ。或は彼も幽霊が本当に居ようが居まいがどちらでもいいのかもしれない。
「足音が聞こえるって事はいるって事なんで。皆でお化け捕まえましょーなんてッ 盛り上がるんじゃないすかッ!?」
先陣を切って大神君が本殿に突っ込んだ事で列は散開。千歳と菊理は俺の方を一瞥した後、神社の左に位置する長い小屋のような場所に入っていった。二人は『偽物を見つける』名目で俺に協力している。『偽物』とはゲンガーの事で、取り敢えず怪しい動きをした人間を探し出してほしいと伝えてある。
誰かを殺そうとしているとか、全滅を狙っているとか、嘘をついて何処かに誘導しようとしているとか。
不安なのは菊理の正義感。『あたしだって弁える時もあるかんね?』と反論してはきたが、そこはあまり信用していない。いじめられた経緯が聞いてもいないのにどんどん固まっていく。
「取り敢えず、大神君追うか。やっぱ本殿が出る気がする」
「……見た感じ全部木造なのに、本当に燃えてないんだね」
燃えてないどころか、破損が見当たらない。鳥居は新品のように真っ赤だ。説明不要で何かがおかしい。これもある種の怪奇現象だ。
朱莉から手を離すと、互いの汗が混じり合って掌がすっかりべたついている。ズボンで雑に拭きとりつつ、いつの間にか後方を振り返っていたレイナに声をかけた。
「どうした?」
「匠悟は。気づいてないの?」
ライトの照らす先には、瑞々しい葉っぱが生えている。
葉っぱ?
そうだ、葉っぱだ! 枝を照らした時も、足元の草は元気だった。あんな山火事が起きた直後の状態ではない。植物の再生力や繁殖力を考慮しても、あまりに不自然な―――不『自然』の姿。
「多分。もう。入った」
レイナの声は、涙で掠れていた。
「これ。本当に。危なくないの……?」
怪異は噂を逸脱しない。姉貴からはそう聞いている。今回の『噂』には人を殺したとか人が消えたとかそういう情報は無かった筈だ。姉貴に確認しようにも携帯は圏外。山の中なのでそうおかしくもない。
「もしかしてお前、ずっと気付いてたのか?」
「……影が。急に。豊かになって」
お化けが出るか否かに気を取られ過ぎて、フィールドの変化には気が回らなかった。
『人は共通認識に生きる存在で、その認識のすり合わせを現実と呼んでいる。だからもし、世界中の人間が科学を信じなくなったら科学には何の力もなくなるって』
姉貴が受け売りで語った言葉が蘇る。
科学とは信仰であり、また神の一種でもある。レイナが気付いた変化を他の人間がどれだけ把握しているかは分からないが、少なくとも俺達はこの現実に同意してしまった。ほぼ全焼した山が深緑の彩りを見せている。科学的にあり得ない状況を認めてしまった。
噂からは、逸脱しない筈だ。
大神君だって、リスクが低いからここを選んだ筈なのだ。何をするつもりかは分からないが、救世人教でもあるまいし、盛大な自殺という線は薄い。このように正当化出来る理屈は直ぐに見つかる。この場所は危険な様に見えて安全な場所だと言い聞かせる材料はそこら中に転がっているというのに。
本能が恐れている。
闇を。
そして未知を。
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