第2話

 来る日も来る日も、アヤは自室にこもってゲームの練習を続けた。冬休みは明けたが、時々学校を休むこともあった。その分、自分の成長に手応えを感じていた。

 eスポーツと言われるコンテンツには、レーシングゲームやシューティングゲームなど様々あるが、アヤが得意とするのは、伝説のプロゲーマー森岡と同じく格闘ゲームだった。ゲームも新作が出るたびに、キャラクターの動かし方の感覚やコツが変わる。ある意味で古参も新参も、新作が出るとイチから練習し直す必要があった。だから新作に関しては新参者のアヤも、他プレイヤーとの差は経験値ほど大きくは無い。練習すればするほど、自分のランクが着実に上位に駆け上がっていくのを実感していた。

「調子はどうだい? 疲れてない?」

 気晴らしに居間でジュースを飲んでいると、修一が声をかけてきた。

「大丈夫、イキイキしてる。こんなに楽しいことは無いよ」

「それはよかった。大会の本選まで、あと三週間だね」

 アヤは、食品メーカー主催の全国大会にエントリーしていた。参加条件は高校生であること。いわばゲーム版の甲子園だ。アヤは地元の予選を勝ち抜き、本選への出場権を獲得していた。

「うん、今回は腕試しみたいな気持ちだから、どこまでいけるか楽しみ」

「やっぱり向いているんだね、アヤは」

 そうだと思う。ワタシは、自分の直感を信じている。あの時の心の高鳴りに、正直に従って本当に良かった。アヤは、昔の自分を褒めた。

「タカの選挙も、明後日公示日を迎えるね」と修一が話を変える。

「あ、そうだったね」少し忘れてた。「正直なところどうなの、タカは?」

 タカは、出馬表明をして地元メディアにも取り上げられていた。現職市長の政策を引継ぎたいと表明した兼松と、若者支援を中心とした政策に意欲を見せる新人候補の孝之。次期選挙は、両者の一騎打ちとみられている。

 当初は孝之に勝ち目はないと思われていたが、地元最大の支持団体を味方につけたことが一週間前に分かり、一転、孝之の優勢とも噂され始めている。その支持団体と孝之をつないだのは宮部先生だと言う。公示前だというのに、すでに両候補者の陣営はバチバチと火花を散らしていた。

「そうだね、ぼくが思うに」と修一が口を開いたその時、ただいま、と低い声で孝之が帰ってきた。すぐにアヤも修一も、何かあったのだなと悟った。

 どんと、勢いよく孝之が椅子に腰を下ろした。アヤと修一は言葉を待った。

「ウーン、おれは、負けるかもしれん」

 珍しく後ろ向きな発言が出てきた。表情からは真意が読めない。

「宮部先生を怒らせてしまった」

 話を聞くと、例の最大の支持団体から、宮部先生を通して孝之の公約の見直しを迫られたらしい。孝之の考えていた公約では、現職市長の実施政策を一つ廃止することを掲げていた。支持団体からの要求は、その政策の復活であった。それは、その支持団体の中に恩恵を受ける人がいるからということは明らかであった。

 しかし、「限られた予算の中では、未来への投資に傾斜をかけ、時に取捨選択を行うことが不可欠だ。残念ながら受け入れられない」と孝之は突っぱねた。すると宮部先生は、それでは私の努力と信頼が無に帰してしまう、と怒りを剝き出しにしたという。

「宮部先生も悪気があったわけではない。必死におれを当選させようとしてくれたんだ。だけど、おれが目指すのは当選することではなく、この町を変えることだ。残念ながら宮部先生からは、もうキミは支援しない、と言われてしまった」

「タカらしいね」と修一が優しく言った。

「おかげで、おれは敗色濃厚だ。しかし、対立候補の政策が、気に食わんのは確かだ。おれなりに最後まで粘って闘ってみる」

 アヤは、不思議な感覚を覚えた。勝ちにこだわるのが孝之の戦い方と思っていた。修一の方を見ると、目が合った。これがアヤの父親だよ、と言いたげに微笑んでいる。


 はたして、孝之は兼松に大差で敗北した。

 選挙期間中は連日選挙カーで走り回り、街頭演説で必死に訴えを繰り返したが、兼松側には、現職市長の支持者に加えて例の支持団体がついたため、まったく歯が立たなかった。孝之は選挙事務所に集まった支持者を前に頭を下げ、繰り返しお詫びした。

 しかし家に戻ると、孝之はあっけらかんとしていた。

「フン、負けは成功のピースの一つに過ぎない。おれは、おれの目的を達成する。負けは、その為の大きな糧になる。おれは向いていないが、おれたちは一人ではない」

「おれたち?」とアヤが聞き返すと、満足顔で孝之は答えた。

「そうだ、次の選挙はシュウに出てもらう」

 また爆弾発言が飛び出した。

「おれは政治的な駆け引きには向いていない。だけどシュウなら勝てる」

「いやいや、そうかもしれないけど、シュウはそれで良いの?」と修一を見る。

「うん、ぼくがタカの目的を実現できるのなら、全力で取り組むよ」

 今更だけど、この二人の関係性は理解の範疇を超えている。

「それで、タカは今後どうするの。また教師に戻るの?」

「おれはYouTuberになる」

 んぁ、と間抜けな声が出てしまった。

「タカならできるね、応援するよ」と修一が言う。デジャブだ。うちの親が何を考えているのか、考えないようにしよう、とアヤは心に誓った。


 高校では、アヤの名前が一部のグループの間で話題になっていた。

 数週間前、知人にゲームを本格的に始めたことを伝えたら、じわじわと校内を伝播していき、eスポーツ部にまで届いたのだった。

 ある時、eスポーツ部員から声を掛けられ格闘ゲームの対戦を申し込まれた。どれどれと思ってアヤが引き受けたところ、一人、二人と相手を叩きのめしていき、ついにはエース級と目されていた部員も打ち負かしてしまった。その時、調子に乗って「プロを目指している」と口にしたばかりに、顧問の先生にも目を付けられた。力強い勧誘は拒否したものの「高校の看板を背負って、ぜひ世界に羽ばたいて欲しい!」と激励され、ゲーム部に籍だけ置くことになった。「ゲームするので学校を休みます」と臆せず言える特権を手に入れたのが、アヤにとってはご褒美だった。

 ゲームにのめり込む一方で、竜也と会う頻度が激減していることには気づいていた。

 ある日の学校帰り、アヤは、行きつけの近所のスーパーの前で竜也を見かけた。今日は早く帰って練習したいなと思い、足早に通り過ぎようとしたところで「アヤ」と後ろから声をかけられた。

「ねぇ、最近、学校あまり来なくなったね」

 アヤは、そこに居たなんて気づかなかった、という顔を装った。

「うん、もうすぐ大会だからね。追い込み時期なの」

「そっか」と答えた竜也は、しばらく沈黙した。思案顔をしている。竜也の中には、きっと言いたい言葉がたくさん浮かんでいるのだろう。

「なかなか話せてないね、俺たち」

「ゴメン。竜也のことを避けてるわけではないの。でも本当に、ワタシ、次の大会に向けて頑張りたくて。ゴメン」

「そんなに謝らないでよ。俺も応援してるから」

アヤは、ありがとうと答えた。

「アヤは、進路どうするの? やっぱりプロゲーマーの専門学校に行くの?」

 eスポーツが注目されるようになり、近年ではプロゲーマーを目指す学生向けの専門学校が増えている。同じ夢を持つ仲間と切磋琢磨しながら、本格的な練習に取り組める環境は、魅力的ではある。

「わかんない。まだ考えられていないや」

 高校二年生らしい話題を一往復で断ち切ってしまった。再び沈黙が訪れる。

 竜也とは中学からの幼馴染で、高校入学後しばらくして付き合い始めた。外見は良くも悪くも凡庸だが、思いやりがあって、謙虚で、地頭が良くて、責めるべき所の無い異性だった。ずっと一緒にいたい相手、とアヤは心の内では思っている。

「俺さ、アイドルを見ていると、つい、頑張りすぎないでね、って思うの」

 突然の話題転換に戸惑いながら、アヤは続きを待った。

「きっと過酷な練習を続けて、厳しい選抜を乗り越えて、そして今、俺には想像できないくらいのプレッシャーを浴びながら頑張っている。そんな環境を思うと、辛いときは逃げていいんだよ、と思ってしまうんだ」

「でもきっと、望んで手にしたポジションなら、嬉しいこともたくさんあるよ」

「そうだね。でも身体と気持ちは大事にしてほしい。偶像だろうが、アイドルだって人間だもの。アヤも、無理しないでね」

「うん、ありがとう」

 最近、身なりを気にしなくなった。寝グセのついたまま登校することもある。竜也なりに気遣ってくれているのは伝わっている。だが、アイドルのような見た目でも無ければ、プレッシャーも無い。いま頑張らなければいつ頑張るのだ。

「アヤは、どうしてそんなに頑張れるの?」

 少し考えて、アヤが答えた。

「とくに深い理由は無いの。でも、アイドルにはなれないけど、頑張ればワタシも何者かになれると思っているんだ。たくさんの人の心を動かすことだってできるはず。だから、マイペースなワタシだけど、頑張りたいの」

「やっぱりすごいな、アヤは」

「努力が実ったらね、また褒めてよ。とにかく今は、ゲームに全振りモードなの」

 全振りとは、持っているリソース全てを一つに振り分ける、という意味のゲーム用語だ。全国大会まで三日。それまでは、時間も頭も、ゲームに全部投資したかった。

「大会、俺も観に行くから。応援してるよ」

 バイバイと手を振って、竜也とアヤは別れた。アヤは家へと早足で向かった。


 自分の可能性は無限大。そう思っていた。しかしアヤの中の自己効力感は、決して堅牢ではなく、いとも容易く崩れ去った。

 全国大会の当日。会場には、孝之の運転する車で向かった。修一は来れなかった。車の中で孝之が何度かアヤに話しかけたが、アヤは適当に相槌を返すばかりだった。何度も頭の中でシミュレーションを重ねる。腕試し、と思ってはいたが、緊張を抑えられない。良い成績を期待している自分がいる。

 会場の体育館に着き、受付を済ませた。会場の前の方に、スポンサー企業のロゴに囲まれるようにしてゲーム用PCと専用の椅子が置いてある。その近くに観客席用の椅子が並べられている。意外と選手と観客の距離が近い。周りの高校生を見ると、誰も彼も強そうで、余裕を持っているような表情に見えた。

 アヤ、と声をかけられて振り向くと、竜也がいた。先に孝之と出くわしたようで、二人が仲良く並んでいる。孝之は、カメラを持ってアヤを撮影していた。

「がんばってね」と竜也が声をかける。

「うん、がんばる」

 八地区から集まった二十一名の高校生たちが、同じ格闘ゲームをトーナメント形式で競い合う。シード権の有無が予選で決まっており、アヤはシード権が無いため、合計四回勝てば優勝だった。

 対戦表には高校の名前も表示されていて、アヤの高校のゲーム部員や先生はもちろんアヤの出場を知っている。誰が作ったのか、校内の掲示板にもアヤの出場を知らせるチラシが掲げられていたのを見かけたことがある。

「皆さんよろしいですか! それでは、第一試合、行ってみましょう!」

 まばらな観客の中、場違いなほどテンションの高い実況解説に合わせて、第一試合が始まった。大会の様子はネットメディアで放映されているらしい。

 アヤの初戦は第二試合。出番は早々にやってきた。試合の様子は会場前方のスクリーンに映されていたが、第一試合はあっという間に終わってしまった。事務局の担当者に促されて、ゲーミングチェアに座る。

 突然、野太い声援が会場に響いた。

「頑張れェ、アヤ!」

 孝之だ。「おっと、親御さんの応援でしょうか。存在感バッチリ、頼もしい声援ですね!」と実況が拾い、会場にちょっとした笑いが広がる。恥ずかしくてアヤは俯いた。

 相手は、福井県の高校から参加している長髪で背の高い男子だった。黒縁眼鏡の奥の表情がわかりづらい。対戦表では、「@soda」と記載されていた。ハンドルネームだ。アヤは「ava」としている。対戦する生身の人間同士は、ゲーミングPCを隔てて向い合せに座っているが、正体の分からない相手と対峙しているような奇妙な感覚だった。

 気持ちの落ち着かないままに試合が始まった。アヤの扱う選手は、筋肉隆々の日系格闘家。相手選手は、中国拳法を使いこなす女性格闘家だった。

 開始直後、アヤは事前のシミュレーションの通り速攻で相手に襲い掛かった。

「アァーッ。開始早々のava選手の攻撃に対して、@soda選手が裏拳だ!」

 痛ッ! 流れるようなカウンターを食らってしまった。そこから三連コンボ、そしてクリティカルヒット。あっという間に、アヤの体力を表すライフゲージが半分以上削られた。酷い展開だ。いったん距離を取る。慌てるな、ワタシ。しかし相手の体力を奪わなくては勝てない。再び、連続攻撃を仕掛けに行く。

「ava選手、果敢に攻める。攻める。しかし、防ぐ防ぐ、@soda選手、完璧に防ぐ、届かないーッ!」

 立て続けの攻撃の中で一瞬、相手のガードの隙を抜けて、攻撃が当たった。二発目も当たる。ココだ、今ならいける。アヤが踏み込んだ、その時、

「ここで反転、必殺技の炸裂ーッ!」

 相手の狙い澄ました超必殺技を叩き込まれた。残りのライフゲージが瞬時に消滅し、スクリーン上に「KO」の文字が大きく映し出された。

「圧巻の展開。ファーストラウンド、@soda選手が一方的な運びで勝ち取りました!」

 試合は三ラウンド制で、二ラウンド先取した方が勝利となる。アヤが、チラリと相手の生身の顔を見ると、表情一つ変えず集中している。息を整える間もなく、二ラウンド目が始まる。

 今度は、相手選手の先制攻撃を受けてしまった。アヤは三、四発に一度小さく当て返すのが精一杯で、相手のライフゲージを大きく奪えない。その後は、派手な展開こそ無かったが、相手選手の細かな攻撃で着実に体力が奪われ続け、再度ライフゲージがゼロになってしまった。一方的な展開だった。

「第二ラウンドも制し、第二試合の勝者は、@soda選手です! 隙の無い戦いでした、お見事。おめでとうございます!」

 相手選手が小さく頭を下げるのにあわせて、アヤも軽くお辞儀をし、立ち上がった。さっき座ったばかりの椅子なのに、もう終わってしまった。観客席から「よっわ」と小学生くらいの男の子による小さな野次が聞こえた。

 どうしようもなく居たたまれない気持ちでその場を離れた。もう、早く帰りたい。

 孝之のもとへ行くと、竜也が心配そうに声をかける。

「アヤ、お疲れさま。強い相手だったね」

 竜也の顔をまともに見れない。正直、泣きたい。

「竜也、ゴメン。もっと練習しなきゃ」

 アヤは、下を向いたまま足早に会場の出口へと向かった。孝之が「じゃまたな」と竜也に声をかけて、アヤの後に続いた。

 帰りの車の中では、孝之は何も言わなかった。何やってるんだろ、恥ずかしい、最悪だ。アヤの頭の中は、自分のことで一杯だった。

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