変わる街並み


 学校から一番近くて分かりやすい建物と言えば駅しかないので、そこで待ち合わせをする事になった。誘っておいた手前先に到着しておきたかったがこの世には絶対的な距離の概念がある。俺に車の最高速度くらいの足があればまた違う結果が見られただろうが、一般的な人間の速度ではどうあっても家からの方が遠い。

 千歳は先に駅前で待っていた。何人かの男子生徒が彼女を誘っている様子が見えるが全部断っている。律儀というかなんというか。こういう面倒を避ける為にも先に到着したかったのだが……まあ、いいか。

「千歳」

「センパイ。こんばんはッ」

「こんばん……まあ夕方だからそんなもんか。って普通の挨拶かよッ!」

「私だって病み上がりのセンパイを気遣う気持ちはあるんですよ? それで、差し支えなければどういう怪我を負ったのか教えていただきたいのですが……」

 大怪我で学校を休んでいたなら当然その痕跡は残っている筈だった。何故か消えているので、俺にもどんな怪我をしたのかは分からない。良くて丸焦げになっていたとは思うのだが、だからと言って後輩の目にはそんな風に映っていない筈だろう。

「…………ええ。差し支えあるからノーコメントで」

「あ、すみません。でもそんな返し方ってありですか?」

「差支えあるんだから仕方ない。大丈夫だよ、何ともないから」

「そう、ですか?」

 本当に何ともないのか、と自分でも不安だが、何も無いのに体調が悪いと言い出したら単なる仮病だ。何故後輩の前で仮病にならないといけない。重苦しい話題が続いて気分も落ち込んでいるし、俺に必要なのはリフレッシュだ。彼女には悪いが、それに付き合ってもらう。 

 手を差し伸べると、彼女は露骨に怯んだ。

「ん? どうしたの?」

「…………こ、こういうのって不純異性交遊って言われませんかね」

「手を繋ぐだけで不純とか、どんなピュア発言だ。君……お前は男性と手を繋ぐと子供が出来るとか教わったのか?」

「いえ、そういう事じゃなくて。なんかこう、改めて手を繋ぐのが恥ずかしくて」

「じゃあ待つよ」

 手を伸ばしたまま、足を石化させて硬直。行き交う人々の一部が俺達を不思議そうに一瞥していく。


 ―――本当、スタイル良いな。


 中学まで新体操をやっていたせいだろうか。それとも今でも柔軟くらいはやっているのか分からないが、とても身体が柔らかそうだ。色々な意味で。何よりも体幹がしっかりしていて、重心一つとってもかなり違う。素人の俺がそれを詳細に表現するのは難しいが、その辺で電車を待つ女子と千歳とを比べた時、どちらが安定した立ち方をしているかと言われたら後者だ。

 唐突に片足を持ち上げてI字バランスを見たくなったが、ぐっと堪える。何だその斬新な悪戯は。

「こ、これ。いつまで……続くんです?」

「手を取ってくれるまで」

 衆人環視の中で行われる我慢比べに千歳は徐々に頬を赤らめながら固まっていた。衆目に晒されているという意味では俺にもダメージがあって然るべきだが、『他人事』なのでどうでも良い。幾らでも待てる。

「う、うう…………うううううううううううう…………!」

 ぐるぐる目を回しそうな程の葛藤と苦悶の末に、彼女の両手が俺の手を強く掴んだ。

「よ、よろしくお願いします……!」

「うん。宜しく。じゃあ行こうか」

「お、お手柔らかに」

 俺を何処に行かせるつもりだ。大丈夫、変な所へは行かない。プライベートでゲンガーと遭遇しても困るし。行くのは千歳が多弁にも俺に教えてくれたスイーツ店だ。聞くまでもなく色々教えてくれた事で殆ど調べるまでもなかった。感覚は答え合わせに近い。そこは学生割引があって、学生証さえ見せれば一〇パーセント割引になるらしい。

「え、ここって……あれ、私教えましたか?」

「ああ、もしかしてこのお店? いやー偶然だな。まあ一度くらい一緒に食べたかったし丁度いいか」

 お気に入りのお店とだけあって、何処か緊張した様子だった後輩は安堵するように微笑み、途端にウキウキと動き出した。本当にスイーツが好きなのだろうと思う反面、女子特有のスタイル管理に支障はないのだろうかと不安を抱いている。恋愛に生きる男にとってモテるモテないは重要な要素だ。それを差し引いてもスタイルの管理は部活動に所属しているなら大切で、例えば陸上部に居るのに太っていたらお話にならない。本人にとっても地獄だ。

「たくさん食べたいなら奢るけど」

「え、ホントですかッ? ……でも、お断りさせてください。どちらかと言えば私は半分ずつお金を出したいです」

「半分ずつ?」

「はい。そっちの方がセンパイと一緒に食べたって感じがするじゃないですか。今年でセンパイとは離れ離れになっちゃうって思うと、今の内に思い出を作っておこうかなと」


 ―――そういえば、そうか。


 大学に行くにしろ働くにしろ、高校生活は今年で終了する。希望大学とか就職先とか将来の夢とか、考えた事もなかった。何せ今はそれどころじゃない。ゲンガーに侵略されてしまえば未来なんてないのだから。

「―――何の為に連絡先を交換したと思ってるんだ? 卒業しても会えるさ」

「そういう事を言われた時ってすごく嬉しいんですけど、大体裏切られる気がします!」

 ショーケース越しにとんでもない毒を吐かれた。ただ素直なだけの後輩ではないという事か。所々に闇が垣間見える。悪意は感じないので純粋な感想なのだろうが、聞いた側にとっては猛毒だ。ニコニコしながら言える言葉ではない。

「センパイは選ばないんですか?」

 ケースに魅入っていた千歳が振り返って尋ねる。

「んにゃ、せっかくだから千歳さんにお任せしようかなと思ってる」

「え……でも私、センパイの好みとか知りませんよ」

「大丈夫大丈夫。可愛い後輩から貰えたってだけでも十分嬉しいから」

 恥ずかしい発言をした自覚はあるが、『他人事』なので顔には出ない。一方で千歳の顔はぶわぁっと赤くなり、緩んでいた口元が途端に引き締まった。

「や、やめてください! 急にそんな、恥ずかしいですッ」

「うーん良い反応をするなあ。だから可愛いんだけど」

「イジってますよねそれッ!」

 ゲンガーに関わったストレスを晴らすかのような、平和なやり取り。こういう日常を俺は愛している。愛していた。それを奪おうというなら相手が何でも容赦はしない。進路なんて後で幾らでも決まるが、ゲンガーは今から対応しない事には手遅れだ。

 本当に。つくづく。傍迷惑な連中だ。



















 同じ経験を共有したいという考えで、千歳はベイクドチーズケーキを選択した。俺達は今、近くの公園で開封の儀を執り行い、正に今ありつかんとしている所だ。

「いただきます」

「いただきますッ」

 ケーキを初めて食べたのは中学校の時。当時出会ったのはチョコレートケーキで何だこの甘すぎるお菓子はと若干苦手意識を持っていた。が、このケーキは違うようだ。甘すぎないし、何よりシンプルな見た目の割に味わいが濃厚である。外のサクサクと内のフワフワが食感的にも気持ち良さがあり、何よりも評価したいのは口に運んだ後に華から抜ける風味だ。

 これは正直、美味しい。

「めっちゃ美味」

「ん~至福ですね! はぁ~美味しい。美味しいなあ……! この日の為に生きてきたって感じがしますッ」

 残りは家で食べるなどと無粋な真似はしない。この場で食べきり、ゴミは俺が持ち帰る事になった。先輩として後輩にこの役目は任せられない。


 ―――ここからは、あの山が良く見える。


 全焼は免れたようだが、それでもかつての退屈な景観は見る影もない。確かに退屈で見どころはなかったが、みすぼらしくなれとは言っていない。あれはあれで趣があった。変わらない平穏と日常の象徴。少なくとも俺はそう思っていた。

 あの騒動以降、この町は少し変わったように思う。宗教に対する警戒心が強くなって最近はめっきり勧誘も減った。それは良い傾向と捉える人間は多いだろうが、少なからず日常が変わってしまった事実は否めない。

 良いも悪いも含めての日常だ。文書を焼く人間は必ず人を焼くとも言うが、そうならない事を願う。その兆候は既に出ている。道を聞こうとするだけで突き飛ばしたり逃げたりする人間を見かけるようになったのはハッキリ言って異常だ。

 それはゲンガーかもしれないが。今は暫定人間という事で。

「さっきの話だけど。卒業しても会えるよって話」

「はい」

「俺が人を簡単に裏切るような先輩だと思われたら困るから、約束しないか?」

「約束ですか? でも私は気にしませんよ。そういうの慣れてますからッ」

 誘導尋問をしたつもりはないが、叩けば埃が出るように、この話の流れは質問を重ねるだけで闇が見えてくる。

「今まで破られた回数は?」

「覚えてません。でもそれくらい普通ですよね?」

「だからこそ、だ。約束を破って欲しいとは思ってないんだろ。だから俺だけは何があっても破らない」

「…………本当、ですか?」

「そのつもりだから、気軽に約束はしないよ。あんまり節操ないと物理的に不可能な状況とか生まれそうだし。俺を信じられる根拠は……ない…………ないな」

 後輩は動揺する俺の横顔を見ながらパチパチと瞬きを繰り返していたが、不意に表情が緩み、口元に手を当ててクスクス笑った。

「センパイって、ヘンですね」

「それこそ、普通だろ」

「ヘンですよ。何で私の為にそこまでしてくれるんですか?」


 可愛い後輩の好感度を稼ぐ行動をするのがかっこいい先輩ってもんだぜ!


 というナンパなセリフは脳内で済ませておいて、真面目な回答を模索する。しかし性根が軟派なのでイマイチ真面目になりきれない。

「―――初めてなんだよ。後輩と仲良くなったの。部活とか抜きで。だから接し方がいまいち分かってないんだ」

 或いは妹に嫌われている反動で年下を可愛がりたいという欲求が滲み出ているのかもしれない。




 何にせよ、千歳とは長い付き合いをしたいものだ。







「――――――ん?」

 何気なく送った視線の先に、見覚えのある姿を見かけた。




 あれは、何してるんだ? 

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