誰にも言えない

鏡りへい

出せない手紙

 タカヤくん。

 タカヤくん、ありがとう。

 私は便箋にペンを走らせながら、途中で何度も祈るように手を合わせました。その度、目に涙が浮かびます。

 出せるはずのない手紙。でも書かずにはいられません。

 タカヤくん、あなたは私を救い出してくれた王子様です。私を導く天使です。

 この感謝を、私はあなたに伝えることはできないけれど。

 あなたがいなかったら、私は一生牢獄に繋がれていたも同じです。

 あなたはただ行き合わせただけで、何の意図もありませんでした。まったくの偶然です。でも私にとってあなたはかけがえのない恩人です。

 この先、あなたには辛い人生が待っているでしょう。でも挫けないでください。私はあなたに感謝をし続けます――。


 私の母は、おかしな人でした。おかしいというのは愉快という意味ではなく、異常という意味です。

 成人した今となってはわかりますが、生まれたときからその母の元で育った私には、そうと気づくまでに十数年の歳月が必要でした。

 私の生きるすべては母のためにありました。私が見るテレビ、着る洋服、髪型、習い事、しゃべり方や仕草の一つ一つにいたるまで、母は注文をつけました。自分の気に入らない部分は徹底して直そうとしたのです。

 私は常に髪を長く伸ばし、可愛いスカートを穿いて、可愛い話し方をしなければなりませんでした。

 太らないよう、食事管理も徹底していました。甘いものや、母が不健康だと判断したものは食べさせてもらえなかったのです。

 おかげで健康的なスレンダー体型にはなれました。でも同級生が当たり前に口にできるスナック菓子やソフトドリンクを禁じられていたのは、子どもとして辛いことです。

 大きくなるにつれて、周りの友人たちが私の母の考え方に疑問を持つようになりました。チョコレートやポテトチップスを一度も食べたことがないなんて変じゃない? と。

 アレルギーがあってとか、本人が嫌いだからとか、少しは食べてもいいけど食べ過ぎてはいけない……というのならわかる。でもその食べ物がまるで毒であるかのように一口も許さないというのは、行き過ぎではないのか。それも市販のお菓子のほとんどに対して。

 私はみんなと同じものが食べられないことを辛く思っていました。それと同時に、お母さんが悪く言われるのも辛いことでした。

 私はお母さんを庇いました。

 うちのお母さんは私の健康を第一に考えてくれているの。売っているお菓子は食べられないけど、お母さんは私にケーキを焼いてくれるの。食べても安全なケーキで、とっても美味しいのよ……。

 私は母の期待に答えようと一生懸命でした。期待されることが愛されることだと勘違いしていたのです。

 母が希望する学校に入るため、遊びたいとも思わず勉強しました。そして無事に大学まで進学しました。一流と呼ばれる理系の、就職に有利な大学です。

 ところが、母はここでも異常さを発揮しました。まず、私に仲のいい友人や恋人ができることを嫌がりました。相手が同性であっても、一緒に出かけると言うと難癖をつけるのです。そんなふらふら遊んでいるような子と付き合ってはいけない、と。

 私は小さい頃から常に、携帯電話やスマホのGPS機能で居場所を母に把握されていました。大学生になってもそれは変わらず、私が勝手に友人と遊びに行こうとしても、すぐにばれてしまうのです。

 GPS機能を切ったり、母からしつこくかかってくる着信を無視したりはできません。そんなことをすれば、家に帰ってから激怒した母に何時間も責め続けられます。

 暴力を振るわれたことはありません。ただ、八つ当たりで物を投げるので、食器や花瓶や額縁などはすぐに壊れます。投げた片手鍋が当たってテレビの画面が割れたこともありました。冷蔵庫の扉にも凹みができています。

 加えて、泣きます。私の行動のために母がどれほど傷ついたかを切々と訴えるのです。私がどれほど身勝手で非常識な親不孝者であるかを認めさせ、母が満足するまで謝らせるのです。

 バイトやサークル活動もさせてもらえませんでした。

 でも卒業して就職すれば状況が変わる……。

 抱いていたそんな希望も、結局は実現しませんでした。

 どういうわけか母は、私が応募しようとする企業をことごとく貶すのです。

 おまえにその仕事は向いていない、その会社は将来性がないからやめなさい、そんな会社に入れるために大学に行かせたわけじゃない……。

 ではどこに入ってほしいのかと聞いても、特に意見はないのです。

 母はとにかく、私が社会に出ることを嫌がっているように感じました。

 それでも就職活動はしましたし、内定ももらえました。

 ところが、その内定を母が勝手に断ってしまったのです。

 私は進路が決まらないまま大学の卒業を迎えました。

 せめて非正規で働こうと思っても、大卒で非正規なんて恥ずかしいと言われてできませんでした。

 かといって結婚の話を持ってくるでもありません。

 母は私に多少の家事は手伝わせました。食事の配膳や後片づけ、洗濯物を干すなどです。

 でも料理をしたり洗濯機を回したりはさせません。不器用な私がやったら危ないと決めつけて、触らせないのです。触れば怒られました。

 だから炊飯器や洗濯機の使い方を私は知りません。

 その一方で母は、知り合いや親戚にはこう言い触らすのです。うちの娘は炊飯器でご飯を炊いたこともない、洗濯機を回したこともない、ろくでなしだと。一流大学を出たのに就職も結婚もできない、どうしようもない娘だと――。

 そんなおかしな母に好き勝手をさせたまま、一度も私を庇ってくれたことのない父を、私は心底憎んでいました。

 毎日毎日、私たちに一切の関心を向けることのない父を見る度に、私の心は窒息しそうなほど深く凍てついていったのです。


 そんな父を、タカヤくん、あなたは私の前から消してくれました。

 あなたは未成年で、お酒を飲みながら車を運転して、大幅なスピード違反をした状態で信号無視をして、横断歩道を渡る父を轢き殺してくれました。

 世間の人はあなたをとんでもない悪党だと思っていますね。

 あなたの裕福で素晴らしいご両親は、私と母の前で深々と頭を下げ、私たちにとっては望外な慰謝料を払うと約束してくださいました。

 二重にも三重にも重ねてお礼を言わせてください。

 ありがとう。

 あなたは私の福の神です。誰に誇ることもできないけれど、私にとって唯一無二の、正義のヒーローです。

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