Daddy! Daddy!

上原一紀

第1話

 夢を見つけた。それは偶然の出会いだった。

 十七歳、女子高生のアヤは、交際相手の竜也の家でそれを見た。マイペースなワタシの人生を、確実に突き動かすと信じられるくらいの衝動だった。

「ありがとう!」と竜也に別れを告げて、空も暗くなり始めた帰り道を急いだ。はやく、はやく伝えたい。はやる気持ちが足を急かす。


「ただいま」

 少し息を切らせながら、玄関で靴を脱いだ。郊外にある住宅街の一角。アヤが物心ついた時から住み続けている家だ。

 居間に入ると、父親の孝之は本を読んでいた。孝之は、アヤの方も向かずに「おかえり」と返す。木製のダイニングテーブルに見慣れないものが積んである。『地方自治の在り方』『マンガで分かる! 地方分権』など、何やら見たことの無いジャンルの本ばかりだった。背表紙には、図書館で借りたと分かるインデックスがついている。

「ねぇ、タカ」と言いかけたところで、孝之は手にした本をわざわざパタンと音を立てて閉じた。突然こちらを振り向く。

「決めたぞ、アヤ!」

 出鼻をくじかれた。孝之は嬉しそうな顔をしている。一体何を言い出すのだろうか。

「おれは政治家になる」

 茫然としているアヤを置いて、孝之が続けた。

「政治家なんて誰がなっても同じと思っていたが、そうでは無い!」太い声を弾ませながら、畳みかける。「知ってしまった以上、動かないわけにはいかないだろ、なァ。宮部先生に、お前ならできる、と言われたんだ。この町は、おれがどうにかしないといけない」

「ちょっと待ってよ、宮部先生って誰? 教師の仕事はどうするの?」

「宮部先生は、おれの恩師だ。教師は、大変惜しいが、やめるしかない」

「いや、三分待って、頭が追いつかない」

 惜しい、と口で言いながらも、目を爛々と輝かせながら話す孝之を前にして、アヤは救いを求めるようにオープンキッチンに目を向けた。修一が、微笑みながらやり取りを見ている。三人分の食事を作っていた手を止めて、修一が言った。

「ぼくは応援するよ。良いじゃないか、タカならできる」

 ほどよく筋肉質な両腕を組んで、穏やかな口調で賛同した。孝之が嬉しそうに笑う。

「さすがシュウ、おれの最大の理解者だ」

 修一は、孝之のパートナーだ。アヤと孝之と修一は、三人暮らしの生活をしている。

 孝之は、自信家で楽観的。見た目も中身も暑苦しい孝之とは対照的に、修一は温和でスマート。だけど、二人は馬が合うと言うか、互いに絶妙なバランスで尊重し合っている。

「政治家というと、議員になるのかい?」修一が尋ねる。

「いや、市長を目指す。現職が任期満了を迎えるから、今年の選挙に出馬する」

「良いね。現職は、確か次は出馬見送りだったね。タカに勝算はあるの?」

「宮部先生は、地元の有力者との繋がりがある。そしておれは、この町を本気でよくしたい」

 フフと修一は笑った。

「だいぶ心許ない出発だけど、やりがいがあるね。ぼくも全力で応援するよ」

 こうなったら、アヤには止められない。追及するだけ無駄な気がした。机の上の本をパラパラとめくってみても難しくて分からない。頭の中で増殖していた疑問は、次々と萎んでいく。お好きにどうぞ、降参です、と手で合図した。

 ワタシだって話したいことがある。アヤは自分の話に戻した。

「おめでとう、タカ。ワタシも応援するよ。それより、ワタシも発表があるんだ」

 孝之が心外な顔をした。

「それより、とはなんだ。大事なことは今のおれには無いが、どうした?」

「政治家ではないけど、ワタシはプロゲーマーを目指すことにした」

「プロゲーマー?」と、孝之が首をかしげる。修一は、またニヤついた。

「そう、ただゲームで遊ぶんじゃなくて、色んなゲームの大会に出場して、プロとしてお金を稼げるようになりたいの」

「ホォ、前言撤回だ。面白いじゃないか。その心は?」

「伝説のプロゲーマー、森岡さんの特集番組を見たの」

 格闘ゲームの世界大会、決勝戦の様子が、竜也の家のテレビで映し出されていた。

 舞台はロサンゼルス。約三万人を収容するホールから溢れるほどにたくさんの観客が、プレイ映像を映した巨大スクリーンを見ながら熱狂している。

 森岡は、大会本選に参加した唯一の日本人男性プレイヤーだった。二十八歳にして二度目の世界戦への挑戦で、決勝戦への切符を手にしていた。

 序盤は森岡が劣勢だったが、激しい戦いの末に相手プレイヤーを逆転KO。その瞬間、ホールが揺れた。観客は総立ちで声を上げた。両手を挙げて、割れんばかりの拍手を送っていた。大興奮に包まれた会場の中央ではちっぽけなゲーミングチェアに座った森岡が、小さく笑う。ゾクっとした。指先の技術と頭脳だけで、人々を虜にする世界。

「深い理由なんて無いけど、これだ! って直感で思った」

 ふたりの父親は、満足気にアヤを見つめていた。アヤが続ける。

「ワタシが世界戦に出ている、そんな場面が浮かんだの。大きなホールの真ん中に座っているのは、これ以上ないほど興奮してるワタシ。こんな気持ち初めて」

 改めてアヤは「ワタシ、プロゲーマーを本気で目指してみたい」と宣言した。

 すぐさま修一と孝之は、嬉しそうに賛同を表明した。

「アヤ、とても素敵だね。何だかぼくも嬉しいよ」

「フフン! 良いじゃないか。いよいよ覚醒だな、アヤも」

 二人はきっと応援してくれると、アヤは思っていた。自分にとって世紀の大発見だから、二人も同じ温度で喜んでくれる。ここからワタシの新しい人生が始まる。


 アヤにとって「おふくろの味」と言えば、修一の味だった。それは、修一曰く「筋肉が喜ぶ」バランスの良い食事。優しい味の料理の数々が丁寧に盛り付けられて、食卓に運ばれる。箸は絶対に斜めに置かない。修一の几帳面な性格が表れる。

 修一は、組織コンサルタントを生業としている。難しいことは分からないが、顧客には大手企業の経営者層が多いようだ。一方で、孝之は五年ほど前から小学校の教師をしている。親からも生徒からも好かれる人気者の教師らしい(どうやら、もうすぐ辞めるようだが)。性格は粗雑で、放っておけば野宿を始めそうな孝之の生活と健康を支えているのは、間違いなく修一だ。

 二人は共に四十五歳。いつ出会い、いつ恋仲になったのかは知らない。

 アヤには昔、母親がいたらしい。父親は孝之だ。しかし物心ついてから、母の顔は見たことが無い。アヤにとっての親は、孝之と修一の二人だけだった。

「それでね、ワタシ、二人にお願いがあるの」

 修一の作ってくれた美味しい料理を口にしながら、二人の親に向けてアヤは言った。

「プロゲーマーになるためには、相応の練習環境が必要なの。ゲーミングPCとか、ゲーム専用のマウスやヘッドセット。できれば机や椅子なども整えたいと思ってる」

「なるほど、いくら必要になる?」孝之は、すぐに話の核心に入る。

「実は竜也と一緒に計算してたの。これ、見積書作ってみた」

 冷静さを装って、一枚紙を出した。必要な周辺機器のスペックなどを細かく記して、金額を記載している。ざっと見積もって合計四十万円超。アヤにとっては大金すぎる。

 孝之が、箸を口に加えたまま見積書を手に取った。上から目線をおろしていき、合計金額の辺りで目を見開いた。言葉に詰まったようだ。

「出世払いで」と、咄嗟にアヤは言葉を添えた。

「ウン、気持ちは応援したい」と孝之は言った。「ウン」と二度繰り返し呟きながら、見積書を修一に渡す。

 微笑を浮かべたまま見積書を一瞥した修一は、「わかった、ぼくが何とかする」と口にした。

「お金は返さなくて良いよ。その代わり、後で細かく確認しよう。この先、アヤがゲーマーとして成長したら機器もアップグレードしていくだろうし、本当に今必要なものは何か、一緒に精査しようか」

「神だな、シュウは」

 アヤより先に、孝之が口にした。

 神様、仏様、シュウ様。ワタシの夢も胃袋も学生生活も、修一に支えられている。


 三週間後の冬休み、アヤの部屋は立派なゲーム専用部屋に仕上がっていた。

「見た目だけで、もうプロだな」

 家に遊びに来た竜也が驚いて、部屋の中を見渡す。結局、PCもマウスもヘッドセットも、ほとんどプロと遜色ない仕様の機器を揃えた。机や椅子は、長時間座っても負担の無いものを修一が選定してくれた。竜也の言う通り、気持ちは先行してプロ気分だ。

「あの大量にあった漫画はどうしたの?」

「縛って物置に押し込んでおいた。余計な誘惑は断ち切らないと」

「もう、ガッツリ練習してるの?」

「いまは一日七時間くらいかな」

 マジで、と竜也が呟く。

 プロの中には、一日十四時間練習している人もいると聞く。日々の練習は、スポーツと変わらない。得意な技を磨き、弱点を克服する。そしてオンライン上で対戦する相手の技を見て学ぶ。アヤの憧れのプロゲーマー森岡は、インタビューにおいて「相手がどんな戦術を駆使しようとも、僕にとって初見の戦術は無い。そして、僕の方が上回っている」と自負していた。遊びであれば自分の好きな技ばかり駆使していれば良いが、多様な相手と戦うには、幅広い技を試し、研究する必要もある。

 毎日発見の連続だった。昨日できなかったこと、知らなかったことが今日は理解できる。やればやるほど、自分の成長を感じることができた。

 俺もこれで遊んでみたい、と竜也が言う。「ちょっと休憩するから、しばらく自由に使ってて良いよ」と伝えて、アヤは部屋を出た。一日七時間を続けるのは苦ではないけど、たまには気分転換したい。だから今日は竜也を呼んだ。

 居間を覗くと、孝之も修一も居た。いつもダラっとしたTシャツを着ている孝之が、珍しく襟のついたシャツ姿だ。シャツ持ってたんだね、と呟きそうになったところ、もう一人客人の姿が見えたので、身を引いた。高齢だが、シュッと背の高い人だった。

「宮部先生、おれなりに勉強して、痛感しています。大事なのは政治家のリーダーシップだと。人口十万人ほどの小さな自治体だけど、おれにとっては大事な町だ。市長の仕事は外からは見えづらいが、この町の行く末を左右する重要な意思決定を行っている。これからを生きる若者たちが、自信を持てる町にしたいと心から思うんです」

 孝之が、真剣な表情で熱く語っている。

「そのとおりだ。次期候補として兼松クンが出馬表明をしているが、あれはいかん。先のことが全く見えていない。私は、キミに市長になってもらいたい」

「先生は、兼松さんとはお知り合いなのですか?」と、修一が口を入れる。

「ああ、昔のよしみでな。私はこの町の将来を憂いている。キミが当選するために、全力でサポートしたいと思っている」

「具体的には、どのようなサポートを?」

 質問する修一の方を向かずに、宮部先生はまっすぐ孝之を見ながら続けた。

「いいか、選挙を争うのは、選挙運動の期間ではない。その前だ。選挙運動のはじまる公示日には勝負は決まっている。それまでに、いかに支持層の確約を取り付けるかだ。私も伊達に六十年生きていない。キミの支持固めの為に、私の人脈をフル活用させてもらう」

「頼もしいです。なんとお礼を言ってよいか」

 孝之は、頭を下げた。宮部先生は「期待してるよ」と声をかけて、帰り支度を始めた。孝之は玄関口まで付き添って、「おれ、頑張ります!」と声を張って送り出す。その様子を腕を組んで眺めている修一の目は、どこか憂いているように見えた。

 孝之は正式に教師を辞めていた。それ以来、この数週間、家にいることはめっきり減った。家にいる時はたいてい書籍と向き合いながら真剣にメモを取っている。「おれは素人だからな、人の三倍はがむしゃらに動かなくてはならん」と言う父の姿は、ワタシと同じスタート地点に立っているような気がした。

「アヤは、今の人、どう思う?」

 自室に戻りかけたところ、いつの間にか修一が横にいた。驚きながらアヤは答える。

「どう、って言われても。政治の世界は、よくわからないよ」

「政治であっても、大企業であっても、大事なのは人だよ」

 諭すようにして、修一は丁寧に言った。

「タカは、心が純真だからね。自分の思い通りにしたいと思う輩が集まりやすい。アヤも血を引いてるからね。気を付けるんだよ」

 そう言われたが、ワタシ自身に心当たりは無い。

「でもね、タカも馬鹿じゃない」と付け加えて、修一は居間へ戻っていった。

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