ヒーローのヒーロー

【KAC8私だけのヒーロー】

 大きく息を吸うと、どきどき。どきどきどき。むねの音がとてもうるさいです。


(わたしは今からとってもわるいことをするんだ!)


 こころの中でそう言って、目を力いっぱいぎゅうっとして、一気に。


「おかあさんの、ばあかばーか! 今度そんなこと言ったら、ぶ、ぶっ、ぶっ倒してやるからなっ!」


 布団を2枚もかぶって出した大声は、わたしをかんたんに苦しくしました。


 いきおいよく顔を出すと、ぶはっと息を吐きます。すこし汗をかいていました。


「はぁ。はあ。す、すっきりした」


 手の中の【わたしだけのヒーロー】が「よし、それでいいんだ」と言っている。そんな気がしました。


 とつぜんですが、わたしの名前は平井ちはるです。8歳です。小学2年生です。年れいのわりに大人びているねとか、かしこいよねとか言われます。それはたぶんわたしが3番目の子どもだからでしょう。


 1番上のお姉ちゃんはもう高校生です。JKです。この前かれしとデートをするから、とお化しょうをしていたし、たまに夜7時をすぎて帰ってきたりします。わたしにはやさしいけれど、お母さんとはよくケンカをしています。不良です。


 2番目はお兄ちゃんです。お姉ちゃんはギャルならこちらはオタクです。わたしはでも、オタクの方がいいと思います。ライトノベルとかマンガとかもっとむずかしい本とか貸してくれます。この前、お父さんに「マンガばかり読んでないでべんきょうをしろ」とおこられていたので、少しわたしの部屋にあることは、わたしとお兄ちゃんだけのひみつです。


 このように上の兄弟を見ているので、お父さんとお母さんがのぞむことが、なんとなくわかります。もっと小さいときはワガママとかも言っていたのですが、お姉ちゃんとお兄ちゃんを見ていると「もしかして自分の意見を言うのってめんどくさいだけかも」と思うようになって。小学校に通いだしてからはあまりワガママを言わなくなりました。

 そのおかげで、お父さんとお母さんには「ほれ見てみろ。ちはるは本当にお前らふたりと違って賢いし可愛げがある」などと言われていますし、学校のべんきょうもよくできるほうです。


 でも、じゃあ何もふまんがないのか、と言われるとそんなことはありません。


 たとえば、ついさっき。


 お母さんが、わたしがあとでよもうと思っていた本をかってにかたづけてしまいました。もちろんわたしは言いました。「それ、ちはるがよもうと思っていたんだよ」ケンカにならないように。それなのにお母さんったら「だったらあとで出しなさい。読むときに。出しっぱなしにしてたらそうじできないわ」とぶつぶつ言ってそうじきのスイッチをオンにしたのです。


 そのときのわたしの頭のなかは、


(はぁああああぁ?!! いや、自分の本は? なんか料理の本とか出てるよね? それはいいの? そうじきが通らない場所だったら出しっぱなしでいいの? なにそれ。かってすぎない? そんなだからすぐにお姉ちゃんとお兄ちゃんともケンカになるんだよ)


 でしたが、こらえて――、


「はぁ。あついー」


 2階の自分の部屋の布団のなかで、お母さんへのふまんを叫んでいたのでした。


「今日も、とってもわるいことできた。ありがとう。シュール博士」


 わたしは手のなかのシュール博士に声をかけました。


 シュール博士は、わたしがまだ年少さんのときに、偶然YouTubeでみたオリジナルアニメ『アソブンジャー』のなかに出てくる主人公たちをじゃまする博士です。いわゆる悪役というやつです。


 このシュール博士の言葉が、とっても悪くって。


「ぶっ倒してやる」とか、

「このくそが」とか、

「はっはっは。壊せ壊せ!」とか、

 とにかく子ども向けにしてはなかなかに、ろ悪な(この前読んだ本にのってました。目に見えて悪いこと、らしいですね)せりふが多いキャラクターだったんですね。


 うまく自分の気持ちを口にできなかったわたしには、それはもうしょうげきで。かっこよくて。わたしにはないものがいっぱいで。


 気がつけば、主人公たちよりもシュール博士をいつも応えんしていました。


 以来、小学2年生になったいまでもシュール博士はわたしのヒーローなのです。


 トレードマークのおヒゲを指でさわると、おおきな三日月にたてぼうを4つ並べたような口が「うむ。よくやったちはる。さすがは私の一番弟子だ」と動いているような気がします。


「これからも、がんばれよ。お前の悪はお前を世界をすくうのだ」


 あ、これはわたしのひとりふたやくなんですけども。


 と、いつものようにシュール博士とあそんでいたときでした。

 いきなりノックもなにもなくドアが開いて、


「ちは! そのぬいぐるみ、早く隠せ」


 お兄ちゃんがとびこんできました。


 わたしは手にしたシュール博士をおろすこともできず、動けませんでした。動けるわけがありません。


 わたしのひみつ。小さいときにあこがれた悪役のキャラクターと会話している、を家のひとに、見られてしまったのですから――!


「きゃーーー!!!」

「叫ぶ気持ちもわかるけど、いいから今は隠せそれ。母さんに見つかるぞ!」


 はっとしました。実はシュール博士のぬいぐるみは一度お母さんに捨てられたことがあるのです。その代わりにと与えられたのは主人公であるゆうくんのぬいぐるみでした。が、わたしはそれをベッドから動かしたことはありません。だって、わたしのヒーローはいつだってシュール博士だけなのですから。


「や、やだ。どうしよう。どうしたら、お兄ちゃん」

「とりあえず、布団のなか突っ込んどけ」


 言うと、お兄ちゃんはわたしの手からシュール博士をとって、布団のなかへと放りこみました。


 開けっぱなしのドアに、お兄ちゃんの言ったとおりにお母さんがあらわれました。


「なに? ちはるの悲鳴なんて珍しい。宏輝こうきあんた、なんか意地悪したの?」


「違うよ。おさあさん、虫。えっと、そうおおきな虫がいて、それで、その」


 うまく言葉が出てこないわたしに、


「そう。ちはの部屋にゴキブリいてさ。ちょうどそこの壁に」


「え? いやぁぁあ! どこ? どこ行ったの? まだいる? 逃げたの?」


「ううん。おれが退治したからもういないよ」


「あ、ぁあよかった。お母さん、ゴキブリだけは無理で。ごめんね、宏輝のこと疑って。ふたりとも、もうすぐ夕飯だからね。降りてらっしゃいよ」


 言うと、とんとんとん……と階段をおりていきました。


 お母さんがいなくなっても、お兄ちゃんはいなくなりませんでした。


 部屋がとってもしんとします。どうしよう、と思っていると、


「ごめんな、ちは。邪魔しちゃったよな」


 ぽつりとお兄ちゃんがそう言いました。


「え。あ、あの……なんの、なんのこと? 邪魔なんて、そんな……べつになにもしてないよ」


 やっぱりうまく言えなくて、あわてていると、お兄ちゃんがわたしのことをじっと見て言いました。


「ちは、ごめんな。実はおれ、知ってたんだよ。ちはがたまに、その……シュール博士の真似をして、普段は言わないようなこと言ってるって」


 え。という言葉を出そうとしましたが、もうびっくりしすぎて、声になりませんでした。なので熱くなった顔を下に向けて、お兄ちゃんから目をそらします。

 お兄ちゃんが息をはく音が聞こえました。


「はじめて聞いたときはびびったよ。あの、ちはが? でもすぐに誰の真似してるかって分かった。シュール博士だって。「ぶっ倒してやる」って、あの博士の口癖だったし、ちはほんとに『アソレンジャー』すきだったもんな。それで聞いてるうち段々と、これはちはのストレス発散法なんだなってわかってきて、嬉しくなった」


「え。うれしくなった?」


 わたしは、お兄ちゃんのその言葉がとてもふしぎだったので、顔を上げてそう聞きました。


 お兄ちゃんはにっこりすると、


「だってさ、ちはっていつも無理してるって言うか、なんかすげぇいい子じゃん? おそらくおれとか姉貴のせいなんだろうけど、色々そつなくこなしすぎてて、子どもなのに親父とおふくろの期待も背負っててさ。疲れてないのかな? って心配してたんだよ。でも、シュール博士の真似してるときはすごくイキイキしていて、ああこれがちはにとってのデトックスなんだなと思って静かに見守ってたんだけど……ごめんな。おふくろ、嫌いだろシュール博士。見つかったらやばいと思って部屋入ってきちゃった」


 言うとお兄ちゃんは、布団のなかからシュール博士のぬいぐるみを取り出して、わたしに手わたしてくれました。


「はい。じゃあな。ごめんな、邪魔して。誰にも言わないからこれからもちはの方法でデトックスして。親父とおふくろうるせーけど、お互いがんばろーぜ」


 背中を向けて手をふるお兄ちゃんに、


「お兄ちゃん! ありがとう!」


 わたしは力いっぱい声をなげました。

 ふり返ったお兄ちゃんはにっと口を見せて、なんだかシュール博士みたいだなと思いました。


 わたし、平井ちはるにとってのヒーローはシュール博士です。だけども、そのヒーローを守ってくれたお兄ちゃんもまたわたしのヒーローです。


 とりあえずこれからわたし、デトックスの意味を調べることにします。


 ヒーローのヒーローといっしょに。


【了】







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